36.共依存
気が付けば足元には人間だった肉と血の海が広がっていた。
さっきまで何をしていたか思い出せない。記憶の一部が戻ったのは覚えている。思い出せないのはその後だ。
「シェル、俺は今何をしていた?」
玲は事の初めから終わりまで、見ていたであろうシェルに首を傾げて聞く。
「異空庫から木槌を取り出したお前はラゼルの喉を切り、手足を拘束したのち、木槌で何度も何度も殴ってたよ。朝になるまでな」
窓を見ると既に日は大分高い所にあり、人々の営みの音が騒がしい。よく見るとシェルも既にシャワーを浴びており、着替えも済ませている。
「あー……待たせて悪かった。風呂場で血を落としてくるからもうしばらく待っててくれ」
玲はシェルが指差した方向に向かいながら、服を異空庫に雑に放り投げていく。
風呂場に入る頃には全裸になっており、流れるように洗面器に手を伸ばし────
「おい、何でここにいる」
「まだ、報酬を貰ってない」
背後にシェルがいた。
普段の玲なら構う事なく水をぶっかけ、さっさと追い出すが、悪いがそんな気にならない。
今は自分の記憶について1人で考えたいのだ。
「悪いが後にしてくれ。今は1人になりたい」
「悪いな。私も今のお前を1人にするわけにはいかない」
「今の、か……」
「「……………………」」
先に折れたのは玲だった。
シェルの言い方に気になる点は山ほどあるが、それを考えることすら億劫だ。
「はぁ、仕方ない。先に飯にしよう。何か食べ物はあったか?」
「ああ、ラゼルは意外と溜め込んでたぞ。追われても逃げられるようにな」
なるほどな、逃走準備は万全と。これは金の方も期待出来そうだ。
しまったな、証拠の消し方を聞き出すのを忘れていた。
まあ、どうせスキルか魔法だろう。俺のMPが少ない以上、禁術以外に使う余裕はない。聞かなくても良かっただろう。そういうことにしておこう。
玲とシェルはラゼルの死体のある部屋とは、別の部屋に入る。
そこには香りの立つ食欲のそそる料理があった。
よく考えれば一晩何も食べないで動き回ってたんだ。腹が減って仕方がない。
玲は席に着き、料理を口に運ぶ。
ん?待てよ。何で料理がここにあるんだ?
とてもじゃないがここに人は呼べない。ならこれを作った人物は?
口の中は暴力的な味が広がっていた。何故か酸味と辛味が同時に襲い、ネバネバするものが動き回っている。
「こいつ、匂いを誤魔化しやが……た…………」
玲はその言葉を最後に意識を手放した。
□
おーい、おーい、きこえるかーーい?
何処からか少年の声が聞こえる。
姿は見えない。そもそも視界が真っ白で、何があるかもわからない。
うーん。靄が少し晴れたからいけると思ったんだけど、まだ夢の中で少しだけ会話が出来る程度か。
仕方ない、今はここまでだ。また会おうマスター。
その言葉を最後に声は聞こえなくなった。
□
目を覚ますと既に夕暮れだった。
何が夢を見ていたような気がするが思い出せない。
見渡すとシェルが部屋のベッドで寝ているのが目に入る。今のうちに風呂に入るとしよう。
玲は風呂場に入り、体を流しながら自身の記憶について考える。
思い出したと言っても、選りすぐり恨んでいる人間と産まれが分かっただけだ。
明確に人間を恨む理由もまだわからないし、これから何をすべきかもわからない。
ただ、ラゼルを衝動的に殺したことは、微塵も後悔もしていない。それは確かだ。
だが、俺の罪をなすり付ける相手がいないことは問題だ。町の検問は未だに厳重なままで、旅を続けることが出来ない。
玲は風呂から上がり、置いてあった執事服を着崩して、シェルの寝ている部屋に向かう。
気持ち良さそうに寝ているシェルを食事の恨みを込めて、ベッドから引きずり下ろす。
「うぐぅ……な、何だ!?敵襲か!?」
「出かけるぞ。顔洗って間抜けズラを直せ」
シェルは寝起きで目は虚ろ、口からは涎が垂れていた。最初こそはキョトンとしていたが、玲の言葉の意味が分かると顔を赤くし、罵詈雑言を玲に浴びせる。
「それで、今度は何をするんだ?」
「さてな、自分でもよく分からんよ」
そう語った玲の表情は何処か悲しそうで、嫌悪に溢れていた。
□
夕暮れ時。この時間帯には様々な人がいる。
仕事が終わり帰宅する者、男女で夜の町に向かう者、店を閉めて翌朝の下準備をする者、逆に開店準備をする者。
そして、子供の手を引き家に帰る者。
うやらましい。
その当たり前の光景を見て、そう思う者はこの町には少ない。
双子のドロシーとリリは、ある日を境に大きく変化した。
それまで女手一つで、沢山の愛情を捧げて育ててくれた母親が死んだのだ。
目の前で殺された。
お母さんは急な来訪者から守るため、押し入れに私達を閉じ込めた。
血が爆ぜた。
「リリは見なくても大丈夫。私が覚えるから」と言って隙間から覗いていたドロシー姉さんには血が掛かった。
私は叫んでしまった。
甲高い声で大きく。
でも耐えれなかった。私はすぐそばにあった硬い物を握り、飛び出した。
ドロシー姉さんが何か言ってる。
それでも私はソレに向かって何度も何度も殴った。
泣きながら殴った。近くにはよく知ってる家族が倒れている。すぐに駆け寄りたい。でも……
ドロシー姉さんは頭はいいけど、お世辞でも強いとは言えない。
だから私がお母さんに代わって守らないと。
私が守るから、安心してドロシー姉さん。
□
「私が守るから、安心してドロシー姉さん」そうブツブツ言いながらリリはソレを殴っていた。
何度も何度も。
ソレはお母さんを殺した油断からか、簡単に気絶した。
ソレはお母さんを殺した悪い奴。
それでも、それでもね。私はリリを人殺しにしたくない。
大丈夫だよリリ、私は確かに力は強くない。それでも大事な妹1人を守るくらいは出来るよ。
私は手に小さなナイフを持ってまだ息のあるソレにトドメを刺した。
私はその日から人殺しになった。
双子は母に手を引かれ歩く子供を眺める。
自分たちには既に無い温もり。
でも、ラゼル。そいつがいる限り、その子たちも自分達と同じ思いになるかもしれない。
昼はラゼルの姿を見なかった。夜は仮面のロウと名乗るとんでもない奴まで出てきた。
それでも私達は止めることは出来ない。
ドロシー姉さんは私のために罪を背負った
リリは私のために命を危険に晒した
私達はお互いに依存しなければ生きていけない。
家も売り、武器を買い、魔法を覚えた。
夜もラゼルを探さないといけないため、この時間帯に少しは休みたい。
双子は数分でも落ち着いて休むため、スラムの拠点に戻る。
だか、そこに居たのは
「遅い帰りだな。頑張り屋のお前たちにプレゼントを持ってきたぞ」
「すまないな。勝手に上がらせてもらっている」
黒い袋を抱えた危険人物達だった。




