甘党の魔法使いは私を独占する
「つまり、あいつらは『これまで美味しいケーキは1つしか送られてこなかった。 だからこっちのケーキは不味い、それどころか罠や毒かもしれない。 だから捨てよう』と考えた」
彼は執事さんが運んできた生クリームとフルーツで飾られた真っ白な大皿に乗った大きなデコレーションケーキと、それより一回り小さな、それでも1人では食べきれない大きさの金の模様で縁取られた白い皿に乗った真っ黒なザッハトルテ、そして1本丸々のまま白い皿に乗せられたドライフルーツのパウンドケーキを自分の前に並べた。
「こっちのケーキはスポンジもクリームもふわふわで、クリームとフルーツで満足感を得ても実際の量は少ない。 例えるならあっちの子は漏れ出る魔力がクリームとフルーツで、それを纏ったスポンジが僕らの糧になる部分」
大きなデコレーションケーキにナイフが入り、一切れが横に置かれた真っ白なお皿に乗せられる。
それを見て私は驚いた。
その断面はスライスされていないスポンジケーキに生クリームが1cm以上の厚さに塗られた、あまり食べたいとは思えないがっかりケーキだったのだ。
さっきまではとても美味しそうに見えていただけに、その落差は激しかった。
「漏れ出る魔力が制御出来るようになったらこのパウンドケーキ」
次に一切れ切り出されたパウンドケーキは生クリームが付くのも厭わずに先ほどのケーキの横に置かれる。
断面から赤や緑のミックスフルーツが見えるパウンドケーキ。
それは同じ一切れでもデコレーションケーキが大きいのに対して酷く小さく見える。
「余分な水分とかさ増しの空気が無くなった変わりにその大きさはこの通り。 ザッハトルテよりも小さくなってしまう。 そもそも僕らが求めていたのは分け前の一口が濃厚でお腹が膨れるケーキだから外側が胸焼けするほどクリームたっぷりでも中身が少ないなら論外だ」
彼はパウンドケーキだけを白い皿から出して元の皿に乗せ、デコレーションケーキは大皿の物も切り分けられた物も執事さんが部屋から持ち出していった。
いつの間にか8当分にされていたパウンドケーキは、最初に切り出された真ん中に生クリームが着いたまま戻されたせいでお世辞にも綺麗とは言えない。
「しかもきちんと凝縮できてもその大きさがこんな小さくなると分けるのが勿体なくなるから当然喧嘩になる」
彼はそう言うけど、8当分されたパウンドケーキは私にとっては分厚く思える。
でもきっと彼にとってはたった一切れのパウンドケーキなんて微々たるものなのだろう。
「喧嘩になって負けたらケーキが食べられなくなるから死ぬしか無いよね」
彼の場合ケーキが食べられないのは死に直結するらしい。
いや、ケーキに例えられたあの子が独り占めされたら他の人間が死ぬという話だとは理解しているけれど、例えに関係無く彼はケーキが食べられなくなったら死ぬと思う。
まだ彼との出会いから24時間も経っていないし一緒にいた時間は合計しても3時間も無いのに、彼がどれだけケーキ狂いなのかは胸焼けするほど目の当たりにしたのだ。
「それにね、これは本物のケーキだから切り分けて説明してるけど、実際はこんな分け方じゃない。 丸のままで回し食いさ。 他人のかじったケーキなんて僕は食べたく無い。 それに等分されずに回し食いなんて、絶対に多くかじるやつがいるに決まってるんだよ。 本当の大きさに気付く前にそれで喧嘩になる可能性だってある」
確かに直にかじる方法で回し食いされたケーキなんて食べたくない。
それに食べられなければ死ぬなら先に多く食べようとする人だっていて当然だ。
「その点僕は彼らと回し食いや喧嘩をしなくてもこのザッハトルテ、つまりは君を1人で全部食べられる…じゃなくて君の魔力を得られる訳だ。 すると僕は既にかじられて更に量が減ったあの子を独り占めする誰かよりも遥かに取り分が多い上に、誰かに横取りされたり奪われたりする心労も無くて、最高に幸せな気分でケーキを食べていられるという訳さ」
魔力の取り分より穏やかにケーキを食べられる幸福感を想像しているのか、彼はうっとりとした顔で艶々とした傷一無いザッハトルテを見つめた。
そんな彼の様子を見て、執事さんはパウンドケーキを手に取り部屋を静かに出る。
最後に残ったザッハトルテから、彼は目を離さない。
愛しい恋人を見つめる瞳とはきっと今の彼の緑の瞳の事だ。
あんな瞳を向けられたら、ザッハトルテであっても恋に落ちるんじゃないだろうか。
……あのザッハトルテ、通常の3倍は甘くなっているに違いない。
今にもあの固いフォンダンが溶け出すんじゃないかとひやひやしながら私は彼を観察する。
頬杖をついてとろけるような笑みを浮かべながらザッハトルテを見つめる彼の髪はスイートチョコレートのような茶色で、ビターチョコレート…最近はカカオ70%にハマっている私には甘過ぎる。
しかもその表情はもはやミルクを通り越してホワイトだ。
私はホワイトチョコは洋酒と生クリーム、そしてバターを混ぜて作ったトリュフ以外は甘過ぎて食べられない。
ホワイトチョコ単体では歯も頭も鼻も喉も痛くなる。
食べてもいないのに想像しただけで鼻と喉の奥がツンとしてきた…。
漂う甘さに辟易していると静かに扉が開いた。
そこからケーキナイフとナイフウォーマーを持った執事さんと、大小2つのポットと2つのカップが乗ったクラシックワゴンが見える。
ワゴンは室内に入れないようにしているのか、まずナイフとナイフウォーマーを持ってきた執事さんはナイフウォーマーを彼の右側に置いた。
そして腕に掛けていたナフキンを片手で綺麗に畳んでナイフウォーマーの左にセットするとその上にナイフを恭しく横たえ、何かを取りにワゴンに向かう。
そして彼はケーキナイフを手に取るとその波刃に真剣な目を向ける。
曇りか汚れが付着してないかを念入りに調べ、刃が鈍っていないか曲がってはいないかと様々な角度から確かめる。
その間に執事さんは大きなポットを運んでくると、中身をナイフウォーマーに注いだ。
もうもうと湯気をたてながら注がれたお湯に、彼のお眼鏡に適ったらしいナイフは刀身を浸からせられた。
4秒、湯で温められたナイフをナフキンに擦り水気を切る。
何の儀式だと問いたくなるような雰囲気の中でザッハトルテはフォンダンを全く割れも欠けもせず等分された。
彼の集中力と技術には恐れ入る。
もし誰かがあの状態の彼にちょっかいをかけてケーキがほんの少しでも歪になったら彼は怒り狂い暴れるんじゃなかろうか。
……いや、嘆き悲しんで崩れ落ちるかもしれない。
そんな事を考えてみたが私には『押すな危険スイッチ』を押す趣味は無いし、押されると分かったら速やかにその場を離れたいと思う人間なので答え合わせは無いだろう。
「ちなみに…ね」
ケーキを皿に取り分け、ようやく一息つけたらしい彼はその皿と一緒に意味有り気な視線をこちらに寄越した。
それと同時、置かれた皿の横に音もなく紅茶が並ぶ。
……あの空気の中お茶を用意していた執事さんはきっとベテランやプロという言葉を超越した場所にいるに違いない。
「僕はケーキを常に適温で清潔な場所に置いて常に綺麗に見えるよう丁寧に丁寧に扱うから、複数にかじられまくった挙げ句に奪われ合ってボロボロになってから箱に仕舞われて毎日少しずつかじられていくケーキよりは、僕が持ち帰ったケーキの方が幸せなんじゃ無いかな?」
まあ、それはそうだろう。
私は端っからあの中に居たいとは思わなかった。
というよりは帰して貰えるのが1番だったから今彼の元にいる事も不本意ではある。
しかしこれが帰れない場合の最善、とまでは判断出来ないけどあのまま処分されるよりは善い結果なのは明白。
大人しく私は彼に持ち帰られたケーキになるのが良い。
価値に気付かれず腐るケーキより、
価値を知られて奪い合われるケーキより、
価値に気付かれて綺麗なまま消費されるケーキが良い。
あの子は、
自分を誘惑し互いを牽制しあう彼らの中心で愉悦に浸り、
刹那的情熱に身を焦がし自身を削る事に誇りを覚え、
最後に残った男に溺れるほどの執着を向けられて、
満足し微笑むのだろうか。
私は、
隔離されたこの皿の上で、
彼に全てを美味しく頂かれるのを、
温かな紅茶や隣のケーキと一緒に待つのだ。
激動と悠久の終わりは、どちらもきっと同じなのだ。