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1-2 あたしがいるから大丈夫


「また出たんだって! 今度は隣のクラスの子だよ」

 翌朝、宵待(よいまち)が教室に入ったとたんに女生徒達の大きな声が聞こえた。

 次の少女行方不明事件が起きたのだ。教室の一画に数人の少女達が集まって、怖がりながらもどこか興奮して話している。

「最近、よく黒いものを見るって言ってたらしいよ」


(黒いもの――)

 昨夜の、黒い服装の青年。今朝もまた、黒い影を見た。

(不気味ではあったけど……)

 早く帰るように言ってくれたのに、それは油断させるためのただの甘言なのか。迷った時に、脳裏に少女の姿が浮かんだ。

(駄目、あんな人を信じちゃいけない。あの子に相談しよう)

 宵待を心配してくれる友人。信じるべきは、彼女だ。



「宵待、絶対に近付いちゃ駄目なんだから! 危ない人だよ」

 友人は宵待の両肩を掴んで、まっすぐに見つめて言う。真剣な瞳は、心から気遣っていた。

「うん……わかった」

「寄り道なんてしないで、すぐに帰ってね。宵待が心配なの」

 宵待が深く頷くと、友人はほっとしたように微笑んだ。

「大事な宵待。あたしがいるから大丈夫よ」

「ありがとう」

 優しくて、きれいな友人をこれ以上気に病ませないように、宵待も笑顔を返した。



 とろりと溶けだしたようなオレンジ色の太陽が、山の際に消えようとしていた。空には灰色の暗い雲が広がっていたけれど、西の空だけは僅かに雲が途切れ、奇妙に色が混ざり合っている。

 前方に家が見えて、自然と安堵する。宵待は鍵を取り出しておこうと、鞄を探った。

「あっ! 黒魔女が外に出てるぞ!」

「おばけ屋敷の黒魔女!」

 後ろから駆けて来た小学生達がいつものように囃し立てて通り過ぎていく。


「魔女じゃないってば! 早く帰りなよー」

 苦い呆れ顔をしつつ笑って手を振り、後ろ姿に声をかける。

 まったくもう、とぶつくさ文句を言って鍵を取り出し、顔を上げると家の前に誰かが立っている。夕日が逆光になって、よく見えない。背の高い誰か――思い当たって、足を止める。


「気を付けるように、言ったじゃないですか」

 ひっと、喉が鳴った。目の前に、不機嫌に目を眇めた青年がいる。あの夜に見た、美しい顔が間近にある。

「何を付けているんですか」

 顰められた顔にあるのは、敵意だろうか。青年の手が伸びる。


「――いや!」

 その手が触れそうになった時、宵待は身を翻して走り出した。

 夕闇が迫る街を、振り返ることもなく一心に走る。足を止めれば何かに捕まる気がした。走っても、逃げても、すぐ後ろに迫っているものがあるようだった。


 いい加減、限界が来て身を隠そうと考えて、裏路地に入って足を止めた。壁に手をついて、激しい鼓動と呼吸を落ち着けるために目を閉じる。少し先で何かが動いた気配がして、顔を上げた。

 そこには、黒いセーラー服を纏う、黒い髪の少女の後ろ姿。

「あ……」


 それは、宵待の友人。安堵が胸に広がり、名前を呼んで駆け寄ろうとすると、違和感に襲われた。

 友人。彼女を、何と呼んだだろう。名前が、出て来ない。

「あなた……」

「すぐに帰るように言ったじゃなぁい」

 絡みつくような、鼻にかかった甘えた声。振り返った友人の手が、別の少女の腕を掴んでいる。身体は地面に横たわり、ぐったりとしたまま動かない。その身体に、白い糸状の何かが奇妙に絡んでいた。


「何、してるの……」

 少女は佇んだまま、宵待を見つめる。小首を傾げている様は可愛らしく、けれど無感情で、人形か何かのようだった。

 街灯が瞬く。光の加減で、少女の華奢な体の背後に、白い網のようなものが浮かび上がる。それは、記憶の中の蜘蛛の巣そのものだった。

 薄っすらと、少女に巨大な赤黒い蜘蛛の姿が重なる。

「――!」

 声は出なかった。友人だったはずの少女は大きく口を裂けさせて笑いながら、やけに尖った歯で動かない少女の腕を食む。白い肌に、赤い筋が落ちた。


「あーあ、もうバレちゃった」

 くすくすと笑う声は楽しそうで、一緒に話していた時と何も変わらない。

「あなたは、誰……?」

「酷いわぁ。友達じゃない」

「違う……あなたなんて知らない!」

 宵待は叫んだ拍子に腰が抜けて座り込んだ。


 ぽつ、と冷たいものが頬にあたったかと思うと、地面に次々と丸い水滴の跡が生まれ、あっという間に埋め尽くされた。雨の帳が宵待を閉じ込めるように降り注ぐ。

「あんなに優しくしてあげたのに。もっともぉっと優しくして、絶望に歪む顔を見たかったわぁ……本当に残念」

 言いながら、無造作に少女の体を放って、黒いセーラー服姿の何かが歩み寄って来る。


 小さな唇が、血で真っ赤に染まっていた。蠱惑的な笑みが浮かぶ。

「まだ熟れてないけれど、仕方ないわね」

「来ないで……」

「あなたって本当、なんて美味しそうな匂いがするのかしら。他の奴に盗られちゃわないように、いつもいつも見守って――早く食べたくて我慢するのが大変だった」

「全部、あなただったの……?」


「他の子で気を紛らわせようとしたけど、駄目よね。やっぱり御馳走じゃなきゃ満たされないの」

 ひたりと、冷たい手が宵待の頬を包んだ。大事なものを傷つけないように、やさしく、やわく触れる。宵待はもう動けない。恐怖のせいか、目の前の化け物のせいか、分からない。頬を濡らすのは雨ばかりではない。

「いや……!」

「可愛い可愛い、大事な宵待。美味しく食べてあげる」

「助けて――おじいちゃん!」

 必死で呼んだのは、もういない人。

 宵待を助けてくれる人は、もう誰もいない。


「僕の言うことを聞かないからですよ」

 低い声に、短い不気味な叫び声が重なった。冷たい手から解放されて、宵待は涙に歪む視界に目を凝らした。そこに立つのは、黒い正装姿の青年だ。

「本当に危なっかしい子ですね。千信(ちあき)の苦労が忍ばれます」

「え――」

 その名を聞いたのは、久しぶりのことだ。交友関係が全くないように思われた祖父の名を呼ぶ人など、もういないと思っていたのに。


「姿を現す気なんて、なかったんですからね」

 僅かに振り返った青年の声は依然聞いたものよりも柔らかく、横顔は拗ねているように見えた。それを呆けて見上げ、宵待は何を言えばいいのかも考えられない。

 青年の向こうで地面に蹲っていた、少女の姿をしたものがゆらりと動いた。注意を促そうとした時には、青年は前方に向き直っている。


「こそこそと隠れて、よくもやってくれましたね」

「何よ……あなただって、この子を食べようと思ってたんでしょう? 隠したって無駄よ。同族だってあたしにはわかるんだから」

 青年の少女の会話に、宵待は息を呑む。青年もまた、害を為すものだというのか。

「あなたと一緒にしないでくださいよ」

 鼻で笑って、腕組みする。ひとつひとつの所作が優雅で、どことなく品があった。危険な生物を前にしているとは思えない。


「一緒でしょ。何が違うのよ。同じ、人間を捕食するモノ。吸血鬼のくせに! あたしみたいに宵待を安心させようとしてももう遅い」

「違うと言っているじゃないですか」

 青年は溜め息交じりに言って、首を振る。呆然としたまま動かない宵待を振り返った。

「ここから先はあまり見ない方がいいかと思います」

「え――」


「すぐに済みますので」

 目を細めてにこりと笑う。祖父がいなくなって、宵待に笑顔を見せる人はもう現れないと思っていた。こんな状況なのに心が緩んだことを、すぐに後悔する。

 青年の姿が掻き消えたと思った次の瞬間、少女が膝をついて大きく目を見開いて顔を上向けていた。驚愕していたのは宵待ばかりでなく、彼女もまた同じだった。青年の長い指が、その首に食い込んでいる。


「な、なに……」

「訂正します。わたしは捕食者ですが、あなたと同じではない」

「――ひっ」

「わたしが摂取するのは、あなた方、魔物の血――ですよ」

 ぐしゃりと、湿った音がして宵待は目を閉じることも忘れて固まった。


 青年の唇が少女の首元に喰い付いて、そこから赤黒い体液が零れ出る。耳を劈くような少女の悲鳴はやがて途切れた。抵抗しようともがいていた手が落ち、指先からぼろぼろと崩れていく。瞬きする間に、少女は砂のように姿を変え、地面につく前に跡形もなく消えていった。

 何が起きたのか、宵待にはわからない。優しげに微笑んでくれた青年が、少女の形をしたモノの血を吸った。

 青年が振り返る。その表情を認めるより先に、宵待は意識を失った。



 目を覚ますと、家の自分の部屋のベッドの上だった。

 長い夢を見ていたかのように、頭がぼんやりする。周囲を見回しても、誰もいない。

 雨にあたって、地面に座り込んだ時に着ていた制服が、クローゼットの扉にかけてあった。汚れは綺麗に落としてある。

 外は雨が去って、晴れ渡っていた。


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