4-7 傍にいてくれるような
「王子どうしたの」
美織は布団から覗く金髪頭を見て、長い髪を背に払いつつ言う。十時の消灯までまだ大分あるというのに就寝中らしい。
今ではすっかり白王子と呼ばれることも減って、女子生徒らのハートを砕いた宗一朗を、美織はからかい半分の愛称として未だに王子と呼んでいる。
「具合悪い?」
「いや、なんか疲れたみたい。山は苦手なんだってさ」
宗一朗が寝るベッドの下の段に腰かけていた明楽が、肩をすくめて笑う。
平地よりも魔物が潜みやすい山の中ではいつも以上に警戒して、場合によっては結界を張らなければならない宗一朗の苦労など、他の者には知る由もない。
「はやっ、よく眠れるね」
「なぁ」
肩を揺らして笑って、傍らに文庫本を置く。どちらかというと外で活発に動くタイプの明楽だけれど、読書するのも嫌いではないのだ。美織が来たことで当然のように読書を中断する仕草を、彼女はじっと見つめていた。
「美織はどうする? 行く?」
件の姫野と話していた女子生徒に声をかけられて、美織は顔を上げる。先に答えたのは明楽だ。
「度胸試し。なんか幽霊が出るとか噂の池があるんだってさ」
「ふーん」
興味がなさそうに肩をすくめる。明楽も立ち上がらないことから、行く気はないのだろう。
「もし来るんだったら、北棟の裏だからねー」
「はいはい、気を付けて」
美織が手を振って見送る。室内で起きているのは美織と明楽だけになって、一瞬静寂が下りる。
「そういえば、ちゃんと話すの久しぶりだな」
「おばさんと時々お茶はしてるけどね」
「聞いてる」
幼馴染といっても、幼い頃はともかく、ある程度成長すれば自然と別々になっていくものだ。性別が違えば尚更微妙な距離感が生まれてしまう。
「で、どっち?」
唐突な美織の問いに、明楽は意味が分からず眉根を寄せた。
「何をどう比較して?」
「ツヅラハラちゃんとツゲノちゃん」
両手の人差し指をそれぞれ立てて、美織は左右に振る。それを目で追って、明楽はますます顔をしかめる。
「二人が何?」
「どっちが好きなの?」
「……は? どういう」
意味だ、と言いかけた言葉が出なかった。
美織が身を屈めたかと思うと、ベッドに座る明楽の膝の間に片膝をついた。
「……美織さん?」
不穏な空気を察して、明楽は引き攣った笑みを浮かべる。美織の唇は柔らかく笑んでいたものの、瞳は笑っていない。退路は後ろにしかなく、下がろうとしたせいで体勢は不安定になった。美織に肩を押されて、簡単に倒されてしまう。
薄暗い二段ベッドの下、美織は明楽の片足を跨ぐようにしてベッドに乗ると、明楽の肩に手をついて動きを封じて、何事か言おうとした明楽の口を唇で封じてしまった。
それから何事もなかったかのように体を起こして、感情を見せない瞳で明楽を見下ろす。
「……いや、どっちが好きかって聞いておいてその行動はおかしいだろ」
事態が飲み込めず、乾いた笑みがこぼれた。美織は明楽が宵待か日菜子を好きだと思っているのか。
「は……? どういう、こと? お前って、兄さんのことが」
「おやすみ」
明楽の疑問にはまったく答えることなく、美織は部屋を出て行った。事態を説明できる唯一の人物がいなくなって、明楽はどうしようもなくなる。
「破廉恥だぞ」
「ちょっと、宗一朗さん!? 起きてたなら助けてよ」
上のベッドからした声に、明楽は慌てて起き上がる。寝ていたはずの宗一朗が、寝起きのぼんやりした顔であぐらをかいて座っていた。
「今の何!?」
「だから、明楽のことが好きなんだろう?」
「いやいや、ないって。あいつが好きなのは俺の兄の方のはず」
「はず、なら確かめたことはないんだな」
「だって、あいつの好みから全部外れてるし」
「明日はお赤飯だな」
「妙な気を回すな!」
顔を覆って俯いた明楽に、宗一朗は斜め上に視線を外して問う。
「明楽は美織君をどう思ってる?」
「そういうふうに見たことがない。明日どうやって顔合わせればいいんだろ」
「満面の笑みで」
「やだ、すごい浮かれてる」
午前中、釣りをしている最中に美織から見られているような気はしていた。てっきり、高身長で顔もずば抜けて整った宗一朗を見ているのだと思っていたのに。
「――いや、真意がわからない。下手に考えるのはよそう」
「寝るか」
「うん、そうする」
もう読書する気も起きない、と明楽はのそのそとベッドに上がる。ややあって、明楽は不満げに目を開けた。
「広い部屋の中、たった二人でベッド上下で寝てるって、なんか嫌だな」
「縦軸で言うと一緒に寝てるようなものだしな」
「余計嫌になること言わないで!」
突然寝ようと思って寝られるはずもなく、明楽は深々と溜め息をついた。
気を使ったのか、宗一朗がぽつりと言う。
「しりとりでもするか」
「もっと建設的な遊びがいい」
「引導を渡してやろう、この手でな!」
「なに……え、これ始まってる?」
「瑠璃硝子の夜の惨劇」
「どんな夜に何が起きたんだ。ルールどうなってんの」
結局、無駄な会話で時間は過ぎていく。
寝静まった部屋の中、日菜子はうとうとと夢現の境目にいた。すぐ傍に、宵待の寝息を感じる。
消灯時間から少し経った後、眠れずにいた日菜子は同じく眠れずに寝返りを打つ宵待に気付いて、上から覗き込んで同じベッドに呼んだのだ。しばらくはひそひそと話していたけれど、そのうち宵待は眠ってしまった。
(やっぱり、不安だったのかな……)
宵待は自分でも寝付きが悪いと苦笑していた。やっと眠れたようでよかった――と思ったのに、宵待の小さな声を聞いた。
誰かを呼ぶような微かな声。泣き声に似ていた。目を開けると、宵待は苦しげに眉を顰めている。
「宵待ちゃ――」
揺り起こそうとした時、白い手が伸びた。何度か宵待を撫でる。そのうち、彼女の顔は安心しきった子供のような穏やかな寝顔に変わった。
「…………」
枕元に腰掛けた千歳が、日菜子に小さく笑む。静かに、と唇の前に人差し指を立てた。日菜子は頷いて、宵待と千歳を見つめる。
千歳の慣れた仕草を見ていただけで少しだけ鼓動が早くなった。彼は宵待が人知れず苦しむ夜も、こうして傍についているのだろう。宵待を大事にする千歳の心が、手の優しさに現れているようだった。
ほとんど夜の中に溶けていきそうな小さな千歳の声が、子守唄のような旋律を奏でる。
誰かを探し求めるようにぱたぱたと彷徨った宵待の手が、千歳の手を握った。千歳の横顔が静かに微笑む。
結ばれた二人の指を見て、日菜子は目を閉じた。
「よーし、目指せ優勝だー!」
「おー」
翌朝、相変わらず元気な宵待と日菜子の隣で、美織は眠そうに欠伸する。
「ツヅラハラさんは昨日より元気そうね?」
「よく眠れた」
「良かったわね、良い子良い子」
ピースサインする宵待を美織がぞんざいにあしらって頭を撫でたけれど、宵待はまんざらでもないように笑みを見せた。
班の一同を見回して、宵待はおやと気付く。明楽が宗一朗の真後ろに立って、ほぼ隠れていた。
「どうしたの、明楽」
「いろいろと試行錯誤した結果、こうなった」
「そっか」
あっさりとした会話の後、明楽は美織の方を窺う。彼女は昨日から何の変化もなく、また欠伸をかみ殺している。気まずいのは明楽ばかりのようだ。
各クラスの担任教師から拡声器で号令がかかり、ぞろぞろと生徒が広場へ移動する。
宵待と日菜子は教師陣の中に養護教諭の沢井を見つけて手を振った。いつもの白衣ではなく自前らしい小豆色のジャージ姿の沢井が、にこにこと笑って手を振り返す。
ジャージを着ていてもどこかよれっとした相沢が、眠そうに四組の生徒らの前に立つ。誰かが教師陣は昨夜は宴会だろうと言っていたのは当たりらしい。
「コースにはロープが張ってあるから、それを辿って進むように。むやみに道から外れて藪の中に入るなよ」
再度注意事項の説明があって、宵待はにわかに緊張する。
「もし何か出ても心配するな。俺が何とかする」
斜め後ろに立っていた宗一朗がぼそりと言う。頷く宵待に宗一朗も頷いて、日向については、と心の中で付け足す。昨日の調子では、影に入った時に何かあれば、それは宵待の守護者の領分となるだろうから。
(宵待君も本当に厄介な生まれだな)
守る存在があるとはいえ、今後が心配ではある。
白峰の家に残る伝承には、魔物を呼び込む性質の者が村を滅ぼしたり、幽閉されて一生を終えたり等という穏やかでないものもある。
どうにかその特異な力を封じられれば――と考えていた時に、出発を知らせる鐘が鳴った。
「話聞いてた?」
宵待に袖を引かれて、宗一朗は頷く。
「ああ、魔物を退治しに行くんだろう」
「どこにだ。うちの班はCコースの五番目スタートだって」
「承知した」
全員スタートとゴールは同じでも、途中のコースはいくつかに分かれていて、さらに各コースの班のスタートも数分刻みでずらされている。宗一朗がぼんやりしている間にコースを決めるくじ引きが行われていたらしい。
明楽は、目を細めてどこを見ているやら少し離れて佇む美織に気付いて、迷いながらも近づいていく。
「相変わらず、朝弱いみたいだな」
「まぁね」
「どうせ朝食べてないんだろ」
「少しは食べた」
「果物とヨーグルト? だろ」
笑った明楽を、美織の目がじっと見つめる。
何かを見極めるようで、咎めるようでもある、強い目だった。気付かないふりをするには少々厳しいものがある。けれど、明楽は笑って受け流した。昨夜の一件を自分から問い質すには恐ろしく、逃げるのもまた美織の影が濃くなるようで更に追い詰められる。現状維持が正しい、はず。
やがて、美織の方が先に目を逸らす。態度としては、昨夜の事件の前までと変わっていないのだから、明楽もひとまず忘れることにした。
考える時は、すぐそこに迫っていることは知らずに。
「宵待ちゃん、大丈夫?」
出発して二時間ほど、振り返りながら歩く日菜子は汗ひとつかいていない。
一方の宵待と美織は既にばてている。歩きづらい急な山道に加えて、山の各所に作られたアスレチックの課題がなかなかの難関だった。木が複雑に組まれた櫓のような建物を上ったり、川の上かかる幅の狭い吊り橋を渡ったり、蜘蛛の巣状に組まれた太いロープを上ったり等々、童心に帰っている場合でなく割と本気で取り組む必要がある。
宵待がどうにか乗り越えられたのも、不可視の手助けがあったからだったけれど、それに気付いたのは宗一朗と日菜子だけだ。
「体弱そうに見えて、随分元気なのね、あの子……」
息を弾ませながら言う美織に、宵待は何とか頷く。声も出なかった。日菜子はおそらく鬼神の血のため、宗一朗は並み以上に鍛えているため、明楽はバスケットボール部であるため、体力に何の問題もない。
「ちょっと休憩しようか」
明楽のありがたい提案に、宵待は挙手する。しっかり同意と取ってもらえて、休憩場所に選ばれた木陰まで日菜子が押してくれた。木に寄りかかって手足を投げ出して、体力回復に努める。
宵待が目を閉じている間、色濃く繁る木の上から折れた枯れ木が次々と落ちてきて、全弾過たず宗一朗の頭に当たった。正確には頭頂部のただ一点だけに。自然落下にしては、随分と意思を持った枝だった。一つ一つの攻撃力は低いものの。
「雨垂れ石をも穿つが如く」
「……痛いのですね、宗一朗様」
重々しく言う宗一朗に、日菜子は視線を上げた。どこにいるのか、宵待の守護者の姿は見えない。
「申し訳ありません。次は小まめに休憩を取るようにいたします」
宗一朗が深々と低頭すると、枝は落ちて来なくなった。気を遣えない宗一朗への非難はひとまず収まる。日菜子は宵待を日程表で扇ぎながら、正座する宗一朗の周囲に不自然に積もった枯れ木を見つめた。火刑の準備に見えないこともない。
「もう少し進んだら昼休憩にしよう」
復活した美織を連れて傍に来た明楽が提案しつつ、宗一朗を見て眉根を寄せた。
「どうした、焚き木でもする?」
「季節ではないからやめておこう。ちょっとした怒りの鉄槌を受けた」
「大自然を敵に回すと怖いぞ」
宗一朗の言葉に淡々と返す明楽もなかなかだな、などと日菜子が思っていると、宵待が体を起こした。すっと立ち上がって、勢いのまま頭を下げる。
「ごめん、もう大丈夫。行こう」
「……無理しないで」
座ったまま上目遣いに窺う日菜子に、宵待は照れ笑いのような微笑を浮かべた。
「ん、ありがとう。落ち着いたから平気」
宵待は頬に手をあてて、視線を逸らす。
「なんかこう……傍にいてくれるような、安心感が……そ、それじゃ駄目なんだけど!」
誰が、とは言わずともわかる。宗一朗と日菜子はそれぞれ、宵待達の繋がりの強さを感じて小さく笑う。そして、宵待が想う彼は気のせいではなく確かに傍にいる。
「では、行こうか」
宗一朗が促して、再び出発する。休憩する前は宗一朗と先頭を歩いていた明楽が最後尾についた。宵待が足を滑らせると即座に手を伸ばして支えてくれる。
「あ、ありがとう」
「いいえ。前向いて歩いて。さすがに転がったら拾えないから」
「うん、気を付ける」
そんな二人のやり取りを、美織が僅かに振り返って見ていた。




