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1-1 気を付けて、宵待さん


 少女――黒葛原(つづらはら)宵待(よいまち)は、その部屋の中に一人で座り込んでいた。

 昼過ぎ、遺品の整理をしようと祖父の部屋に入ったものの、作業は少しも進まずに時間だけが過ぎていった。

 窓の前に置かれた大きな机には、今もまだ祖父が座っているような気がする。壁の一面は本棚になっていて、祖父がそこに立って本を選ぶ姿はまだ鮮明に記憶されている。この部屋だけではない。まだ家のそこら中に祖父の気配が残っていた。


「まだ一週間だもん……当然か」

 独り言ちる。声を出してみても、それに答える者は誰もいない。静まり返る室内に、余計に孤独を見せつけられた。

 あまりにも突然のことで、葬儀を終えた今になっても実感はわかない。また涙が込み上げて、ぐっと胸元を抑える。嗚咽が漏れそうになった時、外の騒ぎが耳に入って顔を上げた。いつの間にか外には夕暮れの赤みがかった金色の光が広がっている。

「おばけ屋敷ー!」


「……またか」

 子供の声に立ち上がって、バルコニーに出る。道に面した門扉の前に、学校帰りらしいランドセルを背負った小学生が二人立っていた。

「うわ! おばけ屋敷から黒魔女が出て来た!」

「誰が魔女だ! 早く帰りなよ、真っ暗になるよ」

 古めかしい洋館は、子供達にとっては『おばけ屋敷』に見えるらしい。表札の『黒葛原』は子供達には読めないらしく、ここに住む宵待は『黒魔女』などと呼ばれていた。

 庭は花と草木に覆われていて、整えるよりも森の一角のようにしたいという祖父の意向で、余計に魔女の庭感が増しているかもしれない。


「おばけ屋敷にゾンビわいてるぞ!」

「魔女の手下だ! 逃げろ!」

「……え?」

 そんな手下を持った覚えはない。思わず庭を見回すと、玄関から門に続く石畳の横手、生垣に頭を突っ込む形で人が倒れていた。バルコニーからは背中から下しか見えない。喪服のような黒い服が、これから訪れる夜の影のようだった。

「うそ、いつから――あの、大丈夫ですか!」

 大声で呼びかけてもピクリともしない。宵待は慌てて部屋に引っ込んで、階下へと走った。

 庭の奥で黒い影がもそりと動いたことには、気付かないまま。


「し、死んでないよねぇ!」

 玄関の扉を開けて外に飛び出したものの、そこに先ほど倒れていた人物の姿はない。最初から何もなかったかのように、忽然と消えていた。

「気のせい……? や、でも、子供達も見てたし……」

 庭を見回しても、何の異変もない。しばらく佇んでいたけれど、誰が現れる気配もなかったため、宵待は家の中に戻った。ここまで移動する間に起き上がって去ってしまったのだろうか。


 その時、またも宵待は気付かなかった。庭の奥の茂みの向こうに、動くものがある。

 赤黒い肌の人型の何か――物語に出てくる鬼のようなものが、四肢をびくびくと震わせていた。その首のあたりに、黒い影が覆いかぶさっている。それは、先ほど庭に倒れていた黒い衣装の人物だった。白い喉が何かを嚥下して動いている。鬼の首元に食いつく唇の端から真紅の血が一筋垂れて、白貌を汚した。


 しばらくして、黒い衣装の人物が体を起こす。手の甲で口元の血を拭い、顔を上げた。金色の瞳が細まる。視線の先には、夕刻を迎えて窓から明かりが漏れる家。

「危なっかしい子ですね」

 囁くような声は、嘲るように冷ややかだった。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 雨が降っていた。

 暗い室内には、ひとりぼっちの宵待の姿があるのみだ。

 宵待が向かい合う仏壇には、彼女が生まれるずっと前に亡くなった若い祖母の古い写真があり、その隣に真新しい写真立てに入った祖父の写真が並んでいた。

 宵待の唇が小さく動くけれど、静かな雨音にさえ遮られて聞こえない。

 やがて宵待は蹲って動かなくなった。

 ただ、雨が降り注ぐ。



 今年の春は、なかなか暖かくならない。

 相変わらず雨に煙る校庭にも春の訪れは遠く、桜の花も開ききっていなかった。

 宵待は頬杖をついて、どこを眺めるでもなく、窓の外に目を向けていた。新品の紺色のセーラー服はまだ体に馴染まず、少し大きい。


 授業が始まる前の時間、教師が現れていない教室は生徒達の声でざわついていた。

「ねぇ、また消えたんだって」

「隣町の話でしょ? これで何人目?」

 宵待がふと意識を教室内に向けたのは、窓の近くの枝から鳥が飛び立ったことに驚いたためだった。枝葉を湿らせていた雨粒が、さあっと落ちて行った。


 女生徒達が話しているのは、最近この界隈で少女らが行方不明になっている事件のことだ。登下校の途中や友人宅を訪ねる途中など、彼女らは姿を消してしまった。

 それが誘拐事件であるのか、自らの意志で家出したのか、明らかになっていない。いずれの少女も交友関係の狭い、真面目な少女であり、家出は考えづらいと言われていたけれど――。

「怖いよねー」

「次はあんただったりして!」

「やめてよ!」


 女生徒達は明るい声で笑って、話題を転じてテレビで見たドラマやアイドルの話に興じる。たとえ事件が起こっていても、実際に関わらなければどこか遠い話なのだ。学校からも一人では行動しないようにと言われるのみだった。


(あの人……)

 宵待はぎゅっと手を握って、視線を俯けた。

(誰なんだろう)

 近頃、家の周囲で視線を感じたり、黒い人影を見たりするようになっていた。はっきりと姿を見たことはない。遠くから窺うように、観察するように、何かが見ているだけ。

 降り続く雨で視界が狭く、不安が駆り立てられた。

 今日も雨は、降り続く。



「ええっ、あやしい人がいるって……絶対近づいちゃ駄目だからね!」

 ぽつりと友人にもらすと、案の定彼女は驚いて、宵待の手を握って目を合わせた。

「うん、わかってる。心配してくれてありがとう」

「当然だよ。友達なんだから」

「うん、あなたがいてくれてよかった」

 友人はにっこりと笑って、宵待を抱きしめた。

「大事な宵待。気を付けてね」



(もうこんな時間――)

 アルバイトから上がる時間が大分遅くなってしまった。珍しく混んでいたために長引いたのだ。外は暗闇に沈んでいる。

 雨は小降りになっていた。傘を差して走っても、濡れは気にならない程度だ。

 繁華街を抜けると、突然歩道から人の姿が消えて静かになる。外灯もまばらで、真っ暗になる間隔が大きくなっていった。そんな時に限って、少女達の行方不明事件を思い出してしまう。


 気が急いていたせいか、足首に何かがあたって躓く。転ぶことはなかったけれど、数歩たたらを踏んで傘を取り落した。ちょうど外灯の光が届かない、暗闇の中。

「……?」

 右足が引っかかる。何かが絡んでいるようだ。暗くてよく見えない。

 ――よく見えなかったけれど、道の端で何かが動いた。近付いて来ているような気がした。

 無理やり足を引いて、身を翻して走り出す。


 次の街灯の下で立ち止まって振り返る。傘を拾ってくるのを忘れてしまった。ここから見ても、先ほどの場所に何かを確認することは出来ない。

 諦めようか、と進む先に視線を戻した時、足元に後ろから影が伸びていることに気付いた。先程、誰もいないことを確かめたばかりなのに。


「――っ」

 息を呑んで勢いよく振り返ると、目の前に白い貌が浮かんでいた――と、見間違えるほどに、黒い髪と黒い服の人物。精巧な作り物のように端正な顔をした青年だった。その手に、宵待の傘がある。

「こんな時間までふらふらと、感心しませ――」

 切りつけるような冷えた声が、中途半端に途切れた。宵待への嫌悪か、怒りか、あるいはその両方か、青年は顔を顰めたまま、動きを止めている。


「あ、あの……?」

 宵待は先ほどの恐怖の名残で震える声で、何とか話しかけてみた。青年は顔を逸らして、片手で口元を覆い、もう片方の手に握った傘を差し出してくる。よほど話したくなさそうだった。

「ありがとうございます……」

「早く、帰りなさい。遅くならないように」

「え、あ、はい」

 罠を恐れるようにそっと手を伸ばし、傘を掴むと慌てて離れる。頭の中にあるのは、時々家の周辺で感じる視線と、黒い人影。青年の姿は、黒い。


「気を付けて、宵待さん」

「――えっ」

 何故、名前を知っているのか。

 驚いて振り返ったが、外灯の下には人影もない。走っていったとしてもあまりにも速すぎるし、隠れられるような場所もない。


「…………」

 宵待はぞくりとして衝動的に駆け出して、家に着くまで一度も止まらなかった。玄関に入って鍵をかけて、荒い息をつきながら座り込む。

「……ただいま、おじいちゃん」

 祖父のいない家。けれど、不思議と祖父の気配がする気がして落ち着いた。まだ守られていると、感じていた。そう、信じたかった。

 宵待は微苦笑して、目元を擦って立ち上がる。これからは、一人の家に慣れていかなければいけないのだから。



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