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3-3 妖異のくせに人間のふりをするな


「席替えはどうでしたか」

 お帰りなさいとただいまの挨拶を終えて、千歳(ちとせ)の一言目がそれだった。回避不可能だ。

「えっと、隣の席の人はお休みで、通路挟んで隣の人は白王子だった」

 宵待(よいまち)は端的に言ってみたものの、我ながら意味が分からない。案の定、千歳は首を傾げる。

「王子って、男子ですか」

 気になったのはそこかと、宵待は内心ほっとする。千歳は安定の千歳だった。


「うん。金髪で青い目だった。名前は純和風でね」

「黒魔女と白王子って対みたいじゃないですか。僕というものがありながら、そんなカップルみたいな名前は許しませんよ」

「どこがカップルだ。千歳がわたしの何だっていうの。っていうか、何で黒魔女って知ってる!」

「近所の子供が言っていたので――不愉快なら僕が黙らせましょうか」

 天使のような優しげな微笑で言う。


 冗談だろうと受け流そうとしたけれど、千歳なら何かやりかねないと、はっきりと首を振る。

「いい。何も、しなくて、いい」

 そういえば、初めて庭で倒れる千歳を見かけた時、子供達が黒魔女と騒いでいたなと思い出す。

 あの時、千歳は久々に外に出て貧血のような状態になっていたらしい。しばらく食事しなかったのが原因だとさらりと言われたけれど、それはやはり千信(ちあき)のことが心因性の病を引き起こしていたのだろうか。


 宵待は背伸びして千歳の頭をぽんぽんと撫でてから、階段に足をかけた。唐突な宵待の行動に、千歳はきょとんとしている。

「何です?」

「別にー。着替えてくる」

「手伝いますよ」

「……そこから一歩も動くな。絶対だ」

 低い声で言ってから中ほどまで階段を上がった時、

「皆さんと仲良くできそうですか?」

 柔らかい声で千歳が言う。


 宵待は足を止めて振り返った。千歳は言われた通り、階段の下に立ったまま微笑んでいる。

「頑張る」

 良いとも悪いとも言わず、前向きな発言をしてみる。

 千信はあまり宵待の学校生活を心配せず、無理なら無理でいいと言うような人だったから、保護者のために虚勢を張るというのは初めてのことだった。別にこの場限りの嘘だとか、千歳を信用していないとか、そういうわけではない。気遣ってくれる千歳を安心させたかった。

 そして、万一にも千歳が白王子らに手を出すことがないようにしたい。宵待が彼らと喧嘩でもしようものなら、千歳判官は問答無用で宵待以外を罰しかねないからだ。

 千歳は宵待をじっと見つめた後、はいと、微苦笑して頷いた。



 祖父の部屋は寝室としてしか使っておらず、着替えや支度は元の自分の部屋でしている。用途の違う部屋を複数持てるとはなかなかの贅沢だった。

 脱いだセーラー服をぽいぽいとソファの背もたれに放って、私服をクローゼットから取り出す。長袖の薄いニットを頭から被ったところで、宗一朗(そういちろう)の憎むような目を思い出した。


(今まで話したこと、なかったはずだよね)

 何かしただろうか、とここ一ヵ月の行動を思い返してみるも、やはり金髪の少年など見た覚えはない。何かをした上で忘れているなら最悪だ。

(聞いてみる? いや、本当に何かしたくせに忘れて、わたし何かした? なんて聞いたら無神経すぎるぞ。そもそも話しかけるところが難題だ。ちょっと、気を付けてみる……?)

 うーん、とこめかみに指をあてて唸る。


「制服はちゃんとハンガーにかけないとシワになりますよ」

「あ、ごめん」

「脱いだらすぐに片付けないと」

「それはわかったけど……何でいる」

 いつの間にかソファの背もたれに寄りかかる千歳がいて、無表情で振り返る。早速、制服を拾い上げて手入れなど始めていた。普通に会話しかけたほどに自然に入って来ないでほしい。


「一歩も動くなって言ったでしょ!?」

「遅かったので大丈夫かなぁと」

「遭難しかけたら呼ぶから、良い子で待て! 元の場所で、ステイ!」

「……宵待さん」

「何だ」

 真面目腐った顔で呼ばれたものだから、思わず答えてしまう。


「ニットに靴下のみってマニアックすぎます」

「これから穿くんだ! 早く出てけ!」

 ニットの裾を掴んで喚く宵待が手に当たったハンガーを振りかぶって投げると、千歳は危なげなくキャッチして制服の上に置いてから姿を消した。

 宗一朗に抱いた危惧など忘れて、手早く着替えを終えて制服を片付ける。全く、着替え中に部屋に入って来るなど説教せねばなるまいとドアに向かおうとして、はたと止まった。

 何かと宵待にちょっかいを出す千歳だけれど、こんなことは初めてだった。


(――あれ、もしかして)

 心配させてしまったということか。宵待の気遣いなど、当然のように読まれている。部屋への無断侵入は改めて叱るとして、その点についてはどうするべきか。思い悩んで時間が経てば、また様子を見に来るかもしれない。とりあえず、階下に行かなければ。

 考えながら階段まで行くと、千歳が背を向けて下の方の段に座り込んでいた。膝に肘をのせて頬杖をついている。リビングにいるだろうと思ったら、あまり時間は稼げないようだ。


(まずは……)

 第一の行動を決めかねて階段を下りていたら、見事に踏み外した。大した落下でもなく、千歳におぶさるような形で止まって、強か打った膝が痛い。

「大丈夫ですか? ダイナミック帰還ですね」

「……ごめん。でも今度勝手に部屋に入ったら日干しにする。ごめんなさい」

「殺害するけどごめんなさい許せということですか」

 まず、落ちてぶつかった謝罪。次に部屋への侵入に対する処罰。そして、心配させてごめんなさい、という内訳だった。


 ぎゅう、と後ろから千歳の首元に回した腕に力を込める。

「膝が、痛いので、しばらくこのままにしておいて」

 宵待は行動の説明――または言い訳をしておいて、体重を預けたまま寄りかかる。

「はい」

 答えた千歳の声は優しかった。笑いを含んだ甘やかな声に、気恥ずかしくなる。だから、冗談でごまかす。

「その返事は、日干しを受け入れるということでいいか」

「それはちょっと全力で拒否させてもらいます」


 ぽんぽんと、労わるように腕を撫でられて、宵待は胸のあたりがぎゅっと苦しくなる。自分が慰められていては意味がないのに、千歳のくれる慈しむ優しさが嬉しかった。

(本当に、ずるい)

 心配させないように、本当に頑張らないといけない。相手は、虚勢など見抜いてしまう千歳なのだから。

 これで妙なところがなければなぁ――と思った矢先に、手を取られて口付けされた。過度なスキンシップに慣れる日は、到底訪れない。



「おはよう、黒葛原(つづらはら)さん」「……お、おはよう。白星(しらほし)……君」

「黒葛原さん、次の授業、一緒に行こう」「うぇ!? ……はぁ」

「黒葛原さん、お昼はお弁当なんだね。自分で作るの?」「イエ……」

「黒葛原さん、昼休みは図書館で過ごすの?」「ぅわ!? うん……」

「黒葛原さん、小テストの結果どうだった?」「それなりです……」

「宵待さん、これから帰るの? また明日」「お、おう……ソウイチロウ君、また……」


 昇降口へ向かう階段を下りながら、宵待はかつてない不安に襲われていた。

 それは勿論、宗一朗のせいだ。

(何なんだ、あれ……こわい)

 席替えから一週間ほど経った。これほどまでに急速に距離を詰めてくる人間など初めてだ。ちなみに千歳はカウント外である。

 何か危険な類の奴だ、と結論付けて警戒心を最大に引き上げた。顔の良さで無罪になったりはしない。

(明日から近付かないようにしよう)



 ――と心に決めたのは、遅すぎた。

 今、宵待は体の自由を奪われて、思う。

 窓のない暗い部屋の中、闇に慣れたところで目はほとんど物を認識しない。埃っぽい床に座ったまま、後ろ手に縛られた手首の痛みに耐える。細いロープらしく、少しでも動けば食い込んで皮膚を削った。棚か何かの支柱に縛り付けられているらしい。


「そろそろ白状したらどうだ」

 ぎしりと、パイプ椅子が軋む音がした。部屋の隅に、宵待を捕らえた人物が座っている。

 近道にと体育館脇を歩いていた時に、背後から衝撃を受けて、気付いたらここにいた。

(こっちが本性ってこと?)

 喋り方は全く覚えはないけれど、声は覚えている。

「白星宗一朗……何のつもり?」


「しらばっくれても無駄だ。妖異のくせに人間のふりをするな」

「――は?」

『ヨウイ』という言葉は脳内で漢字に変換されなかったけれど、何かおかしな勘違いをされていると理解するには「人間のふり」という言葉で充分だった。今、宵待が浮かべる蔑みの表情を明るい場所で見せてやりたい。

「演技しても無駄だ。貴様の邪悪な気配、俺の目には隠しきれんぞ」

(……なんか、めんどくさぁ……)

 身の危険よりも先にそんなことを思う。芝居がかった台詞が何とも。


「生まれてこの方、ずっと人間なんですけど」

「そんなはずはない! 深淵の闇を見つめてきた俺にはわかる」

「その闇に飲み込まれろ」

 ぼそっと言うと、椅子ががたんと鳴って、足音が近づいて来た。ぐいと乱暴に襟元を掴み上げられる。

 間近に白い火が灯り、ぼんやりと宗一朗の姿が浮かび上がった。常に優しげに微笑んでいた瞳は冷えて眇められ、薄い唇から心底憎んでいるような鋭い舌打ちが漏れる。


 宗一朗の目を見ていられずに、視線を下げる。周囲には棚がいくつか並び、ダンボールが複数積まれている。どこかの倉庫のようだった。

「魔物め。酌量の余地を与えてやったのに――このまま焼き尽くしてもいいんだぞ」

 ここ数日、穏やかに話しかけてきていた声は低く、隠しもしない殺意が滲む。

 幽鬼のように揺らめく火が、ゆっくりと間隔を狭めて、宵待に迫った。


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