第2章 1 光の庭
【第2章】
1
眩い日差しの降り注ぐ庭には、香りのいい花々が一斉に咲き誇っている。
光を集めたような金色の髪をした幼い少女は、白い敷石で作られた小道に立ち、うっとりと目を閉じて、小さな胸いっぱいに、あたりの空気を吸い込んだ。
「いい、におい!」
深々と息をつく。
「ここは、律皇さまの薬草園でございますから」
側に控えていた女官が言う。
「おとうさまの?」
少女の青い目が、ひときわキラキラと輝いた。
身の回りの世話をする女官たちに付き添われて、その日、六歳の誕生日を迎えたばかりの少女は、初めて庭に降り立った。
中庭のことを女官に聞いて以来、ずっと憧れていたけれど、これまでは、そこらじゅうに石が置かれていたり敷石の上で転んだら大変な一大事だし、まだ小さすぎるからと止められて、庭には出してもらえなかったのだ。
今日からは、違う。
女官たちもフィオンを止めることなく、見守っている。
「さあ、皇女さま。まっすぐにお進みなされませ。お父さまがお待ちでございます」
「ほんとう?」
透き通るように色の白い、少女の頬が、ぽうっと上気した。
ごく淡い、春の空のような青を宿した瞳は、幸福そうな笑みをたたえている。
高貴な生まれにふさわしく、肩の上できちんと整えられた明るい金髪は、絹糸のように細く、艶やかな光沢があった。
大好きな父親が、白い小道の先に待っていると知らされて、嬉しくてたまらず、小さな身体をはち切れそうな喜びでいっぱいにしながら駆け出した。
「あっ、皇女さま」
「なんて速さでしょう。おみ足に羽でも生えていらっしゃるのでは」
「お健やかでいらっしゃいますもの」
弾んだ足取りで少女が駆けていく後ろ姿を見やって、女官たちは、慌てながらも、嬉しそうに言い合った。
精霊宮の『内庭』に在る者たちにとって、小さな皇女は最大の希望の星で、自慢の姫君なのだった。
父である律皇アルギュロスは、自分が五十歳にして授かり、生まれたときに母親を失った一人娘を、目の中に入れても痛くないほど可愛がっていた。
風のように、金髪をなびかせて皇女が走っていく。
身につけている服は、大陸の東にある都市から運ばれてくる、肌触りのいい貴重な純白の絹織物で仕立てられたものである。
元気いっぱいで好奇心に溢れ、身体を動かすことが大好きな皇女の性質に合わせて丈は短めに作られている。皇女はその服で遠慮なしに走り回るから、膝こぞうも細い足も剥き出しになっている。
道の突き当たりに、お父さまはいた。
両腕を広げて、腰をかがめて、皇女が駆けつけるのを待ち構えている。
「おとうさま!」
小さな身体が地面を蹴って、そのまま律皇の胸に飛び込んだ。
「おいで、フィオンや! お誕生日、おめでとう」
相好を崩してアルギュロスは娘を抱きしめ、滑らかな金髪を撫でる。二十代の若さで亡くなった母親の面差しが、この一人娘には明らかに受け継がれていた。
「おとうさま、すてきな、おにわね。とってもいいにおい」
「そうか、そうか。何か感じるかな」
「ええっとねえ」
フィオンは愛くるしい顔に、少し困ったような表情を浮かべた。
「……いろんな、おはなや、おくすりになる子がいるのね。みんな、おみずがほしい、みたい。すこし、じめんがかわいてきたんだわ。それに、さびしがってる子も」
「たいしたものだ。その通りだよ」
アルギュロスは、ふと真剣な眼差しになって、娘を見やった。
「おいで。おまえはやはり植物の室の者だね。実は、ここを世話しているのは私ではないのだ。この中庭は、おまえの母上のものだった。今は、かわりに大学院の植物室の教授に世話を頼んでいる。私は鉱物室の出なのでね」
「こうぶつしつ?」
愛くるしい、くりくりとした青い瞳でフィオンは父を見上げる。
「そんなことはどうでもいいのだ。さあ、こっちへおいで」
父はフィオンを抱き上げて庭の奥へと運んでいった。
やがてたどりついたのは、銀色の細い金属の柵で囲まれた、小さな区画だった。
「ここはなにも、はえていないのね」
「おまえがこれから植えるのだよ」
アルギュロスはフィオンを地面に降ろした。
「フィオンが? どうして? ここは、フィオンのなの?」
この上なく優しい、慈愛に満ちた表情で、アルギュロスは娘を見つめていた。
「この庭はおまえにあげよう。自分で考えて、好きなものを植えて育ててごらん。母上がそうしていたように」
「ほんとなの。ほんとに、フィオンのおにわね!」
嬉しさのあまり、フィオンはぽんぽんと何度も飛び上がった。
「ありがとう、おとうさま!」
飛び上がって父親に抱きつき、金色の顎髭に、小さな唇を押しつける。
「フィオン、おにわをとってもたいせつにする!」
父と娘は幸福に満ちていた。精霊宮も、その庭も、そこに住む者も、仕える者たちも、全てが等しく、輝かしい光に包まれていた。
第1章より少し前の話です。