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第3章 1 旅路の3人


【第3章】


              1


 大陸の北では、そろそろ夏の盛りを越えようという頃、ここ、南部地方では、更に蒸し暑い日々が続いていた。

 干し草を山と積んで、メリオルは荷馬車を走らせていた。


 メリオルは三十五歳で、健康な働き盛り。

 夫と共に農場を切り盛りしている。

 人を見る目はあると自負しているが、最近、使用人には恵まれていない。

 近頃の男どもは根性が無いというのか、仕事を求めて彼女の農場にやってきても、ほんの数日で音を上げて出ていってしまうのである。

 だから春先から売ると約束していた子牛を引き渡すのに、彼女自身が馬車を駆って出向いて行くことになったのだった。

 帰りは空荷なんて考えられないから、干し草を分けてもらって詰め込んできた。

 午後の日差しが、農道に落ちる荷馬車の影を長く延ばしていく。


「おーーい」

 行く手に、誰かが手を振っているのが見えた。

 精悍な赤毛の少年が、こちらに走ってくる。

「あら、ちょっといい男」

 ひとりごちて、メリオルは手綱を引いた。

 馬は大きく息を吐いて、ゆっくり止まる。


「どうしたの。困ったことでも?」

 十八歳くらいだろうとメリオルは見当をつけた。

 残念なことに彼女の好みには少しばかり若すぎたが、実直そうな、好感を持てる印象の若者だった。

 背負っている大きな荷物と、砂塵を浴びてうす汚れた外套が目についた。長い旅をしてきたのだろうと思われる。

「こんにちは」

 赤毛の彼は爽やかに笑った。

「この道をまっすぐ行かれるんですか?」

「そうよ。ファラクロスの街に向かってるの。そこの郊外にうちの農場があるの。日暮れまでに着く予定だけどね」

 後ろの方にいる、連れらしき二人の人物を振り返る。

 彼よりかなり遅れて必死に歩いてくる二人連れ、そのうちの一人は、栗色の長い髪をした、十五、六歳くらいの美少女だった。かわいそうなくらい、よれよれで、疲れ切っているように見える。

 もう一人は金色の短い髪で、やたら白っぽい、という印象だった。

 はて、美少女か、それとも美少年か?

 これは判断に迷った。というのは、人にしては不思議に見えて、むしろ精霊ではないかと思えたからだ。

 しかし、少し猫背なところを見ると、精霊ではないかもしれない。

 全体に華奢な身体のつくりで、殊に肩は薄い。

 体重も厚みもないかのように、佇んでいるのだ。

 特筆すべきは、外套も金髪も顔も、砂ぼこりをさんざん被っていそうなのに、その美しさはまったく損なわれていないということ。


 その白い人物は、赤毛の少年に向かって何やら大声で怒鳴っていた。

「キース! お仕事中の馬車を止めてどうするんだ!」

 赤毛の少年はキースという名前らしい。

 怒鳴られている事はいっこうに苦にしない様子で、彼はメリオルに笑顔を向けた。

「すみません。街までとは言いません、途中まででいいので、あの二人を乗せてやって頂けないでしょうか」

 メリオルは快く承諾した。

「いいわよ! あたしも街まで帰るところだし。荷台は干し草だから、干し草まみれになってもよければね。だけど、あの綺麗な子、怒ってるけど、いいの?」

 彼女は期待に胸を膨らませていた。

 面白いことになりそうだ。


「いちいちこちらの体調を気遣ってくれるのはありがたいけど、勝手に仕切るのはやめてくれないか。ぼくはまだ歩けると言っているのに」

 かんかんになって白い人物がキースに詰め寄る。

 キースは困惑顔で応えた。

「なんでそんなに強情なんだ、フィオン。もう限界のはずだ。ヴェルドだって」

 キースは二人を気遣っているのに違いないのだが、フィオンというらしい白い人物は、挑むような真剣な目で彼を見上げる。

「では聞くが、きみは疲れているのか?」

「いや? 俺は全然」

 深く考えず、キースはありのままに返事をしてしまった。

「じゃあ、なんでぼくが疲れてると思うんだ!?」

「だ、だってそれは……フィオンは……いや、あんたとヴェルドは、女の子だし」

 キースは赤くなって目をそらす。

 それを見て、フィオンの頬に、カッと血の気がのぼった。

「バカにするな! そんなに身体が弱そうに見えるか? 歩けるったら歩けるんだ!!」

 フィオンの怒りは限界に達した。そのときである。

「あっははははは!」

 必要以上に興奮してブチ切れていた、フィオンの声に、メリオルの、遠慮のない高らかな笑い声が重なった。


「あ、いやゴメン。つい」

 赤味をおびた豊かな金髪の女性、メリオルは、華やかな、くっきりした目鼻だちをしていた。褐色の、温かみのある大きな目、太い眉。いつも笑みをたたえた厚みのある唇には愛嬌があるけれども、外見に似合わず性格は男まさりで、せめてもう少しだけ女らしければいいのにと、知り合いの男性たちに日々、ため息をつかせている。


「す、すみません。お引き止めした上に、こんな」

 透き通るほど色が白いから、フィオンは赤くなるとすぐにわかる。

「いや、あたしのことなんかは気にしないでいいけどさ。この馬車に乗って行ったほうがいいよ。あんたは歩けるって言うけど、その足じゃ」

「あっ」

 フィオンは恥ずかしそうに、自分の足を見た。レイオニアを出てからそろそろ二ヵ月になる。ズボンの裾も汚れているし、革靴も擦り切れ、穴が開いていた。

「それにね」

 メリオルは軽く左目でウィンクして、くいっ、とヴェルドの方を指し示した。

 後ろの方にいたヴェルドは、倒れて道端に転がっていた。

「ああ! ヴェルド」


「俺が行く」

 走り寄ろうとしてよろけるフィオンを止めて、キースが走っていく。


「……くそっ。もっとぼくに体力があったら」

 心底、悔しそうに、フィオンは呟く。

 メリオルはそんなフィオンに、優しく声をかけた。

「ねえ、あんたちょっと乗ってごらん。干し草は、いい匂いよ」

 フィオンはメリオルを見やり、小さな声で、「ありがとう……」と言った。

 白い頬に、ほんのりと紅が差した。


 キースがヴェルドを抱えて馬車に駆け寄って来た。

 メリオルは二人を馬車の荷台に乗せ、馬を走らせた。なぜかキースの方は、いくら勧めても荷台に乗ろうとはしない。

 しばらく走っていると、ヴェルドも意識を取り戻した。

「ごめんなさい、あたし、いつの間にか寝ちゃってたのね。ちょっとだけ休んだら、きっと回復するから」

 干し草に埋まって、ヴェルドは申し訳なさそうに身体を縮こまらせて言う。

「気にしないでいいんだよ。ヴェルド」

「だってあたし……あたしがいればフィオンに不自由をさせない、って思って、ついてきたのに、これじゃ、足手まといだわ。悔しい」

「ぼくが無理をさせたからだよ。すまない。……靴も、破れてる。次の街に着いたら、新しいのを手に入れなくちゃ」

 フィオンはヴェルドを気遣い、自分の上着を干し草の上に敷いて横たわらせ、ケープを掛けてやり、水筒に残っていた水を飲ませたりと、かいがいしい。


「俺に対する態度と、ずいぶん違うな」

 キースは訳が分からなかった。

 なんで自分とヴェルドでは、こんなに態度が違うのだろうか。腑に落ちない。

 思えば最初に出会ったときから、フィオンは彼に対してよそよそしかった。

 いい加減、一ヵ月以上も一緒に旅をしていれば、打ち解けてくれたっていいと思うのだが、ちっとも距離感は縮まらない。

 ヴェルドとフィオンは十歳頃から姉妹みたいに暮らしていたそうだから、ヴェルドへの特別扱いは無理ないのかもしれないが。

 それを差し引いても、自分に対しては態度がきついんじゃないか。

 療法師連盟本部での初顔合わせのとき、自分は何か妙なことでもしたんだろうか?

 ……というか。

 フィオンは自分のことを『ぼく』と言ったりして、女の子扱いされるのにはものすごい

抵抗を示すくせに、ヴェルドのことはさんざん庇ったり、労ったり、むしろ、お姫さまに対するような特別扱いである。

 あの細腕ではどうしたって無理なのに、重い荷物を持とうとがんばったり、休みたいとこっちが言いださなければ、いつまでも自分からは言わない。

 いったいどうしてなのか、いくら考えてもキースにはわからなかった。


「ねえ、キース君? あんたも荷台に乗ればいいのに」

 快くメリオルは勧めてくれたが、キースは断った。馬がかわいそうだから、それなら自分が下りるとフィオンも言いだしかねなかった。

「俺は全然、疲れてないんで、大丈夫です」

 きっぱり言う。そんなキースを見て、メリオルはくすくす笑った。

「ねえ、彼、もしかしてドラコー(竜)の子孫なの?」

「ドラコー……どこかで聞いたことがあるような」

 フィオンは記憶を辿ったが、絵本で読んだような気がするくらいで、はっきり思い出せなかった。

「あたしは子供の頃、昔話が大好きで、お祖母ちゃんによくお話をせがんだものよ」

「どんなお話だったんですか?」


「大昔、地上には身体が大きくて凶暴な生き物が沢山いたの。滅びてしまったけどね。ドラコーも、その仲間だったらしいわ。大陸の西の方の、火山のあるあたりに、今でも竜の子孫が、人と同じような姿で住んでるんだっていう話よ」

「……へえ」

 フィオンは傍らを黙々と歩いているキースに声をかけた。

「キース、きみって、そうだったのか?」

「いや、俺は知らんが……先祖がどうとか、興味はなかったからな。四代くらい前までは西の地方に住んでたって話は聞いたことがあるが」


「そうかも知れないわ。あたしも聞いたことあるわ、母さんの方の親戚は百年くらい前に西から移って来たって」

 ヴェルドも目を開け、記憶を辿るようにして言った。


「じゃあ、きっとそうよ」

 メリオルは楽しそうに、決めつけた。

「それならフィオン、力で彼にかなうわけないわ。普通の男だって、ドラコーと競争するなんて無理だもの。全く違うんだって、強靱さが。だから気にしないでいいじゃない。男だってそうなんだもの」

「そうか……それなら納得できることが、いろいろある」

 フィオンは得心がいったように深々と頷いた。

「勝手に決めつけるな! 先祖のことなんて俺は知らないんだ!」

 珍しく慌てたキースを、ヴェルドは面白がってからかった。

「何よ、キースだってよく知らないんでしょ。だったら、そうじゃないとも言い切れないじゃない」

「……はいはい」

 キースは異議を唱える事を諦めた。幼い頃から、年下の従姉妹、ヴェルドに論争で勝てたことなど一度もなかったのだった。


                  *


「……いい眺めだな……」

 荷台から周囲の景色を眺めていたフィオンが、ふと呟く。

「なかなかだろ? あたしも気に入ってるんだ」

 メリオルは嬉しそうに馬車を走らせた。


 遠くに見える葡萄畑の濃い緑、道の傍らにときおり点在するオリーブの古木を、フィオンは飽かずに眺めた。レイオニアの周辺にはなかったものだ。このあたりの土地は温暖で緑が豊かだ。

 生まれ育った故郷を出てから二ヵ月近く。過ぎてみれば長かったような、あっという間のことだったような気もする。


 ……二度と、故郷レイオニアには戻らない。

 フィオンは決意を秘めて、懐にしまった、小さな折り畳み地図に手を当てた。

 最初に立ち寄った街で、キースには知られないように手に入れておいた地図だ。それ以来、夜中に一人で起き出しては、地図を見る勉強をしてきた。

 おかげで、今では、自分たちはレイオニアを出て最初は東へ向かい、途中で、南下する街道に折れたということがわかっている。

 キースは話し下手だったので、旅路の間にフィオンやヴェルドと会話が弾むということもなく、護衛の自分だけが把握していればいい事だと思っているのか、旅の道すじを詳しく教えてくれようともしないのだ。

 ……目的地への道が見えてきて、自分で旅路の見通しがつけられるようになったら、二人には引き返してもらおう。ヴェルドをカウシマの父母のもとに帰してやりたい。寂しくなるけれど……。


 誰にも相談せずに、フィオンはそんなことを旅の間じゅう考えていた。


 道の両側では、故郷にも咲いていた背の高いフラックス(亜麻)の可憐な青い小さな花が、風に揺れている。

 黄緑色にまっすぐに伸びた茎はやがて刈り取られ、水に浸されて、取り出された長い繊維から、亜麻布が作られるのだ。


 人や馬や、荷車の行き来によって、長い時間をかけて踏み固められた土の道。街と街とをつないでいる。

 物思いに沈んでいたフィオンの左の肩に、温もりと、ささやかな重みがかかった。

 荷台に乗ってからずっと居眠りをしていたヴェルドは、疲れて本当に眠ってしまったようだ。フィオンに小さな頭を預けて、かすかな寝息を立てている。


 上半身をひねって、メリオルが後ろを見やる。

「姉妹にしちゃ似てないけど、仲がいいのね」

 フィオンは微笑んで、答えた。

「義理の妹なんです。養父母は優しくて、とてもいい人たちで、実の親以上に、よくしもらった……」

「そうでしょうねえ。大切なんだろうなって、見ていて、よくわかったわ」


 馬車はゆっくりと進み、やがて日は大きく傾いてきた。見上げれば空はまだ青いのに、

浮かんでいる雲だけが紅色に染まり始めている。

 空の青さは、いつしか深くなり、群青へと色を変えていく、その前に、束の間、鮮やかな夕映えに彩られる。

「さあ、ファラクロスの街が見えてきたわ。街の入り口で降ろすわよ」

「すみません、結局街まで乗せて頂いて」

「いいのよ。帰り道ひとりで、退屈していたんだから」

 メリオルは手綱を緩めた。

 馬の歩みがゆっくりになる。


 別れ際、メリオルはフィオンにだけ、そっと耳打ちした。

「彼、いい子じゃない。たまには、どんと頼ってあげなよ。男なんて単純なもの。頼られると嬉しいもんなの」

 ぽんとフィオンの肩を軽く叩いて、メリオルは笑顔で荷馬車を出した。


「お世話になりました」

 キースは彼女と荷馬車を見送った。

 眠そうにうとめいているヴェルドを荷物の上に座らせて、フィオンはメリオルの言ったことを考えた。

 いつの間にか、すごい八の字眉になっていた。


 考えたあげくに、苦笑する。

 頼る……? ぼくがキースに?

 冗談じゃない!

 一人でいいんだ。

 一人で、生きていけさえすれば。


 このとき、フィオンはそう思っていた。




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