プロローグ
【プロローグ】
浜辺には様々なものが流れ着いている。
ことに嵐の翌朝などには。
ときに琥珀や香りのいい樹脂が、浜に流れ着いていることがある。それらはこの南の島では産出されない、貴重な薬材として珍重された。
十五歳の夏の朝、ノトスが浜辺で見つけたのは、不思議なものだった。
それは砂浜に半ば以上も埋まっていた。
黒い革で作られた箱型の入れ物で、上に把手と、片側が持ち上がる蓋がついていた。
入れ物の蓋を止めてある金具は潮で錆び始めていた。
蓋を開けると中には海水が満ち、底の方にキラキラと光る細い筒のようなものが幾つも沈んでいるのが見えた。
たまっていた海水を捨ててみる。
箱の中には小さな仕切りが立てられており、青い玻璃の瓶が四十本以上も、ぎっしりと大切そうに納められていたのだった。
口に木栓をして蝋で密封してある瓶には、淡い緑や黄色がかった液体が、首のところまで入っていた。
これと同じものをノトスは一本だけ見たことがある。
彼の祖母が、代々の薬師から受け継いだのだと言って大事にしている薬瓶だ。
薬草から抽出された精油が、瓶の底のほうにわずか残っていた。
とっておきの時に使おうと思っていたが、とうとう使わないでしまったと祖母は笑っていた。
百年ほど昔、海を越えて北からやってきた白い人が、病気を治すために使うようにと贈ってくれたのだという。以前にはもっと沢山あったけれど、今では残っているのはそれだけだと聞いた。
この瓶は、どこからどうやって運ばれてきたのだろう?
かつて訪れた白い人は森の奥に石組みの見事な神殿を建造した。
彼らは、辺境の離島に住むノトスの先祖たちに文化の恩恵を与えた。
そして精霊を祀るように伝えると、いつか戻って来ると言い残して、再び海を渡っていったという。
精霊の使いか化身だったのに違いないと村人は思い、毎年、その日を記念した祭りを行った。
十数年ほど前のある年に襲った嵐で、神殿は壊れてしまった。
けれど、村人たちは白い人の来訪を忘れなかった。
白い人々の記念にと、その石を使って、最初の神殿より少しばかり低い建物を建て、今でも精霊の祭壇として大切にしているのだった。
青い玻璃の小瓶の詰まった黒革の箱を抱えて、ノトスは祭壇に向かった。
縁あって海の波に運ばれてきた聖なるものは、精霊の祭壇に捧げなければならない。
瓶が聖なるものであることは疑う余地が無かった。
森へ向かう途中、真っ白な海霧が視界を遮った。
早朝にはよくあることで、しばらくすると晴れてくる。霧は中央の山にぶつかり、時として雨を降らせる。
森の中に村人たちがつけた細い道を辿り、ノトスはみちみち、目についた薬草を摘み取りながら黙々と歩んだ。
やがて石の壁が見えてきた。
白い切り石を組み上げた壁である。長板の梁を渡し、屋根として杉の枝葉を重ねて掛けてある。
ささやかではあるが、人々に大切にされてきた場所である。
ノトスは神殿に入った。
入り口近くの床には乾いた布が敷いてあり、そこに薬草の束が置いてあった。
きっと祖母が先に来て、置いていったのだろう。薬草を乾かすのはこの場所でと、祖母は決めているのだ。
ノトスは革の箱を足元に置いた。
そのとき、見知らぬものがそこにある、または、いるのに気づいた。
精霊の祭壇……白い石板の台座に、なにものかが伏している。
それは、人だった。
赤褐色の髪と目、赤い肌をしたノトスとは違う、うなじが見えるほどに短い金色の髪、白い肌、華奢な背中。
少女なのか、少年なのか。
彼が入っていったのに気づいて、振り向いたその人は、ノトスを見やり、少し驚いた顔をして、それから、微かに笑った。
「……精霊……?」
ノトスは思わず、呟いた。
どこかこの世の者とは思われぬ雰囲気を、その人は纏っていた。
よく見ると、その人の服も金色の髪も、ぐっしょりと濡れていた。
精霊のような人は、穏やかに微笑んでいる。
けれど、泣いているようでもあった。
ノトスはその美しい人に、おずおずと、笑みを返した。