紅い髪の彼女
ガヤガヤ、ガチャガチャ、ザワザワと、沢山の音が入り交じるその場所で、春風は目の前に座る女を改めてまじまじと見つめた。
とても整った顔に切れ長の目。金の瞳と自分のそれとは違う縦長の瞳孔。
鮮やかな緋色の髪は長く、三つ編みにされた状態で首元に2周程巻かれている。
女性にしては長身で、しっかりと、しかし見苦しくない程度に筋肉のついた体。
動きやすさ重視であろう服装に腰に提げられた剣。
一つ一つの動きには隙がなく、けれど決して威圧的でもない洗練されたそれであった。
「なんだ?」
「何でもない」
静かに紡がれる言葉は耳に心地よい。
腕を引いてくれた時の手の温度はとても温かかった。
向けられる瞳に特に感情が宿っておらずとも、ただただ自分に向く金が嬉しかった。
彼女の存在が自分の側にあるだけで、息がしやすかったのだ。
「ねぇ、」
「……なんだ?」
「"竜人"って竜の姿にもなれるんでしょう?」
「あぁ。どちらかと言えば、竜の姿で他との干渉を避けて生きている者達の方が多いな」
「なんで?」
「我等は地上の事になど興味は無いからな。というより、他の何にも興味など無いのだ。ただこの世に在り、生きているだけに等しい」
「じゃぁ、何で貴女は人間の姿で地上に居るの?」
「私は変わり種だ。竜人が"ただそういうモノ"と受け入れ、受け止め、何の疑問も抱くことの無いソレこそが私は理解出来なかったのだ。何の目的も無く、理由も無く、ただ生きているだけなど、それでは生まれなくとも同じではないか。だから私は地上に降りて人間の姿で生きてみる事にしたのだ」
「それで、何か得られたの?」
「……沢山のモノを得て、同時に失った。それでも私はこの姿で地上を行くのが好きだ。だから未だに旅をしている。まぁ、少々有名になり過ぎた感があるがな」
「さっきの人が言ってた、"竜人の中でも最強を謳われてる"ってやつ? あれって本当なの?」
「さぁな。我等竜人は互いに争う事をしない。そもそも争い事は基本的に嫌う種族だ。それに各自自由にあちらこちらを飛び回っているからか、同族に会う事すら稀だ。そんな我等がどうやって"最強"の座を決めるというのか。ただ私が他の同族に比べて"人間"の姿で地上に居る事が多い為に地上に住まう者達からそう言われる様になっただけの事。我等は強さに拘らぬ」
「けど、"竜人"はこの世界に生きる種族の中で"最強"の種族なんでしょう?」
「確かに我等は他の種族よりも長命で、それ故にあらゆる知識を持ち、僅かばかり多くの魔力を有しているが故に"最強"と言われる。だが、それはあくまで"この世界に生きる種族の中で"だ」
「どういう事?」
「"種族"という枠に囚われないモノ達にとっては我等"竜人"もお前ら"人間"も大差ないという事さ」
「"種族"に囚われないモノ達? そんなのこの世界に居るの?」
「"神"と呼ばれるモノ達が居る」
「"神"……"神様"の事?」
「如何にも。彼等は"種族"として別けられている我等の様に特定の形を持たぬ。あるモノは水であり、あるモノは火だ。光であり闇であり風であり音や空気でもある。人間の姿をとっているモノも居れば、獣の姿のモノもいる。大きいモノも居れば、小さいモノも居る。特定の形を持たず、特定の居場所を持たず、ただ自らが好んだ姿で好んだ場所に居る。殆どのモノがこの世界とは異なる"場所"に居て、気紛れにこの世界にやって来ては誰かの願いを叶え、災いをもたらし、奇跡を起こす。この世界を監視し、管理し、観察するモノ。それが"神"だ」
「神様なんて……」
信じない、と春風は吐き出した。
「助けてってお願いしたのに……あんなに、あんなにお願いしたのに、助けてなんてくれなかった。僕の"全部"をあげてもいいから助けてってお願いしたのに……」
"神"と呼ばれるモノ達は、どんなに祈っても願ってもほんの僅かな情けさえくれようとはしなかった。
「自惚れるなよ、人間。この世界で、今この一瞬に何れだけの者がお前と同じく"神"に願い、祈り、すがっていると思う? その中で"神"の気紛れに選ばれ、望みを叶えてもらえる者などほんの一握りだ。下手をすれば誰一人としてそんな者は居なかったかもしれぬ。そんな中でどうしてお前が選ばれると思うのだ? 言ったであろう。"神"は気紛れだ。常にこの世界を視ているくせに、自らの気分が乗らなければ例えどんなに窮地の者が目の前に居たとしても決して手を差し出さぬ。寧ろ、災いをもたらされなかっただけ有り難い事だと思え。"神"に救いを求めるな。あやつ等は確かに与えもするが、同時に奪いもする。一つの願いを叶えて貰う代償は、その願いの大小に問わずお前の"大切な何か"だ」
「……」
「世界を見て回れ。お前は未だ知らなすぎるのだ。知れば自ずとこの世の摂理が分かる。摂理が分かれば物事の理由が解る。理由が解れば己の望みに必要なモノが判る。必要なモノが判れば自分が何をするべきか判断出来る。判断出来るようになれば行動出来る。そうやってお前等"人間"はこの世で最弱でありながらもしぶとく生き続けてきたのだ。先ずは己の立ち位置を知れ。そこからどの様に進むかを決めるのだ」
話し終ると同時に席を立った凜鈴に習うようにして春風も席を立つ。
「なんだ、もう行くのか?」
「ああ。これから依頼を遂行しに行くのだ」
「相変わらず多忙だな。三年ぶり位だってぇのにゆっくり話も出来やしねぇのか。まぁ、生きてたらまた来いよ。坊主もまたな」
「あぁ。また来る」
「ご馳走さまでした」
手を振り見送る店主に頭を下げて店を出れば、そこは人が行き交う大通り。
「うわぁ!」
来た時には回りを気にする余裕も無かったが、改めて見回したその場所は沢山の人と物で溢れかえっていた。
"人"と言ってもその姿形は様々である。
「ほらほら坊や、そんな所で立ち止まってると邪魔だよ!」
「あ、ごめんなさい」
そう言って春風の前を横切ったのは浅黒い肌に鋭い犬歯、頭に角を持つ"鬼人"である。
他にも鱗に覆われた肌を持った者や獣の耳と尾を持った者。姿自体は獣のソレであるのに二足歩行している者、背に翼を有している者などが居る。
「あ! 待ってよ!!」
多くの種族が入り乱れるその光景に暫し見入っていた春風は自分が着いて行くと決めたその人がいつの間にかだいぶ先を歩いている事に気が付き、慌ててその紅い髪を追いかけた。