出会い
ねぇ、あなたは覚えていますか?
あなたと僕が出会ったあの日。僕の運命は変わった。
あなたが引いてくれた僕の手はとても小さかったけれど、あなたに抱いた想いはとても大きかったのです。
人間の子供を拾った。
何て事はない。ただの気まぐれだった。
この世界に生きる数多の生き物の中でも最弱で脆弱なちっぽけな"人間"の、その中でも群を抜いて弱い子供。
奴隷として市場に出る寸前だったのを本当に何の気なしに、ただ目についたから買い取った。
マッチ棒の様に細い腕を引いて歩き路地裏に入った所で向き合えば、青い瞳と目があった。
「何処へなりとも行け、小僧」
「え?」
「私に奴隷は要らぬ。お前を買ったのもただの気まぐれ。別に必要にかられての行動ではない。足手まといは要らぬ。好きに生きよ」
その青の瞳が困惑に揺れたのが分かった。
「……」
「暫くは食い繋げるくらいの金はやろう。だがその後は知らぬ。再び売りに出されたくなければどこぞそれなりの地位のある者の家に奉公に入れ。少なくとも奴隷よりはましな生活が出来よう」
「あなた、は……」
まだ声変わりを迎えていない、少し高めの少年の声。
小さく掠れて聞き取り難いそれを、しかし自分の耳はしっかりと拾う。
「私は旅をしてあらゆる地を渡り歩く身。お前を養うつもりは毛頭無い」
「……」
「ではな」
金の入った巾着袋を半ば押し付ける様に手渡して背を向けた。
自分で救っておいて無責任だと言われようが知った事ではない。元より救ってやるつもりで買ったのではないのだ。ただの気まぐれでの行動にいちいち責任をどうこうとは言われたくない。
「…………」
子供に背を向け歩き出して数歩。
自分と同じ様に数歩だけ歩いて止まった背後の気配に嘆息した。
「着いてくるなよ、小僧」
「……」
青い瞳が瞬いた。自分と同じ方向に、自分と同じ歩数分だけ進んだ子供。
真っ直ぐに見つめてくる子供の瞳を振り切る様に私は再び歩き出した。今度は止まらない。
「……」
「……」
「……」
「……」
「おぅ、凜鈴何だそのガキ?」
やはり後を着いてくる子供の存在を無視したまま歩き続ける事約10分。
目的地であった食事処に入り適当な席に座れば、直ぐ近くに子供も座る。
私の後について回る子供が気になったのだろう、顔馴染みの店の店主が物珍しそうに寄ってきた。
「……知らぬ」
「知らねぇってお前なぁ」
苦笑した店主が子供へと視線を向ける。
「おぃ、ボウズ。お前、金は持ってるか? 無いなら何も出してやれねぇぞ」
「……ある。そこの人に貰った」
先程よりも幾分はっきりとした声で子供が答え、私がやった巾着袋を出した。
「凜鈴、やっぱお前の知り合いじゃねぇか」
「知らぬと言っている」
「ふーん。おぃ、ボウズ。良いこと教えてやるよ」
「いいこと?」
「そ、コイツはな、名を"凜鈴"と言う。"竜人"だ」
「"竜人"……?」
「おい、」
何勝手に人の事を話している、と一睨みするが店主は肩を竦めただけで話を続ける。
「そう"竜人"。この世界において最強の種族の竜人様さ。そしてコイツは、その中でも"最強"を謳われている奴だ」
「最強……この人が?」
「おぅ。女だけどな、男より強い」
「……」
信じられないといった顔で見られる。
青い瞳が探る様にその色合いを濃くした。
「なんだ? なんぞ言いたい事があるなら聞いてやる。言ってみろ」
暗に、喧嘩なら買うぞと言えば、席を立った子供が私の前まで来て勢いよく頭を下げた。
「弟子にしてください!!」
「だが断る!!」
即答だった。反射だった。けれど、紛れもない本心だった。
何だ、弟子って。ふざけるのも大概にしていただきたい。
「おい、小僧。私は何処へなりとも行けと言ったが、着いてくるなとも言ったな?」
「……」
コクンと1つ頷かれる。
「なれば何故お前は今ここに居る? 言葉の意味は分かっているだろう?」
「……」
再びコクンと頷かれる。
「もう一度言うぞ。何処へなりとも行け小僧。私はお前と共に行く気はない。弱い者は要らぬ」
「……なら、」
やっと言葉を発した子供はやはり真っ直ぐに私を見つめていた。
「なら、強くなるから。その為に僕を弟子にして闘い方を教えて」
「……嫌だと言っておろう。お前も懲りぬな」
私の呆れをふんだんに含んだため息と、店主の笑い声が重なる。
「いいじゃねぇか、このボウズ。なかなかに見込みがあるんじゃねぇか? 何時までも一人旅じゃつまんねぇだろ。話し相手の一人くらい連れ歩いてもお前さんには何の問題もないだろ?」
「そういう問題ではない、店主。確かに私はコイツを奴隷一歩手前から救い出しはしたがな、その後の事など知らぬ。金は渡してあるのだ。後は好きにすればいいと、さっきから言っておるのに……」
どうしたもんかと溜め息をつく。
店主を見れば肩を竦めただけでもうこれ以上関わる気はないのだろう。先程まで散々話に乗って来ていた癖に何とも勝手なものである。
「好きにしていいなら、僕があなたについて行くのも勝手でしょう?」
「屁理屈を……」
「僕は僕の意思であなたについて行く。好きにしていいと言われたから、好きにするんだ。それを否定する権利はあなたにも無いはずでしょう?」
「……」
随分と頭と口の回る子供だ。
「こりゃ一本取られたな、凛鈴。このボウズの言う通りだ」
「黙れ。その服の下に隠れている僅かばかりのお前の鱗を全て剥ぎ取るぞ」
笑いを噛み殺しながら言ってきた店主を睨みながら言うが効果は薄い。
「おー、怖い怖い」
態とらしく震えた店主が子供の後ろへと隠れた。
「鱗……?」
「うん? あぁ、俺は"蜥蜴族"の血を引いてるんだよ。まぁ、純血の蜥蜴族はじいさんだけで、俺の母さんは人間と蜥蜴族のハーフ。そんで、その子供の俺は謂うところの"クウォーター"だ。だから成りは人間そのもの。ただ、体の一部に鱗があるんだよ。ほら」
そう言って捲った服の下。そこに皮膚の代わりにある緑がかった鱗を見た子供の目が輝く。
「うわぁ! 触ってもいい?」
「おぅ、いいぜ。だが、剥がすなよ。痛いからな」
「うん」
恐る恐る伸ばされた子供の手は小さかった。
「……人間は、」
無意識に言葉がついて出た。
「人間は、この世界に生きるモノ達の中でも最弱を誇る種族だ。そんな種族の一人であるお前が、最強種の竜人である私について来て一体何とする? 何を得たい? お前は、何がしたいのだ?」
「…………僕は、」
青い瞳が僅かに揺れた。
ここへ来て初めて、子供の表情が泣き出しそうに歪んだ。
「強く、なりたい。強くなって、守りたい物があるんだ。だから……」
震える声が言葉を紡ぎ出せずに終わった。
あぁ、だから弱いモノは嫌いなのだ。
ともすれば簡単に崩れ落ちそうな脆さを持っているくせに、寸前のところでそれを堪えているのもまた、脆さ故の強さだという矛盾。
泣き出しそうなくせに、それを堪え強くなりたいのだと口にする憐れさ。
自らを守る術すら持たずに、他者を守る刃を欲する愚かさ。
弱いくせに。
弱い筈なのに、彼等の持つソレが時々酷く羨ましく思えるのだ。
「……好きにしろ」
「え?」
「好きにしろと言ったのだ。ただし、私がお前の為に何かをしてやる事はない。ついて来たいのならばそうすればいい。だが、寝る場所や食事、身の安全は自らで何とかしろ。私が手を貸すことはない。良いな?」
「ぅ、ん。…………うん!」
泣き出しそうな顔から一転、笑顔になった子供は自らを"春風"と名乗った。
ーーこれは、僅かな昔。あらゆる種族が共に在る、広い広い世界のその一角で繰り広げられた彼女と彼の旅物語り。最弱な人間と最強の竜人の、特別でもなんでもない、ただ共に歩んだ日々の物語り。