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スコイア湿原帯の大蛇

 クソ長ぇ。


 ついに日が山の向こうに沈んでしまう手前で、僕らは異常に気づいた。


「引き返そう」


 僕が呟いた言葉に、ため息と共に頷く小隊員。


 いつまでたっても向こう側につかない。


 どういう理屈か知らないが、少し前から対岸がちっとも近づかなくなっていた。平坦で代わり映えのない湿地だからきっとそう見えるだけだと思っていたら、本当に無限ループに陥ってしまっていたようだった。


 ジャイアントスワンプワームを初めとする沼地の敵は強いわけじゃないけど、とにかく毒がいやらしい。ライトメイジのデポイズンは軽い魔法だし、メンデルが無限とも思える数のMP回復薬を投げてくれるとはいえ、敵の数も無限。狩りの状態に陥るならもっと良い場所があるはずだ。


 踵を返すと、いやにあっさりもとの岸にたどり着いた。ここでいよいよ確信する。スコイア湿原帯、単なる一地域じゃない。


「条件を満たさないと絶対先に進めないと思う」


 全員、装備の泥を落とすために小休憩した。といっても装備を外し、一旦アイテムインベントリにしまえば綺麗になるのでそんなに時間がかかるわけじゃない。放っておくより早いので、特に女性陣が希望した。


 僕らも同意見だ。


 一旦装備を外す、すなわちインナーになるため、女性陣は山の中に入り(モンスターの危険より重要)、僕らは湿地との境目で新調する。


「しかしこりゃ、たまらんすね」


 新鮮な空気を吸ってしまうと、二度湿原に突入するのは躊躇われる。かといって遠回りするには時間がかかりすぎるし、そもそも湿原を踏破するための情報が全く無いからお手上げである。


 地図を開いてみると、僕らが歩いた部分がアンロックされた湿原帯は予想以上に広い。この見えている部分がどういうわけか異常に狭く感じるだけなのだ。もしかしたら歩き続ければいずれは向こうについたかもしれないけど、それにしたって半分も進んでいなかった。戻った時の速さを考えるに、イイリコさんの言葉や他の全員がうっすら思っているのは大体正解のはずだ。苦行のごとき前進で根性勝利を求めるか、もっとスマートに何かしらの条件をクリアする必要がある。


 ちょっと後悔した。


 当初の予定通り城から北に向かえば、ここを通らなかった可能性は高い。いずれはひっかかるにしろ、旅の第一歩で躓くことはなかっただろう。もともと男爵が第一の目標だったのを格下げしたのも僕の独断で、サクラさん達と合流して出発したあとに提案した。姫代子がちょっと不機嫌なのもそのせいだ。


 いったんオルトノグェイク砦を経由した理由は、もちろん男爵が目当てだからだ。であれば男爵の目標より施設を求めたのは、サクラさん達の突然の合流をもとにした別の考えがある。


 一つの情報として、男爵達が転職していることを前提にした場合、転職拠点は解放する必要のない拠点だということがわかる。もし大規模戦闘なりなんなりで拠点を開放した場合、ゲームの重要情報として全員にプッシュ通知がある。他の部分が黒くても拠点の場所はわかるようになるから、それがないということは、つまり男爵達も解放していないということだ。


 あってもクエスト。


 そう考えると、大事なのは軍団全体の能力と言うより、クエストクリアに必要な個々の能力だ。更にそれを推し進めると、レベルより落ちる装備の質をなんとかしたほうがいい。装備品に必要な鉱材は山岳地域の方が拾えるし、加工してくれるブラックスミスが二人いる。ルートを変更し、山岳城砦オルトノグエィクから。そして砦を経由した場合、男爵がこちらを見つける可能性は城から北に進むよりわずかながら高い。


 そうした場合、男爵は逃げるか接触してくる。逃げられたら地形を知っている向こうに追いつけるわけがないし、接触してくるなら待っていればいい。すなわち、サクラさん達職人集団が加入した時点で、僕らが転職を考えることを基にすると、男爵達と接触できるかは向こうが選択することになる。


 そして僕は、攻略としてはそっちの方がいいと判断した。


 姫代子の機嫌が悪いのは、以上のことを説明した上で、軍団長が方針をいきなり変更した部分だ。ジュリアさん達が望んでいるのはおそらく男爵の発見が第一。可能であれば交渉。それと同じくらい新拠点の発見だろうけど、


 もういい。


 こうやって理論を並べたところで、城から北へ、男爵を最優先にという方針からまったく逆に変更するだけの決定的な論拠があるわけでもない。一言でまとめると「なんとなく」になるあたり、今回の決断は僕も明確に自信があるわけじゃない。


 動き回って、もしかしたら逃げられるかもしれない男爵と拠点を秤にかけて、拠点を選択しただけの話だ。それに攻略を進めたほうがいいとも思っている。


 男爵が転職拠点の情報を知っているかもしれない、と言う点を鑑みて、そして本軍の方針を慮って、男爵と拠点の重要度は大体同じにしている。それが妥協点だ。


 早くゲームを進める。それはすなわち、僕らの見知らぬ土地を素早く探検することで、ゲームプレイの方針とも間違っていない。


 だから大丈夫。


「なんかいい案、ある」

「つってもな……」


 ガートランドも思案顔だ。とにかく手立てがない。情報をくれるNPCもいないし、手がかりになりそうなオブジェクトもない。普通こういうところにはあってしかるべきだと思うけど、ないんだからしょうがない。


 これは本気で周辺の探索に時間を割かないといけないな。


「あ」


 メンデルが声を上げた。


「あ、消えた」


 続けて、不可解なセリフ。


「まさか男爵見たとか言わないよな」

「めめ、メンデルさん、今度はいったい……」


 フェアリーメイジのマトノ。女性陣。一足早く戻ってきたようだ。怖い話系統のものがどうしようもなくダメなようで、男爵らしき影をメンデルが見てからずっと怯えている。ベスラムの時にフレンド登録した一人。


「いいや、男爵じゃないけど。今度ははっきり見た。あ、あれ……ふおっ」


 今度は僕も見た。みんな見たはずだ。湿原を囲む山の、木々の合間。


 なんかいる。


 黒い肌の、華奢な、人型のなにか。


「Dar rar quorts!」


 そいつが、何か叫んだ。


「ミウルだ」


 ミウル?


「誰だ言ったの」

「利家」

「利家」


 ユージンとメンデルが同時に。マジか。彼を見るけど、特に反応はない。ミウルのいる方を見ている。


 ああ、そっか。話すの苦手なんだっけ。メッセージ画面を開こうとした僕の耳に、外見から想像できるより野太い利家のつぶやきが入り込んできた。


「……逃げろ……Dar rar quorts……そこから離れろ……」


 ほとんど聞き逃すところだった。


「利家さん」


 念のため、尋ねてみる。


「今の言葉、逃げろって言ってます?」


 利家はなにも言わない。だけど、頷く。


 同時に、目の前の湿地、一番近い沼の水面が揺らめいたのが、目の端にギリギリ映った。


 これは……マズイかもしれない。


「山に! 逃げろ、逃げろ!」


 利家の呟き、水面の揺らぎ、どちらの情報も得たのは僕だけだったようだ。みんな何事かと構え、どこからか襲い来る敵を想像して戦闘態勢に。


 それじゃダメだ!


「逃げろって!」


 マトノの背中を突き飛ばすように押す。「ひゃっ」と小さい悲鳴を上げて、マトノはよろけるように茂みの向こうに消えた。その向こうから、


「マトノさん?」


 エイタローの声。


 グボ、という重々しい音が、背後で。


「エイタロー、山の奥に!」


 その頃には、男性陣全員が状況を理解しつつあった。


 目にしてしまえば当然だ。


 沼から出てきたのは、恐ろしく巨大なワームだった。


 生半可な大きさじゃない。今まで目にしたどんな大木よりも太く、口は僕ら全員を一飲みできるほどに大きい。泥に塗れたところどころから、ぬめりのある土気色の肌が見え隠れしている。


「な、なんぞっ!」


 叫んだメンデルの裾を掴み、茂みに放り込む。


「ジェスト、どうすんだこれ!」

「今は逃げろ! 無理だって無理!」


 踵を返して走りだ、そうとした。


 突然、重圧が背中を押そう。毛布を投げつけられたような、波に攫われたような、痛みはないけど有無を言わせぬ重さ。


 ばしゃあ、と僕らのいる一帯に泥のようなものがまき散らされた。


 臭え!


 臭いし汚いし、おまけに滑るしで、無様に転んでしまう。うげ、顔についた。より臭い。


「ジェストさん!」


 一足早く飛び込んだユージンが腕を伸ばしてくる。だけど杖を足してもちょっと遠すぎる。突っ張ろうとした手が滑るし、進もうとした膝が滑るし、全然進めん。そもそも突然の事に頭がパニックを起こして思ったように動けているのかも怪しい。


「いい、いいから巻き込まれんな!」


 状況把握だ。今のままじゃゲロまみれの地面しか見えん。


 そう、この泥の襲ってきた方向を考える。森を向いていた僕の、後頭部当たりから覆い被さってきた。あいつの口のあたりだ。


 ゲロ吐きやがったんだ!


 意地でも振り向く。仰向けになったことで服が前も後ろも汚くなったけど、そんなの気にしてられるか。


 キュルルル、と奇妙な鳴き声を発しながら、そいつはこちらを見ていた。目があるようにはみえないけど、たぶん見ているような気がする。


 僕の他に、ガートランドがゲロの餌食になっている。あっちはもしかするとユージンの杖が届くかもしれない。どっちにしろ僕が逃げられないのに変わりはない。


 泥をしたたらせながらミミズを何千倍にもしたような体をグニグニと動かしている。獲物が手に入ってご満悦なのか、思ったより少なくて残念がっているのか。


 何か手を打たないと、マジでやばそうだ。


「マトノさん、サンダーランスお願いします!」


 あの動きがなんかのアクションなら、実行させるのはマズい。


「ひゃ、ひゃいっ! かか雷よ!」


 茂みの向こうから雷の槍が飛びだして、巨大なワームの体を貫いた。


 夢でも見てるのかと思った。


 ワームは激しく体を、そこかしこの地面に打ち付けてのたうち回り、そのたびに泥を吐きまくったのだ。


 この大きさでそんな動きするヤツがあるか。巨体が打ち付けられるたびに局地地震のような揺れが僕の体を浮き上がらせ、吐瀉物が顔と言わず服と言わず、これ以上ないほどに汚してゆく。


 しかもあれ、潰されたら死にそう。


「カウンター……やばい、やめて!」


 姫代子の悲鳴。一部のモンスターは攻撃を食らった際、特殊な行動をカウンターとして繰り出してくる。今回は魔法攻撃なのか雷攻撃なのか、とにかくサンダーランスに対して、辺り一面を攻撃しまくるというカウンターが繰り出された、と姫代子は予想した。


 たぶんだいたいあってる。


 食われる時間はちょっとのびたが、相変わらず滑って動けないことに変わりはない。むしろゲロが上乗せされ、時間での回復も先送りになっている。


「ガートランド、助かった!?」

「ちょっと待ってくださいッス。もうちょい」


 ヤバイ、間に合わん。


「ジェスト!」


 誰だ今の声。同時に僕の顔に、なんか白くて細い布が舞った。先に大きめの木の枝がくくりつけられてある。


 うわ、すげえ嫌な予感。


 とにかく掴む。手がゲロ食らってるから滑るけど、なんとか巻き付ける。


「オーケーです!」


 叫んだ途端、ものすごい勢いで体が引っ張られた。これまで僕の動きを妨げていたぬめりが、今度は僕を助ける。ほとんど抵抗なしに僕の体は引き上げられ、茂みにひっかき傷をつけられながら山の中に滑り込んだ。


「大丈夫!?」


 エイタローの腕を掴んで、よろめきながら湿地から離れる。たぶんあいつは湿地から出てこない。距離を取って、とにかく、この惨状をなんとかしないと。






「臭い、取れた?」


 腕をかぎながら。ゲームの仕様上、拭いてしまえば臭いは消える。衣服もまた出し入れしたから綺麗になっている。にも関わらず、なんとなく悪臭が残っている気がするのはなんでだろう。


 イイリコさんにキャンプのエリアを張ってもらい、僕らは安全を手にした。今日はこのまま夜を明かした方がいい。


「サクラさん、その、すいませんでした」

「いや、あたしも役に立つとは思わなかったさ」


 さっきの白い布は、ネタをばらすと案の定、サクラさんが胸に巻いていたサラシだった。つまり僕を助けるためにほどいて、そんで僕から回収するまで、いやいややめておこう。


 とにかくサクラさんのおかげで九死に一生を得た。


「あんなのいるとはね……たぶん、時間が出現の条件かな」

「でしょうね。ほとんど日没と同時だったんで。夜限定かもしれません」


 とすると、引き返さずに進み続けていたらどうなっていたか。全員腹の中でもおかしくなかった。


 運がよかったと思う。


 でもそれだけじゃなくて、僕に決断をさせたのは、利家の呟き。


「利家さん」


 ミウル。


「ミウルって聞いたことあるんですが……なんでしたっけ」

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