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スコイア湿原帯の怪

「ここからは地図なし。全くの未開。まあ、この世界のほとんどがそうなんだけどねえ」


 イイリコさんが感慨深そうに呟いた。僕らがこのゲームの序盤、確かに心躍らせた、探検の要素。


 ちょっとドタバタしてたけどようやく戻ってくることができたと思う。それに今回は、僕らが一番槍だ。


 砦を背に東へ一日。ちょうど山を二つ越え、完全に砦が見えなくなったあたり。


 山岳地帯の終わり、平地との間に僕らはいた。


 東域。


 まだ見ぬ大地。


 その一歩は湿原から始まる。


「歩きたくねえなあ」


 ガートランドがぼやいた。同感だ。そこかしこに沼のようなものが見え隠れし、膝の高さほどもある草が足下の視界を制限している。足を踏み外して沼に落ちたりしたら大変だし、それにめっちゃジメジメしてる。


 左目を閉じてみたら『スコイア湿原帯』という情報が表示された。これ以上の事は実際に歩き回ってアンロックしていくしかない。


 北に目を向け、南に目を向け。遠回りできなくもないし、沼地には一望出来るどこにも施設らしきものはない。でもそれがわかるからこそ、ここは早く通り過ぎたい。


「行こう」


 WWでは通常、湿地は避けるべき地形だ。敏捷が下がることの影響は大きく、移動速度や回避率も低下する。背の低い敵は見にくく、毒をもつモンスターも多い。


 リアル判定の新システムではちょっと怖い。だけどやっぱり、新システムだからこそ、早めに未知の領域はなくしておきたい。城からの直線距離は、真北にあたる分ここの方が近い。それほど強いモンスターは出ないはずだ。


「敵の接近に気づきにくい場所です。前衛職で後衛を囲むようにして進みましょう。先頭はイイリコさん。最後尾はナリさん、お願いします」


 ナリ。サクラ小隊のシーフで「盗み」に特化したプレイヤーである。スキルポイントのほとんどを盗みと敏捷につぎ込んでいて、同じ条件で実行した場合、数字上はイイリコさんの実に三倍の確率で成功するくらい。


 ただ代償は大きく、サバイバル能力は最低限。パーティを組んで求められる「シーフ」にはほど遠く、斥候としてはなかなか不安だ。彼が小隊に入れなかった原因でもあるが、盗賊なら盗んでこそという本人の意向がかなりのウェイトを占めているようだ。


 サクラ小隊は、サクラさんにきいてわかったことだけど、それぞれの職のイメージを極端に特化させたメンバーで占められている。サムライの利家は往年のエイタローを思わせる脳筋で、一撃死高ダメ力押し、逆に防御はペラペラ。メンデルはとにかくクスリを投げまくってとにかく回復、とにかく攻撃。濫用の結果、毎日寝る時間を削って再生産しないととてもじゃないが追いつかない。またそこらの草を根こそぎむしらないと材料が足りないし、もちろん見つけたらなによりも優先して突進する。そのくせ身に迫る危険には敏感で、確かにタクティシャンに匹敵するほど貧弱なHPと防御の割には被ダメが少ない。


 他の連中もある意味海千山千だ。Wiz的な小隊に入れないのは確かだけど、MMOの楽しみ方の一面を表してもいる。正直に言えば嫌いじゃない。


 だけど……


「うおおおっ! コケ発見でござる!」

「ちょっ、エイタロー、援護!」


 なんの前触れもなく隊列を乱し、グシャグシャと不用意な音を立てながら目当てのものに飛び込んでいくのはちょっと鬱陶しい。しかも今回はそれが悪い結果に転がって、


「ジャイアントスワンプワーム、六体!」


 メンデルの音が呼び寄せたのか、僕らの周りを囲むようにモンスターが現れた。


「エンカウント! サクラさん、メンデルさんとエイタローのサポート! レジェスミさんは目の前の殴って! 他はいつもの!」


 二人離れた場所で、エイタローとメンデルが二匹に狙われている。人数で勝るこちらの四匹を先に倒して、合流するのが一番良い。


 イイリコ小隊のサポートはユージンがぬかりない。レジェスミ(レジェンド・オブ・スミスの略らしい)の方を向こうとした僕は、足が引き抜けなくてたたらを踏む。これだ、ブーツが半分以上埋まってしまうという湿地最大の敵。


 移動に制限がかかるのはWWと同じだけど、致命的な違いがある。こっちは足を抜くのに失敗するとわずかの方向転換もできないというところだ。ゆっくりではあるけれど確実に動き続けるWWと、足を抜いてしまえば上体の捻りも加えて一瞬で反対を向くことも可能だけど、体勢を崩して倒れる可能性もあるCH。どちらが良いとかはない。でも慣れない動きは確実にダメージに近づく。


 それにこの臭い!


 どこかで死骸が腐っているのか、ガスのようなものでも出ているのか、とにかく臭い。ステータスに影響はないようだから毒の類いではなさそうだけど、毒で良いから無臭であってほしい。鼻がひんまがるような悪臭の中での行動は本当に辛い。なんでサクラ小隊はあんなに元気なんだ。


 話を戦闘に戻す。


 苦労してレジェスミの方を向いた僕だけど、できることは少なかった。ブラインドは視覚が退化しているスワンプワームには効かないし、アシッドアローも酸毒系の魔法だ。耐性がある。基本的に暗黒魔法は闇酸毒のどれかを属性としてもっているので、湿地のモンスターとの愛称は恐ろしく悪い。


 となれば有効な手段は物理ダメージを与えられる躁屍くらいなわけで、つまり敵が死ぬのを待つ必要がある。だけどせっかく躁屍でワームを操ったとしても、見ての通り、湿地は360度から囲まれる場合が多い。各個撃破になりがちで、せっかく躁屍したはいいけど同時に他のモンスターにもとどめが、という状況が頻発している。こうなると本当に指揮に専念した方が良い感じだけど、だいたいWWでは廃プレイヤーが集まるこのゲームで、小隊規模の戦闘ではみんなセオリーが身についているのだ。


 僕がこれまでに指揮を取ったのは大体が大規模戦闘の局地戦だし、あとはマーシャヴェルナへ斥候へ行った時、クエストでゴブリンシャーマンと戦った時、つまりイレギュラーが起きた時に限る。


 最初の方はともかく、数回の戦闘をこなして湿地の特性にも慣れてきたみんなに事細かに指示を出す必要性は大して残っていない。


 だから僕は、頭の端で、そして目の端で、ある一点を注意している。


 ――このゲームの不自然なところとは。


 一体何を以て不自然というのか定かではない。現実に即した物理現象に反しているのか、ゲームとしての整合性が狂っているのか、もしくはグラフィックに切れ目があったりする不具合のようなものなのか。


 僕の脇にワームが打ち付けられ、頬に泥が跳ねた。


「やったから、むこういくわよ!」


 姫代子がほとんど怒鳴りながら、エイタロー達のヘルプに向かった。この臭いで多少機嫌が悪い。ユージンもエイタローもちょっと顔が青いし。


 例えばこの泥。このまま放っておけば渇いてこびりついたままなのだろうか。それともいつの間にか、エフェクト処理で消去されるのだろうか。どちらが起きてもおかしくないと僕は思う。


 躁屍をワームにかけながら、答えの出ない問いを繰り返す。


 不自然な所とは、一体なんのことだ。







 サクラさんのハンマーがワームを叩きつぶし、戦闘終了。


「日没には間に合いそう。さっさと渡っちゃいましょう」


 余計なことしなきゃもっと早く渡れてる、という続きは聞かなかったことにするが、だけど……


「サクラさん。ちょっとでいいんで注意してもらえませんか。メンデルさん、湿地に入ってから飛び出すことが多くて危ないですよ」

「殴っといた」


 くわえ煙草で眼鏡を拭いているサクラさん。さすがに怒っているようで、他の小隊員もメンデルに小言を浴びせている。


「こっちは連れてきてもらってる立場だからね。そういうの、すぐ忘れるんだ。湿地もCHじゃ初めてだし、今までWWで採取できてた材料にやっとお目見えできるから、興奮してもまあ、しかたないとは思うよ。だけどさっきのは行き過ぎ」

「言ってくれればみんなでフォローできるっすよ。俺は作成関係全然ですけど、新しい素材が今より状況を悪くするなんてないでしょうし」


 サクラさん達が名乗りを上げた段階で、この旅は素材マップを作るという目的も加わっている。銀なんかを発見したらそれだけで装備のランクが二つほど上がるから、是非とも見つけてほしいと思う。特に僕たちには無償で作ってくれるということだから。


 だけどそれで死んじゃ元も子もない。蘇生手段がない現状、砦まで戻ってしまうと探索にかなり遅れが出る。


「だから、見たって」

「んなわけない。どこにもいねーじゃん」

「さっきはいたんだって!」


 ふと気づくと小言組の様子がおかしい。イイリコ小隊の面々も何事かと振り向いて、


「あっちにさ、あれ絶対人だって」


 なんだと。







「その……やっぱ人じゃなかったかも」


 十一人に囲まれて途端に萎縮するメンデル。ユージンとサクラさん、エイタローを除いて、みんな警戒のために散る。


「メンちゃん、正直に言いなよ。見たの、見てないの」

「み、見た! 絶対あれ人だって! なな、なんでこんな所にいるのかは知らないけど、でもあれ、もしかしたら探してるやつかもしれないんだろ?」


 男爵の話は全員で共有している。あくまで開拓のついでという程度だけど、だけどまさかこんな所にいるとも思えないけど……。


「コケ取った時だよ。他にも見た人いないの? ねえ、サムライさん」


 エイタローは小さく首を振って、


「人かどうかはわからない。なにか影みたいなものが動いたのは見えたけど」


 ごめん、と頭を下げる。別に謝るような事じゃない。ここは湿地の真ん中だし、メンデルが見たっていう林はずいぶん遠い。むしろ今あそこに人が立っていたとしても、自信を持って「いる」と断言できるかは怪しい。


「どんなヤツだったっすか」

「顔はさすがに見えなかったけど、帽子とマント、全部黒だったよ。目が合ったような気がしたら、すぐに振り返って消えてった……い、いや、信じられないかもしれないけど」


 林は北の方だ。東にまっすぐ進んできた僕らにとっては直角に曲がって抜けることになる。もし相手が男爵だとして、それをする必要はあるだろうか。


「……メンデルさんが男爵の一派を見た可能性は、ゼロじゃない、と思う」

「その心は?」


 サクラさんは新しいタバコに火をつけながら、きいてきた。


「男爵はランタンを持っている。目下ランタンが役に立ちそうなのは砦の地下です。となると、男爵はいずれ砦に行く可能性は高い。それが少し早かった場合、砦を張っていれば僕たちを見つけるかも知れない。プレイヤーの方針がしばらく防戦で固まっている今、僕らは目立つでしょう。僕らは特に隠れなかったし、会話も隠そうとはしなかった。僕らの目的の一つが男爵だと聞こえた可能性はなきにしもあらずだし、例えば見張りの誰かがそれを報告した男爵が興味を持った、とは考えられます」

「ものすごい推測だらけだけど、本気?」

「ゼロじゃないだけでほとんどゼロだと僕は思っています。それにメンデルさんが男爵を見たとして、僕らがあそこまで湿地を抜ける時間で、男爵達は遠くまで逃げることができる。向こうから接触しようとしない限り、ここで追いかけるのは無駄だと思います。だから、とりあえず今は当初の予定通り進みましょう」


 だけど……だけど、本当に夕闇男爵が噂通りの物好きなプレイヤーだったとすれば……


 わずかな可能性が的中するのは、不思議じゃない。

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