第二話
「いっ、いいえ! そんな、そこまでお世話になることはできません!」
小さな店に、少女の声が響いた。
セイムスが『うちで暮らすといい』とか『お金ならいくらかあげられる』などと言ったため、それを遠慮した二人と軽い口論になっていたのだ。
「大丈夫です! 働ける場所さえあれば自分で稼げます!」
・・・と言っても、ほとんどティアナが叫んでいるだけだが。
ロウとセイムスは顔を見合わせ、苦笑い。
「・・・そこまで言うなら、うちで働いてくれないかの? 宿屋もやっているんじゃが、人手不足なんじゃ」
と、知らない声。ぱっと振り向くと、立派なヒゲをたくわえたおじさん。どことなく、セイムスに似ている。
「親父!」
「セイ、上まで声が響いていたぞい」
少し咎めるように言ったあとに、茶目っ気たっぷりに片目をつぶる。
「カワイコちゃんとイケメンが居れば、客寄せにもなるしの?」
「親父・・・!」
セイムスは嬉しそうに顔をほころばせたが、一人、ロウは不服そうな顔をした。
「・・・僕、女なんだけど」
場の空気が、一瞬固まった。
それから半年。二人は結局、セイムスの父、レイマスの宿屋兼大衆食堂で働いていた。
「ロウ君~、こっちにお水くれないかしら~?」
「はいはいっ、ただいま!」
レイマスの言ったとおり、店は繁盛している。・・・ロウは君付けで呼ばれるのが不服なようだが。
「ティアナちゃ~ん、注文おねが~い」
「はーい、今行きます!」
もちろん二人は大忙し。なにせウェイトレスはロウとティアナ、それにセイムスの妹マリアの三人しかいないのだ。
むしろ、三人でよく回せているな、という感じだ。
「ティアナちゃん可愛いよね~。良かったら、今度オレとどっか行かない?」
「まあ素敵。ですけど、私にはロウがいますから」
このように、ナンパされることも多いが、大抵ロウを引き合いに出してかわしている。
ロウが女だと知っている人は少ないので百合の疑いが出ることもないし、美少女&美少年のカップルだと言う事で、それ以上は誰もツッコまない。
「あの~、注文お願いしま~す」
「はーい、少々お待ち下さい!」
こうして、忙しい時が過ぎていく。
「・・・ふうっ」
営業時間が終わったので、水を飲んで一息。大声で応対をしているので、夕方になると軽く喉が嗄れてくる。
隣では、ロウが服の首もとを緩めて一息ついている。
「お疲れ様。はい、今月のお給料」
「あ、ありがとうございます」
ニッコリと笑って、マリアが小さな袋を二つ渡した。中身は、銀貨が8粒。
この世界の貨幣は、やはり金貨、銀貨、銅貨だった。単位はリト。
それぞれに小、中、大があり、大きくなるにつれて価値が十倍になる。
そして、小さい貨幣は粒、中ぐらいは玉、大きいのは枚と数える。
・・・ちなみに、1リトは約5円、なので銀貨8粒、つまり8000リトは約4万円。
アルバイトとしては日本とそんなに変わらないが、二人はレイマスの家に下宿しているので、普段はほとんどお金を使わない。
なので、既に二人合わせて96000リト、48万円は貯まっている。
ある日、ロウが家に住まわせた上にお金を払っていて、支出は大丈夫なのかと尋ねたところ、
「ふふっ、二人のおかげで、このところ売上が5倍ぐらいにはなってるのよ? 月16000リトぐらいどうってことないわ」
と、にこやかに返された。それを聞いて以来、二人はさらに頑張って接客をしている。
「さてさて、寝る前にちょっとお茶しない?」
マリアは、ニッコリと笑ってそういう。本当に、いつでも笑っている人だ。
もちろん彼女はロウが女である事を知っているので、夜三人で集まってするこのお茶会を、『乙女の癒し』などと呼んでいた。
この場合、癒されるのはもちろん『乙女』のほう。
三人で一口お茶を啜り、ほうっと息をつく。
「二人が来て、もう半年かぁ・・・ホント、早いねえ」
と、少ししんみりとつぶやく。
「マリアさん、らしくないですよ?」
「そうそう、マリアさんはいつも朗らかに笑ってなきゃ。“夕凪館”の看板娘だよ?」
“夕凪館”とは、この店のこと。上の宿屋が“夕凪旅館”、下の食堂が“夕凪食堂”と呼ばれている。
「だけど、二人が来てから本当にこの店も賑やかになったわね。ロウもティアナも、ずっとこの店にいてくれたらいいのに」
そう言ってから、いつものようにニッコリと笑う。
「まあ、二人の本職は旅人だし。私には止める権利はないけどね」
それを聞いて、二人はドキッとする。
一番初めに、自分たちは旅人だと言ったことを、二人は後悔し始めていた。
(もう、ここ以外にいることなんて考えられない)
そう思っていた。
だが、何故か最近、ふと思いついたようにマリアは先程のようなことを口にする。
その度に、二人は顔を曇らせた。
(なにそれ、なにその嫌なフラグっ!)
そう思うのはティアナ。
(そのうち、僕たちも要らなくなるのかな?)
と、思うのはロウ。
なにせ二人は、前世誰にも必要とされず、蔑まれていたのだ。
事あるごとに不安で震えるのは、当然のことだった。
「・・・ね、ねえマリアさん」
ついに、勇気を出してロウが尋ねた。
なあに、というように首を傾げるマリア。
「最近よくそれ言うけど・・・僕たちは、マリアさんたちが良ければずっとここにいるつもりだよ?
・・・どうして、そういう事言うの?」
微かに声が震えている。顔も青ざめていた。
それを見たマリアは、はあっと大きく溜息をつくと、途方に暮れたように上を向いた。
「どうしようかな・・・」
「お願いです、教えてください!」
ティアナは言い募る。
一瞬の沈黙。マリアは、観念したように話しだした。
「夢を・・・見たのよ」
「夢?」
その答えに、二人は揃って首を傾げる。
「言ってなかったけど、私のおばあちゃんは占い師でね、私も、たまに予知夢のようなものを見るのよ。
最近は全然だったんだけどね」
「どんな、夢だったんですか?」
ほとんどつぶやくようにそう尋ねると、マリアは、また大きくため息をついた。
「建物の、中にいたのね・・・二人も、隣にいて。だけど二人は、そこを出て、行ってしまう。
慌てて追いかけようとしたんだけど・・・黒い靄みたいなものに出てきて、道を塞がれちゃったの。
それどころか、その靄が、体にまとわりついてきて・・・
思わず悲鳴をあげちゃって、それで、二人は私を助けてくれようとしたんだけど・・・今度は二人に靄にがくっついて。
靄は、二人を建物の裏の、闇の深いところに引っ張り込んで・・・闇に飲まれて、姿が見えなくなっちゃった」
語り終わると、しばらく誰も話さなかった。
「・・・それで・・・それが、さっきの言葉と、どういう関係があるわけ?」
ロウが、震える声でつぶやく。マリアは、怯えたように顔を伏せた。
「だって、私が出て行った二人を追いかけようとしたから、黒い靄に二人は捕まっちゃって・・・
始めに二人が行こうとした方向は、普通に明るい道だった。なのに・・・」
「だけど、それは夢、でしょう?」
ティアナの言葉に、マリアはぱっと顔を上げる。
「マリアさんの話を軽んじているわけではないですけど。
それに、予知夢って、その出来事を回避するために見るんじゃ無いですか?
靄に触れるのが危険なら、外に出なければいい。・・・この場合の外が、何を指しているかは分かりませんが」
静かに、そうしめたティアナ。マリアは、少し安心したように、
「そうね・・・それもそうね。ティアナの言うとおりだわ」
そう言って、また微笑んだ。・・・いつもの笑顔に比べると、少し顔色が冴えなかったが。