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音楽会

作者: 中山俊文

音楽会


〔一〕


 友人から、奥さんが入っている市民オーケストラの演奏会のチケットが二枚送られてきた。

 私たち夫婦と友人夫婦とは月に一回のペースで、県内あちこちの山に出かける山友達である。しかし、この三ヶ月の間私たちのことを気遣ってか、友人夫婦から山行きの誘いがなかった。

 友人の奥さんは趣味でヴァイオリンを弾いていて、もう長いこと地元の市民オーケストラで弾いていた。毎年この時期に奥さんのオーケストラの演奏会があり、私たちは欠かさず聞きに行っていた。今年もその時期がやってきたのだ。私たちはこの三ヶ月の間必要最小限の、たとえば食料品の買出しくらいにしか出かけていなかった。

 このときもあまり気が進まなかったが、いつも行っているのだし、気分転換になるかもしれないと、重い腰を上げることにした。


〔二〕


 演奏会場の開演前のロビーは、顔見知りと出会って挨拶を交わしたり、談笑したりしている人たちで混み合っていた。。私たちは知っている人には誰にも出会わなかった。かえってそれがありがたいと思った。そもそも音楽好きの知り合いは友人夫妻くらいのものなのだから、こんなところで誰かに出会う可能性はあまりない。友人夫婦の旦那さんのほうが会場に来ているはずだが、それにも出会わなかった。向こうの方で気を遣ってそっとしておいてくれているのかもしれない。

 私たちは会場につくとすぐに客席に入って席を探した。ロビーの混雑ぶりに比べてホール内は空いていて、好きなところに席を取る事が出来た。

 一回目のベルが鳴ると、ぞろぞろとロビーにいた人たちが客席に入ってきて、空いている席がだいぶ埋まり始めた。客の動きはすぐに一段落したが、空席はたくさん残ったままであった。

 二回目のベルが鳴ると客席が暗くなり、舞台上が照り付けられるように明るくなった。舞台の両側から演奏者たちがそれぞれの楽器を持って登場してきた。みな素人のはずだが、専門の演奏家と同じように男性は上下黒のスーツに黒の蝶ネクタイ、女性は白いブラウスに裾を引きずるような黒のロングスカートをはいている。毎年思うことだが、ごく普通のおじさんおばさんたちだが、こうして正装しているところを遠い客席から見ているとみな立派な音楽家に見えてしまう。友人の奥さんがヴァイオリンの人たちに混じって出てきたのがわかった。山歩きのときとはまるで違うすました感じである。友人の奥さんは自分の席に着くとほかの楽員の陰になって私たちの席からは姿が見えなくなった。


〔三〕


 舞台上で音合わせが始まるとあたりが静かになり、それが終わると舞台上もシーンとなって指揮者の出を待った。靴音が聞こえて下手から指揮者が足早に登場した。指揮者は専門家らしく、いかにも慣れた素振りで客席に笑顔を見せてお辞儀をし、楽員の方に振返るとリラックスさせるように頷いて見せてから、自ら心の準備をするためか少しの間手を前に組んでうつむいていた。やがて両手を体の前に挙げて指揮棒を小さく振り下ろすと音楽が流れ始めた。軽い動きの静かな始まりであった。


〔四〕


 私は音楽が始まってしばらくのあいだ、その流れを追っていたが、すぐに心は音楽から離れて想い出の中にさまよいこんでいった。

 娘の嫁ぎ先の母親から、娘が急死したという涙声の電話があったのは三ヶ月ほどまえのまだ夜も明け切らない時間だった。娘は気分が悪いから早く寝るといって床に就いたその夜中に苦しみだし、救急車で病院に運ばれたが、夜が明ける前に息を引き取ったということであった。

 私は、そのほんの半月ほど前、娘が夫婦で私たちのところに帰省していたときのことを思い出していた。そのとき娘夫婦はともに風邪気味で、喉が痛いといっていた。それでもさして気にすることもなく料理を作ったり、夫婦二人で一時間以上の散歩に出かけて、汗が出るほどの速足で歩いたといって返ってきたりしていた。私の脳裏には、小さい頃からの癖で首を右にかしげて話す娘の笑顔が纏わりついて離れなかった。ただ、娘がなんとなく血の気のない青白い顔色をしているのが少し気になったのを覚えている。

 周りの拍手でわれに返った。一曲目が終わったのだ。二曲目はチェロの独奏者が登場して、オーケストラの伴奏で演奏し始めた。この曲も静かな始まりであった。音楽が流れ出すと、私の中には娘の子供時代の姿が現れた。

 誕生会に友達を呼んだときのことである。娘と招待したみんなは家の前で縄飛びをしていた。私はそばの石段に座ってそのようすを見ていた。

 ちょうど次に娘が飛ぶ番になったとき、家内が家の中から、

「みなさーん、ケーキが焼けましたよー。お家に入りなさーい」

と呼んだ。みなは、

「ワーッ」

と歓声を上げながら家に駆け込んだ。娘は自分が飛ぶ番だったので、

「待ってー」

と叫んだ。それを聞いて一人の子が戻ってきたが、みなはもう家の中に入ってしまっていた。娘はその場でべそをかき出した。そのとき私は思い切り娘の頬を叩いて、

「こういうときにわがままを言うんじゃない」

と叱った。娘は一瞬びっくりした顔をしたが、やがて火がついたように泣き出した。娘は長い時間泣き続けた。招待した子供たちや近所の奥さんまで寄ってきて慰めたが、容易に泣き止まなかった。そのとき私は、一緒に慰めたり謝ったりはしないで硬い態度を取り続けた。お誕生会は流れ解散のようになった。

 あれは叩かれた痛さで泣いたのではなく、理不尽な叱責に対する抗議と、みなの前で叩かれた屈辱感だったのだと思う。それまで娘に手を上げるようなことはしたことのない私が、なぜ突然叩いたのか自分でも理解できない。娘が大きくなってから、そのことを話したことがあったが、娘は覚えていないと言った。しかし、私のなかで後悔の念は何時までも消えることがなかった。いま音楽をよそに、やわらかい娘の頬に手のひらが当たった瞬間の感触が思い出されてふいに涙がこみあげてきた。はっとして周りのけはいを探ったが、みな舞台に注目していて、私のようすなどには気づいていないようなので安心した。ただ、家内は舞台を見ないでうつむいているようだった。

 そのとき、激しいオーケストラの音に続いて、チェロが優しくおおらかなメロディを奏でるのが耳に入ってきた。しかしそれはすぐに別の展開の中に吸い込まれていった。私は望みもしないのにまた娘の想い出の中に引き込まれていくのだった。

 気がつくと、大きな拍手で独奏者と指揮者は何度も舞台に出てきてはお辞儀をしている。


〔五〕


 休憩時間になった。周囲がざわめき隣席の人が、

「失礼します」

と狭い膝の前を通っていった。家内も想い出の中にいたのだろうか、私たちは言葉を交わすこともなく、休憩時間の間ぼんやり座ったままであった。

 ベルが鳴り、隣席の人が狭い膝の前を通って席に戻った。薄暗くなっていた舞台が再び明るくなり後半が始まった。

 飼っていた犬がフィラリアに罹り末期的な症状を見せていた。その時期私たちが住んでいた借家を、家主が買い取ってくれないかと言ってきていた。もし買わないのなら他に売りたいとも言っていた。そんな時期だったので、当たるはずもないと思いながら、公団のアパートの抽選に申し込んだ。抽選会では、中学卒業間近の娘がくじを引いた。これが当たったのである。

 私たちは、犬が飼えない公団のアパートに引っ越すか、当選の権利を放棄するかを何日も話し合った。しかし、遠からず今の借家を引き払わなければならないという現実は変えられない。私たちには、その家を買い取るお金も、そのつもりもなかった。娘が受験して受かった高校が、公団アパートから近かったこともあって、我が家の歴史上最も非人道的な決断を下した。

 その日は、家内と私で犬を保健所に連れて行くことにしていた。苦しげに咳をする犬の首に娘は大事にしていたお守りを結びつけた。出発するまで娘は犬の首を抱いていた。我が家では、犬を車に乗せるのはそのときが初めてであった。娘も行きたいと言ったが、行かせなかった。車を見送るとき娘は一切涙を見せなかったが、

「バイバイ」

と言って走って家に入っていく姿がバックミラーに映った。家内は車の中で、犬を抱き寄せて、

「ごめんね。ごめんね」

と涙声で言い続けていた。私はただ前を見つめて車を走らせた。

 私たちは保健所で無言のまま手続きを済ませると、職員に檻のある建物に案内された。そこには幾つかの檻が並んでいて、どの檻にも捕らえられた野良犬や、私たちの犬と同じようにおそらく捨てられた犬が詰め込まれている。私は犬の綱をはずして抱え上げ、檻の上から先に入っている犬たちの中に放り込んだ。ほかの犬たちが新入りを取り囲むと、我が家の犬は尻尾を足の間に巻き込んで檻の隅に後ずさりした。首のお守りが見えていた。私たちは、それ以上そこに居ることができないで檻のある建物を出た。家内は泣いていた。私も下を向くと涙がこぼれそうだった。案内の職員はそれを察して何も話しかけてこなかった。きっと彼はこのような場面を何度も何度も経験しているのであろう。

 我が家ではこのあと何年も犬の話は一切しないようになった。テレビで飼い犬の話が出てくると、誰かがそれとなくチャンネルを変えた。元気なときの犬の鳴き声とその犬とふざけあう小さいころの娘の声を録音したカセットテープがオーディオの棚に以前から置きっぱなしになっていたが、私はそれを気づかれないように隠した。


〔六〕


 音楽は切々としたリズムを刻んでいた。いつの間にか想い出は背後に薄れて音楽が聞こえ始めていた。切々とした音楽は胸を締め付けるようなメロディを伴って続いていく。やがてそのリズムは音量をまして力強い行進のように突き進み始めた。私はその音楽の高揚に胸がいっぱいになり、涙が頬を流れるのをとどめることが出来なかった。それを拭うこともせずに音楽を頭の中いっぱいに響き渡らせた。


 演奏会が終わって外に出たとき、心はもう悲しみに満たされてはいなかった。友人の旦那さんが私たちを見つけて声をかけた。私たちはチケットの礼を言い、次回の山行きを約束して分かれた。


〔七〕


 家に帰ってから会場でもらったプログラムをテーブルの上にほうりだして、家内の入れたコーヒーをすすった。

「今年は去年よりよかったみたいね」

と家内が言った。私は投げ出したプログラムを何気なく開いた。ブラームス作曲『大学祝典序曲』、ドヴォルジャーク作曲チェロ協奏曲、ベートーヴェン作曲交響曲第七番。これが今日演奏された曲目であった。

「アンコールは何ていう曲だったの」

と家内が聞いた。音楽に疎い私に聞いても答えが返ってくるはずもない。

「さー、ベートーヴェンの何かじゃないかね」

私はどこかで聞いたような気がしたが、曲名など知らなかった。家内もそれ以上確かめる気もないらしかった。

 私はプログラムを見ても、それぞれの曲を思い出すことはできなかったが、ただ後半の曲の途中、音楽の盛り上がりとともにどうしようもなく涙が溢れたときの響きが心の中で鳴り続けているのだった。〔完〕


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