第八章 古代パート「火の巫女、古き国の終幕」※改訂版
霧の記憶(古代パート)の旅は、これで完結となります。
古代パートは、倭国を形作った四人の存在――
卑弥呼・台与・卑弥弓呼・狗古智卑狗 の影響を背景に描かれた物語です。
卑弥呼は、武力をもたず霊威と統合の理念で国をまとめた巫女王。
台与は、幼くして国の安定を背負った継承者。
卑弥弓呼は、もう一つの正統を掲げ倭国に抵抗した狗奴国の王。
狗古智卑狗は、実戦に根ざした武の思想を支えた将軍。
彼らの「和」「継承」「抵抗」「武」の四つの力が互いにぶつかり合い、
倭国という複雑な共同体が形作られていきました。
彼らの歩みは、次世代へと繋がり、「静かな光」の源となっていくのです。
~時を超えて~
霧島川の下流。砦の木柵が朝霧に滲み、縄の繊維が水を含んで黒く重い。台与は最前線に立ち、白い衣の裾を手で押さえた。胸の霊鏡は露を帯び、短剣の柄は温もりを吸って手に馴染む。
「……来る」
霧の向こうで、盾のきしみ、馬の鼻息、短く交わされる命令の声。音だけが先に現れ、形は最後に追いつく。
和真が一歩前へ。槍を構え、視線を低く。足の指で土を掴む癖は、少年の頃に身につけたものだ。
狗奴国の先鋒が砦へ雪崩れ込む。赤銅色の鎧に刻まれた炎の紋が霧の白に鈍く光り、刃と刃がぶつかるたびに低い火花が散る。
「恐れるな!」
和真の声が腹に響き、兵の膝が揃う。槍の穂先が一斉に前へ延び、押し、引く。短い悲鳴。土の匂いが濃くなる。
台与は霊鏡を掲げ、短剣を胸の横で立てた。
「この地は、われらの息と同じ。火は消えない。霧は奪わせない」
幼い声ではない。息の置き方を知った声。兵の頬に赤が戻り、頷きが列に伝わる。
砦の外側から火矢が射込まれ、湿った羽根が焦げる匂いが走る。見張り台の男が水をかけ、煙が白い輪になって空へほどけた。
霧を割って、一騎が前に出る。狗古智卑狗。肩の赤布が雨のような露で重く、しかし目の底は乾いたまま。
「巫女を討てば、幕は落ちる!」
低い号令。
和真が踏み込み、槍と剣が交差する。金属音が低く沈み、すぐに高く跳ねる。刃が滑り、柄がぶつかり、両者の息が白く絡まる。
台与は二人の間合いを読む。近すぎず、遠すぎず。短剣の重みは、心の重みと同じだ。振れば軽く、迷えば沈む。
(終わりは、終わりだけではない。形が変わる)
卑弥呼の気配が霧の奥で淡く灯る。声ではない。記憶の体温だ。
狗古智卑狗の剣が円を描き、和真の肩口を掠めた。赤が滲み、布が貼りつく。
「和真様!」
台与は一歩で距離を詰め、短剣の腹で剣を弾く。甲高い音。一瞬の隙。
和真の槍が下から跳ね上がり、相手の胸板を打つ。重い息。馬が後ろ足で立ち、泥がはねる。
「退け!」
狗古智卑狗が歯を食いしばる。後列へ合図。霧がまた濃くなり、影がぼやける。
追うか。追えば、霧で道を失う。
台与は短く首を振った。
「守りを解くな。ここは境だ」
境は線ではない。厚みだ。霧と土と息が折り重なる厚み。
やがて、音が引いた。残るのは、土の湿りと人の息。戦は終わってはいない。終わらせるのは、ここではない。
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台与は短剣の刃に映る自分の目を見た。幼さは引き、火だけが残る。
「古い形は、ここで終わる」
呟きは小さいが、砦の木に吸い込まれず、空へ上がった。
和真が頷く。
「終わりは、次の始まりだ」
霧は薄くなり、遠くに山の稜線が現れた。
火の国は、形を変える。霧は、境を塗り替える。
その朝、古い国の幕は、静かに、しかし確かに下り始めた。
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戦の音が完全に引くと、谷に鳥の声が戻った。折れた槍の柄が集められ、負傷者の肩に布が巻かれる。
捕らえた狗奴の兵は、武器を離れて地に座った。誰もが泥と血で同じ色になっている。
台与は一人ひとりの目を見た。
「この地を荒らした罪は消えない。だが、無益な血はこれで終える」
和真がうなずき、兵に合図する。捕虜は霧島の外へと逐次送還し、指導者層のみ厳しく処す――ただし、見せしめの処刑は行わない。
「恐れで縛れば、霧は濁る。私たちは、火で照らす」
その夜、狗古智卑狗は鎖をかけられた。
「命は取らぬ。だが、南の辺境に下るがいい。二度とこの霧を越えるな」
彼は短く笑い、何も言わなかった。炎に照らされた瞳は、なお乾いていた。
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数日後、斥候が告げる。卑弥弓呼の本隊は山を下り、跡は霧と雨に消えた。
「追わない」
台与は即答した。
「今は、内を整える。結界を厚くし、民を休ませる。外へ向けた門は――しばし閉じる」
和真は驚いたように台与を見る。
「それは、声を小さくすることになる」
「声は消さない。内に向けて、深く通す。火を絶やさなければ、また開ける」
やがて、難升米が城柵に呼ばれた。
「静けさが戻ったら、東の国へ道を開く。今すぐではない。だが、その日が来たら――言葉を携え、海を渡ってほしい」
難升米は深く拝礼し、霧の匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。
(この地の火を、外に伝える時が来る)
台与は霊鏡を外し、掌に載せる。卑弥呼の温もりはもうない。けれど、鏡は微かな光をたたえていた。
「古い形は終わる。国は、いくつもの輪に分かれて息をするでしょう。けれど輪は、また結べます」
和真が静かに応じる。
「その時、私が橋になる」
「頼みます」
霧の幕がまた一枚、薄くなる。遠くで水の音が笑った。
……こののち、火は奥に、門は内へ。声は低く、深く。
そして、静けさの底で芽吹いた輪は、のちに再び結ばれていく。
いつか東の海を越え、言葉は新しい名で呼ばれ、別の光に照らされるだろう。
その始まりだけが、今ここにある。
第八章 了
霧の記憶(古代パート)の旅は、これで完結となります。
古代編は、倭国を形作った四人の存在――
卑弥呼・台与・卑弥弓呼・狗古智卑狗 の影響を背景に描かれた物語です。
卑弥呼は、武力をもたず霊威と統合の理念で国をまとめた巫女王。
台与は、幼くして国の安定を背負った継承者。
卑弥弓呼は、もう一つの正統を掲げ倭国に抵抗した狗奴国の王。
狗古智卑狗は、実戦に根ざした武の思想を支えた将軍。
彼らの「和」「継承」「抵抗」「武」の四つの力が互いにぶつかり合い、
倭国という複雑な共同体が形作られていきました。
彼らの歩みは、次の世代へと繋がり、「静かな光」の源となっていくのです。




