08.上司は動揺を隠せない
その日の夜、アルベルトは自宅の自室をうろうろ歩きながら考え事をしていた。
いつもなら魔法陣でリズの退勤風景を眺めたあと、いろいろと妄想を巡らしている時間だが、今日は違う。
頭の中を占めるのは、昼間の出来事だ。
『私、仕事を辞めようかと思っているんです』
『弟も就職しましたし、私も気が付けば二十三歳ですし。仕事を辞めて、婚活しようかと』
アルベルトの大事な秘書は旅行のガイドブックを見ながら、とんでもない爆弾をアルベルトに投げつけてきた。
結婚願望がないと言っていたリズが、仕事をやめて婚活をするなんて!
『あれから六年もたっています。人は変わるものです』
その通りである。だが、許せない。
六年もそばにいて、仕事も社交の場でも申し分ない働きをして、さらにアルベルトの心も癒して、必要不可欠な存在になっておきながら、こちらになんの相談もなく去就を決めるなんて。
もちろん引き留めにかかった。
婚活なら辞めずにもできるだろう、と。
リズの反応は芳しくなかった。
すでに決心しているのだろう。
話の流れで、リズが妻の候補になるとも言ってみた。
こっちは冗談にされてしまった。
冗談ではなかったのに。
しかし、突然すぎる。
辞めたそうな気配はまったくなかった。
先の休日、リズは弟のフェリクスと会っていた。魔法陣で見ていたので知っている。ちなみにこの見守り魔法、音は聞こえない。
弟に何か言われたのか?
「あり得る」
アルベルトは窓辺に近付いて腕組みをした。
リズは唯一の家族である弟を溺愛している。リズはその弟に文官になってほしいようだが、身分のせいで正式採用が遅れることを不安に思っていた。その不安を払拭するために、アルベルトはフェリクスの文官試験に際し、推薦状を書いてやったのだ。
文官試験は誰でも受けられるが、平民なら有力な人物の推薦状を持っていると強い。その人物と縁があることを示すものだからだ。
恩をあだで返しやがって。と思ったが、フェリクスにはなんの非もない。
それくらいはわかっている。これは八つ当たりだ。
『私は決して、長官を好きになったりはしませんから!』
遠い日のリズの声がこだまする。
実際、この六年、リズから信頼は感じていても好意は感じていない。
リズは自分のことを男として意識していない。
こちらは夜な夜なリズの美しい裸体を想像して昂っているというのに、だ。
アルベルトが知る限り、リズは今まで男と付き合っていない。
厳格な女学校出身のリズが在学中に男と付き合うわけもない。
女学校卒業後、半年ほどしてリズはアルベルトのもとにやってきた。その半年は、弟を養うために必死に仕事を探していた時間だ。リズの性格からして、男と付き合っているとは考えにくい。
つまりリズは、男性への免疫がない。
「……意識させれば、あるいは……?」
自分がリズの好みから派手に外れている可能性は、いったん外に置いておいて。
問題は、どうやって意識させるか、だ。
何しろ今まで一度も女性を口説いたことがない。