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06.部下の決意

「姉さん、久しぶり!」


 カフェのテーブルから立ちあがり、弟のフェリクスが手を振る。

 半年ぶりに会うフェリクスは二十一歳になったばかりとは思えないほど、大人びた雰囲気を漂わせていた。

 リズは笑顔を浮かべてテーブルに近付き、弟を抱きしめる。彼の背が自分より高くなっていることに、改めて時の流れを感じた。


 ラヴェンデル公爵邸での夜会から三日後。

 リズは半年ぶりに弟と王都中心部にあるカフェで待ち合わせていた。


「フェリクス、元気だった?」


 リズはテーブルに着きながらたずねた。リズが秘書の仕事を始めたときはまだ学生だった弟も、今では文官として王宮に出仕している。

 リズと同じ赤毛に緑目。かつてはリズと瓜二つで姉妹に間違われていたなんて、もう誰も信じてくれないだろう。


「うん、充実してるよ」


 フェリクスは明るく微笑んだ。

 店員がやってきて、注文を聞く。リズはハーブティーとケーキのセットを頼んだ。

 甘いものは大好きだ。カフェめぐりはリズの休日の楽しみでもある。


「いじめられたりしてない? 文官って、貴族の出身の人が多いから……」


 フェリクスは半年前、文官試験を突破して無事に文官として登用されたのである。


「部署によるかな。僕の配属先はそうでもないよ。それに、僕の実姉が『あの』ロイエンフェルト長官の秘書、というのもけっこう大きくて」

「え、私?」


 自分の名前が出てきて、リズはびっくりした。

 ちょうど店員がやってきて、リズの前にハーブティーとケーキのセットを置いていく。


「姉さんは有名人なんだよ。もちろん、ロイエンフェルト長官のほうが有名だけど。あの人、人気があるんだね。知らなかった」

「そうね。たくさんの方から声をかけられているわね。仕事でも、パーティーでも」

「魔法管理局の長官がロイエンフェルト閣下に変わって、話ができるようになったってみんな言っている。けっこう凄腕なんだね、あの人」

「そうねぇ」


 前任者の仕事ぶりを知らないから、なんとも言えないが、アルベルトの仕事量は多いと思う。しょっちゅう突発的な用事が入るので、スケジュールの管理は大変だ。


「働き始めて、姉さんの偉大さがわかった。姉さんはすごいよ」

「あら、ありがとう」

「でも、相変わらず忙しそうだね。顔色、あまり良くないよ」

「気のせいよ。仕事は忙しいけど、充実してるから」


 気づかわしげなフェリクスに、いい香りがするティーカップを手に取りながら答える。


「ロイエンフェルト長官はとても厳しいんだろう? 大丈夫?」

「アルベルト様は厳しいけれど、公平な方よ。仕事に誠実で、周囲にも同じことを求めるだけ」

「でも、姉さんに恋人の一人も現れないのは、そのロイエンフェルト長官のせいだよね」


 フェリクスの言い草に、リズはハーブティーをのどに詰まらせて咳き込んだ。

 フェリクスが黙ってハンカチを差し出す。

 それを奪い取って口元を押さえる。


「な、何を言い出すの?」


 アルベルトへの気持ちは誰にも明かしていない。弟にも、だ。

 なのに言い当てられてしまって、リズはハンカチを握りしめたまま真っ赤になって弟を睨んだ。


「私とアルベルト様はそういう関係じゃ……」

「わかってるよ。僕が言いたいのは、ロイエンフェルト長官のもとで働いていると姉さんが忙しすぎて、恋人を作る暇もない、ってことだよ」

「それは……確かに、そうだけど……」


 忙しすぎて出会いがないのは本当だ。

 魔法管理局は他の王宮の機関とは一線を画した存在なので、横のつながりがとても弱い。かといって管理している魔法使いたちと仲がいいかといえば、そんなこともなく。

 アルベルトとともに参加するパーティーでは、リズはアルベルトの附属品でしかない。アルベルトを知る人ならアルベルトが伴っている女性が平民出身の秘書だと知っているから、誰も声をかけてこないし。

 たまに声をかけられても、結局はアルベルトに近付くためであって、リズに用がある人に会ったことがない。

 新しい出会いを求めているわけでもないから、別にいいけれど。


「だって、姉さんはずっと僕のために頑張ってくれた。今度は姉さん自身の幸せを考えても良いんじゃないかな」


 フェリクスが優しい目付きで姉を見つめる。

 リズは弟の成長ぶりに感慨深くなった。

 両親を亡くした後、彼を養うために自分の人生を後回しにしてきたが、今ではこうして自分を心配してくれるまでになっている。


「ありがとう、フェリクス。でも私は今の仕事が好きだから」

「そうなの? でも……実は、姉さんについて気になることがあるんだ」

「何?」


 フェリクスが言いにくそうに口を開く。


「姉さんがロイエンフェルト長官のパートナーを務めているから、ロイエンフェルト長官がお相手探しに本気にならないと言われているんだよね」


 リズの脳裏に、先日のパーティーでの会話が蘇った。


「そんなことを言われているの? 誰が?」

「文官たちの間で、そういう噂があるんだ。ロイエンフェルト長官は、ほら、目立つから」


 社交界ではとっくの昔に囁かれていることだが、社交界の外にまで漏れているということは、最近になって誰かが大声で吹聴してまわっているということだ。


 ――ステインバーグ侯爵……?


 それとも……?

 マリアンの美しい顔が脳裏に浮かんで消えていった。


 リズは窓の外に目をやった。

 雨に濡れた石畳の通りが見える。いつの間にか雨が降り出していたのだ。傘を持ってきていないことを思い出して憂鬱になる。濡れながら帰るしかない。


 なんだかんだいってもこの六年、リズの状況は変わらなかった。

 でも今、急速に状況が変わりつつある。

 きっと、アルベルトの年齢が関係している。もう三十路なのだからそろそろ身を固めなさいと、そうロイエンフェルト家が動き始めたのだろう。


 何を優先するべきか。

 自分の人生か、大切な人の人生か。


 ――そんなの、考えるまでもないわよね。


「フェリクス、私、少し考えていることがあるの」

「何?」

「仕事をやめようかなって」


 それはたった今思いついたことだったが、これ以外にいい方法はないような気がした。

 フェリクスがこれ以上ないというほど目を丸くする。


「えっ、でも姉さん、たった今、仕事が好きだって……」

「そうなんだけど、私がアルベルト様の邪魔になっている、という指摘は前からあったのよ。パーティーへの同伴は業務だからと我慢していたけれど、その、ね」


 なんと言葉を続けたらいいのかわからず、リズは言葉を濁して肩をすくめた。


「文官の僕にまで話が聞こえるくらいだから、姉さんを快く思っていない人は多いんだろうね」


 そんなリズに、フェリクスは冷静に返事をした。

 まあ、確かに、リズを快く思っていない人は多いだろう。

 最近だと、ステインバーグ侯爵とか。マリアン夫人も、かもしれない。

 アルベルトの家族に疎まれていると思うと気持ちが塞ぐが、反対の立場なら、リズもそう思うかもしれない。


「困っていることがあったら僕を頼ってよ。そりゃあ、姉さんほどしっかりしていないし、社会経験も少ないけどさ。でも、どんな選択をしても、僕は姉さんの味方だからね」

「ありがとう、フェリクス」


 リズは優しい弟に感謝の笑みを向けた。


 会計を済ませて外に出ると、雨が強くなっていた。

 姉が傘を持っていないことに気付き、フェリクスが傘を差し出す。


「僕は職場に予備があるから、これを使って。ここから庁舎が近いのは知ってるでしょ? 姉さんが風邪をひいたらいけないから」

「ありがとう」


 リズは傘を受け取った。

 フェリクスが雨の中を駆け出していく。

 その後ろ姿を見送ったあと、リズは傘を開いて雨の中を歩き出した。

 傘に当たる雨音を聞きながら、考えを巡らせる。

 自分がアルベルトの障害物になっているのなら、どうすべきか。


 ――アルベルト様が誰かと結婚するところは見たくない。でも、アルベルト様には幸せになってもらいたい。


 今の仕事は好きだ。

 でもここにはいられない。

 だから辞めることは決定路線。

 辞めるには理由がいる。


 ――婚活することにしよう。


 リズは「結婚願望がない」ことで採用された。

 結婚願望は退職理由になるはずだ。

 特に結婚したい気持ちはないから、これはただの口実。現実に待っているのは転職活動だ。リズ自身にはこれといった特技があるわけではないが、六年間の魔法管理局勤めはなかなか珍しいはず。この経験を買ってくれる職場があるといいなと思う。


 歩いていると、いつも立ち寄る雑貨店が見えてきた。

 センスのいい雑貨は、店主が国の内外を旅して見つけてくるのだという。

 店主から旅の話を聞いては、「いいなあ、行ってみたい」と憧れを募らせていたことを思い出した。


 ――旅かあ……。


 父は忙しい人だったから、家族で旅行に行った思い出はない。

 王都近くの公園にピクニックに行ったくらいだ。それでもリズにとっては最高に楽しい思い出として残っている。

 働き始めたらまた忙しくて、自分の時間なんて取れなくなる。


 ――転職活動の前に、少しだけ息抜きしてもいいよね。


 ずっと働きづめだったのだから。

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