02.結婚願望のない部下 2
「本日午前中は魔法使い資格試験の最終審査、午後からはテイラー卿との会議、夕方には女王陛下の魔法顧問会議があります」
今日の予定を読み上げるリズの声にアルベルトは無言で頷き、眼鏡をわずかに上げた。
「昨日言及した北部地方の魔法事象の報告書は?」
「こちらです」
リズは一連の書類を取り出した。
「特に三ページ目の異常魔法波動のデータは重要かと思います」
アルベルトは書類に目を通しながら、
「さすがです、リズ。的確な判断力は貴重ですよ」
そう、静かに言った。
たった一言の褒め言葉に、リズの胸は温かさで満たされた。彼の認める言葉が、彼女にとってはどれほど価値のあるものか。弟を養うために一人で奮闘してきたリズにとってここは、かけがえのない居場所だった。
居場所を失えない。だからリズはアルベルトへの気持ちを抑える。
いつまでだって抑えられる。もともとかなうことがない想いだ。
アルベルトに結婚願望がないのも救いだった。女性の気配がないから、心がざわつかずに済む。
魔法管理局に秘書として雇われた当初、リズは不愛想で厳格なアルベルトに少し怯えていた。リズの前に何人も辞めている。理不尽な目に遭わされるかもしれない。
だがアルベルトに怯えているのは自分だけではなかった。アルベルトはリズだけではなく誰に対しても厳格な態度で接する。
しかし共に働くうちに、仕事に厳しいのは国と魔法使いたちへの責任感からであり、彼の堅物な性格の下には、深い思いやりが隠されていることを知った。
不愛想ながら紳士的な外見に目を奪われ、彼の真の姿に心を奪われた。
今のリズは心身ともにアルベルトのためにあるといってもいいほどだ。
もちろん、そんな様子はおくびにも出さない。
嫌われるのもいやだし、クビになるのはもっといやだからだ。
「ああ、そうだ、リズ」
アルベルトの声に我に返る。
目を上げると眼鏡のレンズ越しに、氷のような澄んだ青色の瞳がリズを見つめていた。
付き合いはそこそこ長いが、アルベルトの感情はよくわからない。喜怒哀楽の、怒以外の感情をあまり表に出さないうえに、静かに怒るので怒の度合いもよくわからない。多少イラついているだけなのか、ものすごく腹を立てているのか。
「今宵のラヴェンデル公爵邸でのパーティーには同行してもらえますね?」
リズは頷いた。
「もちろんです」
社交の場にはパートナーを連れていくのが一般的だ。
採用時、パートナー業務があることは伝えられていた。
アルベルトも当時はそれ以上の理由はなかったはずだ。
だが、才能があり立場があり見目麗しいうえに、何より独身であるアルベルトは彼の妻の立場を狙う令嬢や、その親たちのかっこうの標的だった。
相手をしないわけにもいかないアルベルトの苛立ちを察して以降、リズはなるべくアルベルトのそばにいて相手の話を聞いたり、気を逸らしたりした。
余計なことをしているかなと思ったこともある。
相手にチクチク嫌味を言われることも少なくない。
「ありがとう。あなたがいてくれると助かる」
「お給料をいただいていますから、そのぶんの働きをしますよ」
にっこり笑いながら返すと、アルベルトが頷いた。
アルベルトは仕事に厳格な上司だ。余計な世話なら注意がくるはず。それがないということは、これは正しい行動なのだ。
アルベルトの防波堤になって六年。リズはまだ、解雇されていない。
資料をまとめるとリズは靴音も高らかに、アルベルトの部屋をあとにした。