17.部下は上司につかまったようです
ホーヘルベルクでの四日間、リズはアルベルトとともに行動した。
アルベルトが見せたいという場所をめぐり、おいしいものを食べて、温泉を訪ね、かわいい工芸品をお土産に買う。
リズの好きなこと、やりたいことばかりだったおかげで、ホーヘルベルクでの四日間はとても楽しいものになった。
ただ、筋肉痛には悩まされた。
リズの傍らにいるアルベルトは、普段から体を鍛えているだけあって、まったくそんな様子は見られなかったけれど。
ホーヘルベルクには三泊したのだが、結局リズは自分で予約した部屋に泊まることはなく、アルベルトの部屋で過ごした。リズが予約していた部屋は気が付いたらアルベルトがキャンセルしていた。
めでたく恋人同士になった二人の夜が、静かに更けていくわけもなく。
――大人になってしまったわ……。
車窓に映る自分の姿を見ながら、ふうとため息をつく。
見た目は、行きの時と変わらないけれど、今の自分は、そう、もう立派な大人の女性なのである。
アルベルトに処女を捧げたことは後悔していない。
だが、二人の間には身分差という大きな隔たりが依然として存在している。
アルベルトはリズと結婚する気満々だが、そうそううまくいくだろうか。
なんといってもロイエンフェルト家は名門だ。
しかもアルベルトは嫡男。
「大丈夫ですか?」
現実に思いを馳せてため息をついたリズに、向かいに座るアルベルトが心配そうに声をかける。
帰りの列車も行きと同様に一等車のコンパートメント。アルベルトが予約していた席だ。
「ええ、大丈夫です」
「疲れたのなら、少し眠っては? 王都までまだまだありますから」
「アルベルト様はお元気ですよね」
「まあ、昔から鍛えていますし」
リズの言わんとしたことがわかったのか、アルベルトが微笑む。
「ところで、リズ。秘書業務はどうしますか?」
「秘書業務?」
「辞表は私のところで止まっています」
「え、受理されていないんですか? じゃあ今の私、無断欠勤中?」
「有休消化中です。リズはよく働いてくれたので、ひと月半ほど有給があるんですよ。今なら復職も可能ですが」
「復職……」
しかし、すでに退職の挨拶をしてまわった。
やっぱり辞めません、というのも……。
「個人的にはいったん離職をおすすめします。これから少し忙しくなりますから」
「忙しくなる?」
「ええ、結婚の準備で。私も一応、ロイエンフェルト家の嫡男なのでいろいろとしがらみがありまして、それなりの準備が必要なのです。ああ、両親に関してはご心配なく。早くリズを連れてきなさいと手ぐすね引いて待っていますから。もし反対してきたら家を出てやろうかと思っていたのですが」
「……え……?」
リズは目をしばたかせた。
「わ、私の話がすでにご両親に……? それは、どういう……」
いくらなんでも早すぎやしないだろうか?
「私が一生懸命リズを口説いている様子を両親も見ていまして、早く口説き落としなさいとせっつかれていたんです。顔は合わせませんでしたが、両親も出席している夜会にも何度か出ましたからね」
「……ひぇ……」
あのデレたアルベルトを、彼の両親は見ていたわけだ。
「なので、王都に戻ったあとはまっすぐ両親に報告に行こうかと思います」
「まっすぐ!?」
「ええ、まっすぐ。もう連絡を入れました。待っているとのことです」
「ええ……突然すぎる……心の準備が……」
「心配はいりませんよ」
急展開に緊張して胸を押さえたリズを見て、アルベルトがリズの隣に引っ越してくる。
「心配はいりません。私がいます。無理だと思ったら早めに教えてくださいね。速やかに対処しますから。相手が私の両親であっても。私はリズの味方ですから」
横からぎゅっと抱き締められる。
この人は今、伯爵様で、将来的には、公爵様になる。
この人と結婚すればリズはすぐに伯爵夫人で、将来的には公爵夫人。
マリアン夫人の姿を思い浮かべる。
優雅で気品に満ちている。
あんなふうになれるだろうか?
「できますよ」
アルベルトが至近距離から告げる。
「あなたの能力は高い。甘やかされたご令嬢などよりもずっと、うまくできます」
「だから私の心を読まないでくださいってば」
リズが目を上げて睨むと、アルベルトが小さく笑った。
***
リズは考える。
アルベルトとの結婚には覚悟が必要だ。
できるだろうか、私に?
アルベルトにもたれながら、目を閉じる。
背もたれにもたれるより、アルベルトにもたれているほうが体が楽。
アルベルトがしっかりリズを支えてくれているからだろう。
たぶん、結婚とは、こういうことなんだろう。
自分は、アルベルトをしっかり支えることができるだろうか?
わからない。
でも、今まで六年、彼を支えてきた自負はある。
***
「ようこそリズ嬢!」
昼過ぎの列車に乗ったから、王都に到着したのはすっかり日が暮れてから。
人を訪問する時間ではないが、アルベルトによってリズは有無を言わさずロイエンフェルト家の屋敷へと、中央駅から直行した。
アルベルトは王都の小さめの屋敷に一人暮らしをしているが、両親であるロイエンフェルト公爵夫妻は王都の高級住宅街に建つ立派な屋敷に住んでいる。
そこでニコニコと迎えてくれたのは女王陛下の相談役でもある、ヴィルヘルム・ロイエンフェルト公爵。アルベルトの父である。
「あなたのようなかわいらしい方を我が家に迎え入れることができて光栄だ!」
大柄で筋骨隆々のヴィルヘルムは大変、上機嫌だった。
「アルベルト。旅先から直行とは非常識でしょう。かわいそうに、リズの顔色が悪いわよ」
マリアン夫人が近づいてきて、リズの頬に触れる。
この二人とは面識がある。パーティーで何度か会っているからだ。
マリアン夫人には以前、釘を刺されている。どういう態度で臨めばいいだろうと考えていたら、マリアン夫人がふとリズに向かって微笑んだ。
「以前はごめんなさいね。あなたにいやな思いをさせてしまって。悪いのはあなたではなく、アルベルトだったわ。わたくしは、あなたがアルベルトの妻になることに異論はないの。あなたなら、うまくできるでしょう」
「そうそう、リズ嬢はそのあたりを不安に思っているに違いないとマリアンとも話していたんだが、リズ嬢、あなたには実績がある。心配はいらんよ」
「実績ですか?」
ヴィルヘルムの言葉に首をひねる。
「うちの偏屈に六年間も付き合えた実績だよ。これは偉業といってもいい。何しろ今までに一度もご令嬢に見向きもしなかった子だからな。それにあなたは社交界での評判もいい。賢さと美貌を兼ね備えているというので、ちょっとした人気者だ」
リズは思わずアルベルトに目をやった。
アルベルトが「ほらね」と言った顔で見返す。
「いざという時は魔法でねじ伏せるから大丈夫ですよ」
いや、魔法管理局の長官がそんな剣呑な発言をしてはだめだろう。
「私はリズのためにならなんでもします」
「やめてください、おそろしい。それから私の心を読まないでください。本当にそういう魔法がないんですか? 疑わしいんですけど」
「本当にありません。あったらさっさとリズを口説き落としています。付き合いの長さですよ、付き合いの長さ」
「すでに息がぴったりじゃないか」
アルベルトの言葉に胡乱な眼差しを送っているリズを見て、ヴィルヘルムが言う。
「ええ。もう六年も一緒にいますからね」
アルベルトはヴィルヘルムに向かってにっこり笑った。
その笑顔に両親が固まったところを見ると、アルベルトは両親の前でもあんまり笑わないのね、と思ったリズである。
***
それから数日後。
「ところで、アルベルト様の飼っている小鳥って、どこにいるんですか?」
アルベルトが一人暮らしている屋敷に遊びに来たリズが真っ先に探したのは、アルベルトがかわいい、癒されると褒めていたペットの小鳥だ。
「ああ、あの小鳥ですか」
「そう、あの小鳥です」
「見てみたいですか?」
「見てみたいです」
「どうしても?」
「……そこまで言われると何かありそうですね。本当は小鳥ではないとか?」
疑わしそうなリズに、アルベルトは内心唸った。
リズの勘もなかなか鋭いではないか。
「少し離れてください。呼び出します」
「呼び……?」
リズが首をひねりながら、少しだけ遠ざかる。
アルベルトは指先に魔力を集中させて魔法陣を描いた。
ふわりと光が生じ、そこから大きな鳥が姿を現す。
リズはその鳥を驚きをもって見つめた。
長い首、長いくちばし、大きな翼、鋭い爪、そしてやっぱり長い尾羽。
光り輝く姿に実体はない。
「私の使い魔です」
使い魔を腕にとまらせてアルベルトがこちらを見る。
「こ……小鳥じゃない……!」
「この子の羽根をですね、このように引っ張って」
アルベルトが使い魔の翼から羽根を引き抜くと、すぐにころんと丸くなってそれは小さな鳥になった。
「あ、かわいい」
リズは光り輝く小鳥を見つめた。
「この子を眺めて癒されていたんですか」
「ええ、そう。かわいいでしょう?」
「……何かおかしいわ。アルベルト様が見慣れた使い魔を眺めて癒されるとは思えないんですけれど……だいたい使い魔でしょ……使い魔って、魔法使いのお手伝いさんみたいなものでしょ……。それにこの子は、赤くないし」
リズは魔法が使えないが、魔法管理局勤めが長いので、魔法の知識はそれなりにある。
使い魔の使い方も知っているのだった。
そういえば小鳥は赤色をしている、というような話もした気がする。あの時、思い浮かんだのがリズの赤毛だから赤色と言ってしまったのだが、使い魔は確かに赤くない……。
リズがジト目でアルベルトを睨む。
「そうだ、リズ、いただきもののクッキーがあるんですけど、いかがですか」
「食べ物ではぐらかさない! 本当は何を見ていたんですか? 絶対にこの使い魔の小鳥ちゃんじゃないでしょ!」
「ひ……人には誰しも踏み込んでほしくない秘密の領域があるものですよ!」
「認めたわね!」
気になるー、と叫ぶリズを置いてアルベルトは逃げ出した。
リズはもともと気遣いができる女の子だった。けれどここまで鋭いとは知らなかった。
――でも私の口説きには反応しなかったよな……?
本当に鋭いのだろうか?
そこでふと、おかしなことに気が付いた。
リズにはもともと魔力がほとんどない。
だからアルベルトの使い魔は見えないはずである。
アルベルトは使い魔を実体化していない。
さっきのリズは使い魔を認識していた。アルベルトが見ているのと同じものを見ている反応だった。
あまりに自然な反応だから、気が付かなかった。
どういうことだろう?
首をひねりつつ、リズのために買ったクッキーを持って部屋に戻る。
リズは使い魔の小鳥を手のひらに乗せて遊んでいた。
その様子にアルベルトは驚きを隠せなかった。
他人の使い魔を手懐ける人間がいるなんて。
いったいリズは、何者なんだ……?
このことを後日、前任の魔法管理局長官だった魔法使いの長老に相談したところ、「若いねえ。でも、仲がいいのはいいことだ」とバンバン背中を叩かれてしまった。
「魔力は一時的に移ることがあるんだよ。おまえさんの魔力がおまえさんの婚約者に移った。だからおまえさんの婚約者は使い魔が見えたし、おまえさんの使い魔に触れた」
「そんな現象は聞いたことがありません」
「そうかい?」
「でもどうして最近、いきなり? リズとは六年前から一緒に働いていますが」
アルベルトの質問に老魔法使いは意味深に笑った。
「それは、おまえさんたちの関係が変わったからさ。結婚式前ならきっちり避妊魔法を使わないとだめだよ。せっかく用意したドレスが着られなくなったら、かわいそうだからね」
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