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16.上司の、部下には聞かせられない独り言

 アルベルトはベッドで気持ちよさそうに眠るリズをしばらく眺めたあと、寝室のドアを閉めて居間にて魔法陣を展開した。

 宿の受付とアロワ家を仕切る当主の妻に貼り付けていた使い魔を呼び戻す。アロワ家に特に影響は出ないが、これで宿の受付はリズの代替部屋の用意の件を忘れるだろう。


 この宿は、上流階級も利用するため、予約していた部屋が他の客に取られたなんてミスはまず犯さない。たとえそんなミスをしてもすぐに部屋を作って案内するはずだ。

 そもそも、予約人数を超えてやってきたアロワ家を全員受け入れる、なんてこともしないはずである。彼らの傍若無人ぶりも許さないはずだ。


 この宿らしからぬあり得ないミスを起こさせたのは、ほかならぬアルベルトだった。

 使い魔を通してアロワ家を宿に呼びよせた。さらにリズの部屋まで使うように仕向けた。

 使い魔を通して宿の人間に、リズに新しい部屋を紹介させなかった。

 リズの部屋がなくなり、アルベルトの部屋に来るしかないようにした。


 宿の人間やアロワ家に放った使い魔は、リズにつけているものよりも力が強いから、標的を一時的に操ることは可能だ。ただしこれは、バレたらクビが飛ぶ、非合法魔法である。魔法で人間を操ることは禁止されているからだ。

 この国では、魔法は人々の暮らしの向上に使われるべきで、人々を脅かすものであってはいけないと決まっている。魔法が悪用されていないか見張る魔法使いもちゃんと存在する。

 もっとも彼らを管理するのも、アルベルトなのだが。

 見張りの魔法使いに長官がしょっ引かれるのはさすがにまずい。自分だけでなく、父の立場も悪くしてしまう。


 ――うまくいってよかった……。


 使い魔を魔法陣の中に封じ、ほっと一息つく。


 リズに異性として意識してもらう作戦は、見事に失敗に終わった。

 これでも、


・リズの前ではできるだけ明るく、感じよく、感情を表に出してギャップ効果を狙う

・できるだけ紳士的に振る舞う

・リズを特別扱いする

・ダンスで直接リズに触れる

・失敗談を話してリズに親近感を持ってもらう

・リズの好きなものを共有して二人で楽しむ

・できるだけ二人の時間を増やす


 などなど、アルベルトなりに「気になるあの人に近付く方法」を調べ上げて、リズとの距離を詰めるべく繰り出したのだ。

 他者と関わるのが苦手なアルベルトにしては、それはもう涙ぐましい努力をしていたのである。


 だが、リズとの距離は思うように縮まらない。

 確かにリズと親しくはなった。でもそれは職場の人間として、だ。

 このまま退職日を迎えてしまったら、アルベルトとリズの関係は「元上司・元部下」のままだ。

 リズと会うのに口実が必要になる。会いたい時に会えないなんていやだ。

 今までは、隣の部屋を覗けばリズがいた。

 退職してしまったら、その部屋は空っぽになる。

 リズがいない日々なんて想像できない。

 なんとしてもリズを手に入れる。

 今度は、リズが勝手に離れていけない関係がいい。


 そのためにはどうすればいい?

 そのためには既成事実を作ればいい。

 この国では、結婚する際に処女であることが重要視される。関係を持ったから責任をとって結婚する、というのはアリなのだ。


 本当はそんなことをしたくない。

 リズを傷つけるのは本意ではないし、嫌われるのはもっといやだ。

 だが、手段は選んでいられない。


 追い詰められたアルベルトはついに、禁断の手段に出ることにした。

 リズの旅の日程を聞き出し、逆算して使い魔を放ち、すでに決定していたアロワ家の結婚式の式場をキャンセルさせてリズの泊まる宿に変更させる。

 アロワ家を使おうと思ったのは、彼らが陽気で自由な人々だからだ。悪意があるわけではないが、聞く耳を持たない。以前仕事で関わって手を焼いたので知っていた。結婚式の予定は探りを入れた時にたまたま知った。

 アロワ家に強い使い魔を張り付けていたので、いつ見張りの魔法使いに見つかるか冷や冷やした。


 次に、リズを誘導してその宿に予約を入れさせる。こちらは特に魔法など使わなくても、すんなりアルベルトのアドバイスを聞き入れるので問題なかった。

 それから、リズと同じ列車の席を取る。

 コンパートメント(四人席なので、一人で乗っても四人分の乗車賃がかかる)と、昼食用に二人分のコースを予約する。

 甘いものに目がないリズなら、デザートの話を出せば釣れるとわかっていたし。


 すべての準備を整えたあと、アルベルトは何度も「旅の一日目」にするべきことを脳内でシミュレーションした。

 特に夜の部分は大切だ。リズとの間に既成事実を作らなくてはいけない。

 いけないのだが……どう持っていけばいいんだ……?

 アルベルトに女性経験はない。

 異国に留学中、酒の勢いで友人らにそういう店に連れて行かれたことはあるが、結局、興味より嫌悪感が先に来て何もできずに外に出てしまったのだ。


 アルベルトだって健康な成人男性だ。性的な欲求も、女性への興味もある。

 だがいざ女性から性的な欲求を向けられると、だめなのだ。

 秋波そのものも苦手なのだから、それよりも強い欲求が受け入れられるはずもない。


 自分に興味を持つのはきっと、打算があるから。アルベルトを利用することしか考えていないから。別にアルベルトのことが好きなわけではないから。そんな思いがかすめて、気持ちが萎える。

 こんな状態で女性と付き合うことなんかできるわけもない。結婚なんてもってのほか。右手が恋人のままでもいい。ちょっと、いや、かなりむなしいが、自分にはきっと何か大きな欠陥があるのだろう。


 そんなアルベルトの前に現れたのが、リズ・カーマイン。

 アルベルトの小鳥。

 初めて自分から触れたい、抱きしめたいと思った女の子。


 嫌がられても、その気がなくても、リズとの間に既成事実を作る。

 自分にそんなことができるだろうか?

 その時が近づくにつれ、緊張に襲われてだんだん吐き気がしてきたほどである。

 だが、ふたを開けてみたら実は相思相愛で……。


 アルベルトは顔を真っ赤にしながら「ずっとアルベルト様のことが好きだったのに!」と叫んだリズの顔を思い浮かべた。

 あの時のリズのかわいいことといったら。


 ――よかった、本当に……。


 リズを一方的に奪うような展開になったらどうしようと、内心は冷や汗だらだらだったのである。

 そのあとのことは、何度思い返してもにやけてしまう。

 好きな人に好きだと言われて抱きしめてもらえると、こんなにも心が満たされる。知らなかった。


 それにしても、リズもリズだ。

 こちらが女性を口説き慣れていないにしても、好意は隠していないつもりだったのに、リズはアルベルトの行動をすべて「誰かのための練習台」として見ていたなんて。

 どうりで彼女に響かないわけだ。


「さて、と。最後の仕上げといくかな」


 アルベルトは手のひらに魔力を集中させる。

 光の玉が生じたかと思うと、みるみる膨らんで鋭いくちばしと爪、長い首を持つ、優美な姿の一羽の鳥の姿になった。光でできた鳥こそがアルベルトの使い魔の本体である。


「両親のもとへ。約束通り、リズを連れて行くと伝えるんだ」


 アルベルトの言葉を聞くや否や、使い魔は翼をはばたかせて舞い上がり、ふわりと姿を消した。

 両親に魔力はないが(魔力は遺伝ではなく突然変異で現れる)、使い魔を実体化させるので大丈夫。


 アルベルトの必死の努力にリズはまったく気が付かなかったが、まわりの人間はさっさと気が付いた。

 母親には「リズに決めたの? なら早く口説き落としなさい」とせっつかれるし、父親には「美人だな! 六年もおまえの秘書ができるくらいだから、おまえの扱いにも慣れているんだろう! 逃がすな!」と発破をかけられる始末。

 二人とも、女性に興味を示さない息子に手を焼いていたので、アルベルトの態度の変化に大喜びしていた。


 リズといえば今の身分は平民だが、実際に秘書としての仕事ぶりや夜会での立ち居振る舞いを見ているので、ロイエンフェルト家に迎えても問題ないという判断だった。

 リズを歓迎している両親に紹介してしまえば、リズはもう逃げられない。


 気づかれたといえば、フェリクスもそう。

 リズが相談したフェリクスにも勘付かれて、「姉さんに遊び半分でちょっかい出すな」とすごまれてしまった。


 ――まさか私の屋敷に押しかけてくるとは思わなかったな。


 アルベルトはしみじみと押しかけてきたフェリクスの姿を思い返した。

 

『あなたが僕達姉弟の恩人であることは承知していますが』


 リズによく似た面差しのフェリクスは、これまたリズにそっくりな緑色の瞳をまっすぐこちらに向け、言い放った。


『姉さんに遊び半分でちょっかいを出すな。姉さんは、遊び相手にしていい人間じゃない』


 アルベルトは屋敷に招き入れ、応接間にてフェリクスと対峙した。

 リズが溺愛する弟もまた、姉を誰よりも大切に思っている。


『私は、君の姉上を愛している。心からね。でも残念ながら、まったく相手にされていない』

『……本気なんですか?』

『本気だよ。初めて彼女に会った時から、六年も、片想いをしている』


 アルベルトはぽつぽつとフェリクスに気持ちを語って聞かせた。

 内容は、だいぶ抑えた。

 リズの好きなものの話をしたときに、フェリクスの態度が軟化していくのがわかった。

 そして予想外に、フェリクスと「リズの好きなもの談義」に花が咲いてしまった。


『ロイエンフェルト長官が本気だというのはわかりました。それなら、僕は止めません。姉さんがほしいのなら、ロイエンフェルト長官がなんとか口説き落としてください』

『口説き落としたら、私がもらい受けるが、それでもいいか?』

『姉さんがそれでいいと言うのなら』


 そして最後にフェリクスはアルベルトに頭を下げた。


『どうか姉さんをよろしくお願いいたします』


 もちろん。

 そのために、いろいろと画策しているのだから。


 あとは誰を説得すればいいのかな、と頭の中で自分たちの結婚に難色を示しそうな人間を思い浮かべる。


 ――リズの手前、一応は言葉で説得してみるが、面倒になったら全員魔力でねじ伏せればいいか……。


 剣呑なことを考えつつ、アルベルトは音を立てないように寝室に戻った。

 卑劣な真似をしてでも手に入れようとした愛しい人は、すうすうとベッドで寝息を立てている。


 想いを交わしたあと、食事の配膳がきてしまったので大いに慌てて着替えて、宿の人を迎え入れ、豪華な夕食を堪能した。そのあと、リズはアルベルトに「覗かないでね」と釘を刺して、楽しみにしていたという温泉が引いてある内風呂に行き……なかなか出てこないので様子を見に行ったら、湯船につかったまま寝ていた。

 驚いて揺さぶり起こし、眠そうにするリズの体を拭いて服を着せ、ベッドに送り込んだところである。

 疲れたのだろう。


「旅の日程はまだ残っていますしね」


 指先に絡まる赤毛の感触を楽しみながら呟く。


「明日はどこに行きましょうか?」


 答える声はないが、リズがふっと微笑んだ。


「あなたの行きたいところへ、どこへでも。一緒に行きましょう」


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