13.部下は一人旅に出たはずでした、が… 2
ホーヘルベルクまでは約六時間の長旅である。
退屈しのぎにと何冊か本を持ってきたが、結果としては一行も読まなかった。
アルベルトが自身の予約している一等車のコンパートメントに誘ってくれたからである。
「リズの二等車より乗り心地がいいですよ。一等客専用のラウンジも使えますし、食堂でコースが楽しめますし」
「でも、アルベルト様の旅の時間を邪魔するのも……」
「ちなみに季節限定のデザートは梨のタルトタタン、バニラアイス添えです。梨は中央山岳地方の名産品です」
「あとで私のぶんをお支払いしますのでぜひご一緒させてください」
態度を急変させたリズに、アルベルトがわずかに微笑んで一等車へと促す。
退職までの三か月、アルベルトと夕食やティータイムをともにしたせいで、しっかり食べ物の好みを把握されている。
「二名でご予約のロイエンフェルト様ですね。お待ちしておりました」
一等車の入り口で客室係が、アルベルトの差し出した切符を確認して明るい声音で歓迎する。
「二名様? アルベルト様、誰かお連れがいらっしゃったのですか?」
驚いてアルベルトに確認すると、
「コンパートメントは四人乗りなので、何人で予約してもいいんですよ。一人だと寂しいやつだと思われそうで、二人としただけです。食堂車は別予約なので、リズの食事はこれから予約しなければなりませんが」
そんな答えが返ってきた。
そんなシステムだとは知らなかった。
そうしてアルベルトと過ごしたホーヘルベルクへの鉄道の旅は大変楽しく、コース料理もおいしく、デザートは感動もので、大満足だった。
もちろん食事代はあとからアルベルトに支払う約束である。
六時間後、二人はホーヘルベルクに到着した。早朝に出発したので、到着は昼過ぎ。
アルベルトの言葉通り、ホーヘルベルクは息をのむほど美しかった。
赤く色づいた山々、美しい街並み。
王都の喧騒とはほど遠く、ゆったりとした空気が流れている。
遠くまで来たワクワク感が込み上げる。
「では、行きましょうか。手荷物だけにして、旅行鞄は先に宿に届けさせましょう」
深呼吸を繰り返して空気のおいしさにひたっていたリズの旅行鞄を持ち、アルベルトが促す。
「え?」
「リスの置物を買いに行くんでしょう?」
「え、ええ……」
「ホーヘルベルクの町には詳しいんです。行きましょう。案内します」
「えっ……? でも、アルベルト様にもご予定が」
「ぶらぶらするつもりだったので、問題ありません」
「ですが」
「ここで押し問答をしていると、すぐに日が暮れますよ。ホーヘルベルクは王都より日暮れが早いので」
そう言ってアルベルトが歩き出す。リズはあわてて彼を追いかけた。
駅にいる配達業者に旅行鞄を預けて、手荷物だけでホーヘルベルクの街に出る。
「こっちです」
アルベルトが手を差し出す。
知らない町を一人歩きするのは心細い。リズは、アルベルトの手を取った。
***
それからリズはアルベルトとともに、彼おすすめの観光地をめぐり、地元の料理を堪能した。雑誌で見つけて「ほしい」と思っていたリスの置物も手に入れた。
アルベルトの馴染みの土地だけあって、どこに行っても彼が「ロイエンフェルト家のおぼっちゃん」として歓迎されるのはさすがだ。
土地に詳しいだけあって、アルベルトはリズの質問に丁寧に答え、時には思い出話もしてくれた。
ホーヘルベルクは避暑地としても有名だ。子どもの頃は、ホーヘルベルクにある別荘で夏を過ごしていたこと。別荘の近くの森の中で魔法の練習をしたこと、最初に火の魔法を使った時に周りの木々に火をつけてしまい、大惨事寸前になったこと。
「アルベルト様って、意外にそそっかしいんですね」
髪の毛がちりちりになってしまったアルベルト少年の様子を想像してリズが笑いながら言うと、「自分でもそう思います」と笑みをにじませた口調でアルベルトが返す。
整った顔立ちに切れ長の目、そして眼鏡。さらに不愛想なので「冷静沈着」のイメージがついているアルベルトだが(リズも辞表を出すまではそう思っていた)、どうやら実際のアルベルトはまわりのイメージとは違うようだ。
むしろ真逆というか。
普段、無表情にしている理由はよくわからないが、敢えてそうしているのかもしれないと、ふと思った。
「私は魔力こそ強いですが、別に天才ではありませんのでね。この話を誰かにするのは初めてです。恥ずかしいので、誰にも言わないでくださいね」
初めて、という言葉がくすぐったい。
前にもあった。こういう場面。
リズは初めて二人で仕事帰りに食事に行った時のことを思い出した。
上司以外の顔を次から次へと見せてくるのはずるい。
そんなことをされたら、どんどん好きになっていくではないか。
これで最後なのに。
リズは嬉しさと同時に寂しさも同時に味わっていた。
***
夕暮れ時、二人は宿に到着した。
そう、実は二人とも同じ宿なのである。
これは驚くことではない。この宿をすすめてきたのはアルベルトだからだ。
業者が先に届けてくれた旅行鞄を受付で受け取り、あとは自分の部屋に行くだけだ。今日はたまたま一緒になってしまったけれど、明日以降も一緒に行動する理由はない。アルベルトだって一人旅を楽しみたいはずだから。
今日は駅でリズを見つけてしまったから付き合ってくれただけだろうし。
少し……いや、かなり寂しいけれど、しかたがない。
明日からは予定通り、一人旅だ。
ところが。
「お客様、申し訳ございません」
受付にて、宿泊の予定を伝えると、台帳をめくっていた受付の女性が困った表情で言った。
「カーマイン様のお部屋なのですが、実は今日、予定外の団体客が押し寄せてしまいまして。彼らが勝手にカーマイン様のお部屋を使ってしまったのです」
「え?」
そんなことがあり得るのだろうか?
「じゃあ、私はどこで眠れば……?」
「この宿には空きがございませんので、急いで代替の宿を探しておりますが、なにぶん紅葉の季節なので難航しておりまして」
リズは呆然とした。
せっかくの旅行が台無しになりそうで、涙が出そうだ。
「私は離れの部屋をとっています。広いですよ。使いますか?」
肩を落としたリズに、アルベルトが提案する。
リズは困惑して彼を見た。
「いえ、それは……」
列車と宿ではわけが違う。
「もちろん、あなたの部屋が整うまでの間だけです」
彼は冷静に付け加えた。
なんて魅惑的な誘い文句!
だが、だめだ。
「物置でも倉庫でもいいので、部屋を作ってください。それまではロビーにいますから」
リズは宿の人に頼んだ。
その時、背後の階段から何やら大きな話し声が聞こえ始めた。振り返ると、おそろいの衣装を着た老若男女が二十人ほど下りてきて、ロビーにあるソファーに陣取る。
「南部のアロワ家のご一行です。ご当主のお嬢様が当地で結婚式を挙げるのだそうです」
宿の人が教えてくれる。
南部は海と明るい太陽と大きな港町がある地域柄、陽気で自由な気質の人が多いことで知られている。アロワ家は主要な港町のひとつで財を成している貿易商一家だ。王都から距離があるため、リズは噂に聞く程度だが、なるほど、確かに周囲の視線を気にせず大声で話すし、リズの部屋を勝手に使ってしまうし、陽気で自由……と言われれば、そう、かもしれない……。
誰かを待っているのか、アロワ家の人々はそこからどこうとしない。
宿のロビーはアロワ家の人々でいっぱいだ。
「立ったままここで待つくらいなら、私の部屋で時間をつぶしたほうがいいと思いますけどね。王都と違って、誰かが見ているわけでもありませんし」
王都で、アルベルトの部屋にリズが上がりこんだら大スキャンダルである。「上がりこんだだけ」でも、だ。
でもここは、王都からずっと遠い。
リズはぐるりとあたりを見回した。
観光シーズンだが、平日なので、知っている顔もない。というか、今この場には、リズとアルベルト以外だと、受付の女性とアロワ家ご一行しかいない。
「……お部屋が用意されるまで、アルベルト様の部屋を借りさせていただきます」
しぶしぶ、リズはアルベルトに頷いた。
「夜までには必ず! お部屋を作ってください!」
そして宿の人に顔を向け、必死の形相で頼み込んだ。
「必ず準備させていただきます」
受付の女性が請け負う。
ほっとするリズの背後で、アルベルトが神妙な顔をしていたことに気付く者はいなかった。




