12.部下は一人旅に出たはずでした、が… 1
季節がひとつ、過ぎた頃。
リズは中央山岳地域の中心地であるホーヘルベルク行きの列車に乗るため、早朝の駅のホームに立っていた。さわやかな秋の風が彼女の赤い髪を揺らす。
***
結論からいえば、リズが退職するその日まで、アルベルトの奇行は続いた。
嬉しい反面、リズとしてはどう反応したらいいのかわからなくてずっと困惑していた。いやでたまらないのなら「やめてください」とはっきり言えるのだが、いやではないから結局、アルベルトの奇行を許すことになった。
もうこれ以上、気持ちをかき乱さないでほしい。
退職間際にはそんな気持ちに陥り、職場で泣きそうになることもあった。
そして先週末。
最後の出勤日。
リズは「いつも通りに過ごす」を心がけた。
いつも通りに業務をこなし、関係者に挨拶をしてまわり、アルベルトに別れを告げ、自分の机を片付け、私物をすべて持って、通い慣れた魔法管理局をあとにした。
最後だからとアルベルトから食事に誘われたが、断った。
絶対に泣いてしまうと思ったからだ。泣くだけではなく、本当は辞めたくなかった、本当はずっとあなたのことが好きでした……なんて口走ってしまったら大変だ。
最後までリズはアルベルトの秘書でありたかった。
個人的な感傷なんて見せない。それがリズの「ロイエンフェルト長官の秘書」としてのプライド。
「仕事が必要ならいつでも連絡してください。力になりますから」
アルベルトの執務室に最後の退勤の挨拶をしに行った際、アルベルトはそう言って小さな花束を贈ってくれた。
「枯れない魔法をかけてあります。不要ならそのまま捨ててください」
「捨てません、絶対。ありがとうございます。大切にします」
リズは花束を抱えて笑った。
笑っていないと泣いてしまいそうだった。
いつもの通勤路を一人で帰宅し、窓辺のテーブルの上に花束を飾る。赤とピンクのバラのアレンジメントだ。明るくて華やかで、かわいらしい。リズの好みを知り尽くしている。
「でもね、アルベルト様。バラは好きな人に贈るものですよ」
貴族のたしなみとして知らないわけがないから、単に頓着せずにリズの好みそうな花束を作ってもらったのだろう。
その花束を見ていたら涙が出てきた。
今は一人だからもう涙を堪える必要はない。
リズはテーブルの前で一人、ぐずぐずと泣いた。
さようなら、私の初恋。
さあ、気持ちを吹っ切ろう。
アルベルトがおすすめしてくれた土地へいって、美しい景色を眺めて、かわいい置物を買って、おいしいものを食べて、温泉でゆっくりするのだ。
ひとしきり泣いたあと、無理矢理旅への期待に気持ちを切り替えて、ベッドに入った。
週末は旅行のことだけを考えて、旅の支度をした。
そして今朝、旅行鞄を持って、駅にやってきたわけだが……。
***
「リズ」
背後から聞こえた声に、驚いて振り返る。
アルベルトが彼女に向かって歩いてきた。いつものきちんとした服装ではなく、もっとカジュアルな服装だった。手には旅行鞄。
「ア、アルベルト様? なぜここに?」
本日は平日である。
アルベルトは仕事のはずだ。
「私も有休がたまっていたので、あなたの休みにあわせて消化することにしました。どうせあなたがいないと仕事にならないですし、気分転換に旅にでも行こうかと」
彼はさらりと言った。
「そ、そうですか。奇遇ですね。それで、行き先は?」
「ホーヘルベルクです」
「え?」
リズは目をぱちぱちとさせた。
「ど、どうして私と同じ行先なんですか」
「あなたにホーヘルベルクの見どころをすすめているうちに、私も久しぶりにホーヘルベルクに行ってみたくなったからですよ。あのあたりはちょうど紅葉が見頃ですね。山並みも美しいですよ」
そうこうしているうちに列車が到着し、乗客たちが乗り込み始めた。リズはどう反応していいか分からず、ただ茫然と立ち尽くしていた。
「乗らないんですか?」
アルベルトがごく自然に手を差し出す。
混乱したまま、リズは彼の手を取った。




