11.部下、弟に相談する
アルベルトの様子がおかしくなり始めてひと月半ほど過ぎた頃。
リズはようやくフェリクスの呼び出しに成功した。新人のフェリクスはなかなか忙しいのである。
「ねえ、フェリクス」
姉の呼びかけに、このカフェの名物であるシフォンケーキをつついていたフェリクスが顔を上げる。
アルベルトに関する相談は、フェリクス以外にしたことがない。
女友達はだめだ。女性が苦手だと公言しているにもかかわらず、アルベルトは女性からの人気が高いので、うっかり愚痴などこぼそうものならどんな尾ひれがついて噂が巨大化するかわかったものではない。
その点、フェリクスは安心だ。
フェリクスは姉に頭が上がらないし、姉の立場をよく理解している。
「最近、アルベルト様がおかしいのよね。具体的には辞表を出してから、かな」
「ふうん?」
「私のドレスを褒めたり、私と食事に行ったり、お菓子をくれたり。ねえ、これって……」
リズの深刻そうな顔に、フェリクスがケーキを食べる手を止める。
「これって、アルベルト様も婚活を始めようという前兆かしら。手近な私で練習しよう的な何か?」
フェリクスの手からフォークが落ち、皿に当たって甲高い音が響いた。
一瞬、店内が静かになる。
「な、なんでそんな結論に?」
店内にざわめきが戻ってきてようやくフリーズが溶けたフェリクスが、リズにそう問いつつフォークを拾い上げた。
「だって、今までプライベートで食事に誘われたり、お菓子をもらったりしたことなんて一度もないもの。あ、お礼でもらった菓子折りをもらうことはあったけれど」
リズは自分の皿の上のショートケーキをつつきながら、このところの疑問を口にした。
「それで、姉さんはどう思ったの? その、ロイエンフェルト長官から、らしくない行動をされて」
「嬉しかったけれど、何かあったのかしら、とは思ったわね」
「ちなみに、ロイエンフェルト長官って、誰に対してもおかしいの? 姉さんだけ?」
「たぶん、私だけ。他の人にはいつも通りよ」
「つまりロイエンフェルト長官は、今のところ姉さんだけにおかしな行動を見せているんだ?」
「私が知る限りはね」
「あの人は職場と自宅の往復しかしないことで有名だ。姉さんが知らない姿なんて、自宅でくつろぐ姿くらいなものだろうね」
フェリクスの指摘に、リズも同意する。
アルベルトの堅物ぶりは有名だ。
「あのね、姉さん。一般的に、男が女性を食事に誘ったり、プレゼントを贈ったりするのは、気を引きたいからだよ」
「……アルベルト様が、私の気を引いてどうするの?」
「理由なんか、ひとつしかないと思うけど」
一般的には、意中の女性の気を引きたいからだろうが、女性嫌いのアルベルトがリズの気を引くはずがない。この行動には別の意味があるはずだ。
「アルベルト様も婚活を始めようとしているとしか思えないんだけど。このところの奇行はそのための練習というか予行演習というか」
「違うと思う」
即答するフェリクスに、リズがぐっと眉を寄せた。
「なんにも思いつかない! もったいぶらないで教えてよ、フェリクス」
「いやだ。間違っていたら大変だから、ロイエンフェルト長官に直接聞いたほうがいいんじゃないかな」
「ええ!? もう、なんでそんな意地悪するのよ」
睨みつけてみたが、フェリクスは答える気はないらしい。皿に残っているケーキを平らげると、メニュー表を取り出して眺め、
「僕、追加でアップルパイ頼もうっと」
店員の呼び出しベルを鳴らした。
なんだか釈然としない。アルベルトの奇行の理由のヒントがほしかったのに。フェリクスなら何かわかるかもしれないと思ったのに、なんてこと。おもしろくない。
リズは皿の上に半分ほど残っていた自分のケーキにフォークを突き刺し、大きく切って口に運んだ。
おもしろくないから、今日はフェリクスが奢るべきだし、アップルパイの半分は食べてもいいと思う。
***
むくれつつケーキをばくばくと食べ始めた姉を見ながら、フェリクスは姉の言葉を脳内で反芻していた。
『私のドレスを褒めたり、私と食事に行ったり、お菓子をくれたり』
『嬉しかったけれど、何かあったのかしら、とは思ったわね』
辞表を出してから、リズにだけ様子がおかしくなったアルベルト。
何かあったとしたら、それはもうリズの辞表に驚いて引き留めにかかっているとしか思えないのだが、その引き留め方が妙だ。
秘書として残ってほしいのなら、素直にそう言えばいい。
そう言わず、やっていることはどう考えてもリズの気を引く行動。
――でも、本気なのか……?
行動はまさにそう。
だが、何しろ彼は難攻不落の魔法管理局長官である。
見た目、才能、身分、すべて兼ね備えていながら、どんな女性にも塩対応することで有名だ。彼のそばにいる秘書が理由なのではないかと囁かれていることも知っている。
もしそうならいいのにな、と思ったことがあるのは事実だが、姉自身が想いを寄せられていると実感していないということは、何かに利用されている可能性もあるということだ。
アルベルトは恩人だ。
姉を雇い、自分には推薦状を書いてくれた。
アルベルトがいたから自分たち姉弟は貧困にあえがず生きてこられたとも言えるが、それとこれとは別。
あの堅物に真意を確認する必要がある。
――どうやって接触するかなぁ……。
働いている場所がまったく異なるし、下手に近付くと姉が気が付く。
「お待たせしました。アップルパイです」
そんなことを考えているうちに、店員がアップルパイを持ってきた。
皿にフォークを伸ばしたら、姉の伸ばしてきたフォークとぶつかった。
「半分ちょうだい」
目を上げると、目の据わった姉。
フェリクスは「どうぞ」と皿を姉に押しやった。




