10.上司の奇妙な行動 2
アルベルトの奇行はそれだけではない。
「リズ、今週の金曜日の夜はあいていますか?」
「え? 確認します」
秘書室に来て予定を聞くのだから、アルベルトのスケジュールの確認だと思うではないか。
急いでスケジュール帳をめくっていたら、アルベルトの大きな手がトンとスケジュール帳を押さえた。
「私ではなく、あなたの予定です」
「私ですか? 今週は特に、用事はありませんが……」
「では、食事に行きませんか? 知り合いがやっている店なんですが、一度も顔を出していないので」
前にも聞いたセリフである。
アルベルトは不愛想だが、立場上、交友関係は広い。
しかし今までその交友関係をあまり大切にしている節はなかった。先日のカフェといい、急にどうしたのだろう。
「かまいませんが……、これは経費で落ちますか?」
「仕事ではないので経費では落ちませんが、誘ったのは私ですから私が奢りますよ」
「……仕事ではない……?」
驚いて聞き返すリズに、アルベルトが頷く。
「いけませんか。……ほかに誘える相手がいないんですよ」
「ああ、そういうことですか」
納得したリズに、アルベルトが心なしか微妙な顔になる。
アルベルトは不愛想だが、いつも無表情というわけではないのである。
そして金曜日。
仕事が終わってから連れて行ってくれたのは、雰囲気のいいおしゃれなレストランだった。
「ロイエンフェルト閣下が本当に来てくださるとは!」
奥から出てきたオーナーシェフとその奥方が、ニコニコとリズとアルベルトを席に案内する。
カフェの時もこんな感じだった。
ちゃんとオーナーが出てきてアルベルトを出迎えた。
「アルベルト様って、お知り合いが多いだけでなく、ちゃんと慕われているんですね」
「不愛想なのに不思議だ、と思ったでしょう」
「心を読まないでください」
「ここには防犯魔法をかけたんです、昔。頼まれてね」
リズが軽く睨むと、アルベルトが教えてくれた。
「防犯魔法?」
「ええ。まだ魔法の練習中でしたので、格安で引き受けて修行していた時期があるんです」
「いつの頃の話ですか?」
「十五歳とか……十六歳とか、その頃ですね」
「少年ですね……かわいかったんでしょうねえ」
現在のアルベルトは大変な美形である。
なら若いころもやっぱり美形だろう。
「すでに今と変わらない生意気なクソガキでした」
楽しく妄想していたら、本人から冷や水をかけられた。
「ひどい言い方!」
言い返して、おかしくなって、二人で笑い出す。
笑っているところにシャンパンが運ばれてきた。
二人で乾杯して、しばらく話していると、料理が運ばれてくる。
おいしい料理に、おいしいお酒のおかげだろうか。アルベルトはいつもよりも饒舌だった。
リズはアルベルトのいくつかの失敗談を聞いて、失礼だと思いつつも声を上げて笑ってしまった。
「アルベルト様でも落ち込むことがあるんですね」
「そりゃ、ありますよ」
「どんなふうに気持ちを切り替えるんですか? 後学のために教えてください。ちなみに私は、甘いものを食べると元気になります。それぞれのスイーツショップの限定スイーツは生きる活力です」
「甘いものですか。私は、そうですね、小鳥を眺めます」
「小鳥?」
聞き返したリズに、アルベルトが頷く。
「かわいいんですよ。赤色の羽をしているんです。よく笑……じゃない、さえずるし、飛び回るし、見ていて飽きません。いやなことをすべて忘れさせてくれます」
「アルベルト様、小鳥を飼っていらっしゃるんですか。知りませんでした」
「誰にも言っていませんからね」
誰にも。
心をくすぐる言葉だ。
リズは嬉しくなってにやけてしまった。
いかんいかん、お酒が入ると態度が緩みがちだ。気をつけねば。
お酒が入っているからか、アルベルトもまた普段よりは表情が明るくて楽しげに見えた。時々、アルベルトがじっとリズを見つめた。
アルベルトの青い瞳は見る人に冷たい印象を与えるが、リズは彼が仕事に情熱をもって取り組んでいることを知っているから、そうは思わない。でもじっと見つめられるのは落ち着かない。
だから目が合うたび、思わず逸らしてしまう。
この人は女性から秋波を送られるのが嫌いなのだ。
あなたのことが好き、なんて気配を気取られたら、この楽しい時間はあっという間に消え去ってしまう。
***
食事後、リズはアルベルトに集合住宅のエントランスまで送ってもらった。
「ごちそうさまでした。おいしかったです」
名残惜しいが、アルベルトとはエントランスでお別れだ。
リズはアルベルトに礼を述べた。
「こちらこそ、付き合ってくれてありがとう。助かりましたし、楽しかった。こんなに笑ったのは久しぶりです」
アルベルトの言葉にリズも頷いた。
「私もです。アルベルト様にも失敗談がたくさんあって、びっくりしました。何事も平然とこなされているので、絶対に失敗しないのかと思っていたから」
「そんなわけがないでしょう」
「そうですよね。……では、おやすみなさい」
「リズ」
夜も遅い。あまり大声で話していても近所迷惑だからと話を切り上げようとしたリズに、アルベルトが
声をかける。
「……また、食事に誘っても?」
「スケジュールがあいている日なら、かまいませんよ?」
アルベルトの誘いに、胸の奥がぱあっと明るくなり踊り出したい気持ちになったが、リズはつとめて冷静な声で答えた。秋波を出してはいけないのである。
お別れが近づいているのに、アルベルトの新しい一面はリズをますます虜にしていく。
これ以上、好きという気持ちが強くなっては困るのに。
「では、また、昔の知り合いをたどってみますね。たくさん防犯魔法をかけてまわりましたから」
「楽しみにしていますね」
思わず微笑むと、アルベルトもかすかに笑った。
「それじゃあ、おやすみなさい!」
これ以上アルベルトといるととんでもないことを言い出しそう。さっさと切り上げよう。
リズは明るく言うと頭を下げ、アルベルトを振り返らずに建物の中に入った。
そのアルベルトの手が中途半端に挙げられ、そのまま固まっていたことなど、当然気付くはずもなく。
***
食事に行った翌週の半ば。
「いただきものなんですが、私は甘いものは食べないのでリズに差し上げます」
秘書室でいつものように仕事をしていると、ふらっとやってきたアルベルトからきれいにラッピングされた焼き菓子の包みをもらった。
王都で有名なスイーツショップのものだ。
「どなたかからお礼でいただいたものですか?」
お礼状を書くのはリズの仕事である。
「その必要はありません。ただ、お菓子の感想がほしいので、そうですね、午後にティータイムを設けましょうか」
「ティータイム、ですか」
リズはぱぱっと本日のスケジュールを思い浮かべた。
午後に急ぎの仕事は入っていない。
「時間の都合がつきませんか?」
「いえ、今日は大丈夫です」
アルベルトに返事をすると、「では三時にでも」と言い残して秘書室を出ていった。
そして午後三時。
リズは人がいないのをいいことに、アルベルトの執務室を挟んで反対側にある応接室にて、アルベルトとティータイムを過ごした。
お菓子は大変おいしかった。午後の仕事もがんばろうという気になる。
アルベルトはお茶を飲みながら、リズの感想に耳を傾けていた。
翌週の半ば。
「また、いただきものなのですが、いかがですか?」
アルベルトが、今度は先週とは異なるラッピングのお菓子の包みを持ってきた。王都でも名の知られたスイーツショップのものだ。
開けると、複数のナッツをチョコレートで固めたお菓子が入っていた。
先週のティータイムで「食べてみたいお菓子」の例として挙げたお菓子だった。
――偶然、よね?
「お礼状が必要なものですか?」
「その必要はありませんので、感想を聞かせてください。先週のように」
「先週のように?」
リズの確認にアルベルトが頷く。
そして午後、ティータイムが開かれ、お茶を飲みながらおいしくお菓子をいただいたリズである。甘いものを食べて元気出てきたから、仕事がんばろ!
そのさらに翌週。
「お菓子をいただきました」
アルベルトが持ってきたのは、先週とは異なる(以下略)。
包みを開けるとカラフルなマカロン。
先週のティータイムで(以下略)。
――ぐ、偶然、よね?
「お礼状は」
「その必要はありませんので、感想を聞かせてください。先週のように」
既視感しかない展開に、リズはじっとアルベルトを見つめた。
仕事の関係で、菓子折りをもらったことはある。
しかしこれは明らかに菓子折りではない。店にわざわざ買い求めにいって、ラッピングしてもらったものだ。
誰が?
アルベルトに違いない。
なんの目的で?
わからない。
最近はわりと表情が豊かになってきたように思うが、もともと感情を表に出したがらない彼である。アルベルトの表情から心情を推し測るのは難しい。
***
リズは考える。
辞表を出して増えたもの。
ひとつは、アルベルトとの時間。
夜会のある日。
食事に誘われる日。
このふたつが週末、交互に繰り返される。
週の半ばにはティータイム。
もうひとつはアルベルトの情報。
もともとアルベルトは、人に隙を見せるのを好まない。
でもリズとの会話で、アルベルトはけっこう自分の話をしている。
他人には相変わらずの朴念仁ぶりだが、リズには最近、笑顔を見せるようになった。
今までの冷静沈着と言えば聞こえはいい、朴念仁キャラのアルベルトはどこに行ってしまった?
はっきりいって、らしくない。いや、リズ以外の人には見慣れた朴念仁キャラで接しているから、この奇行はリズ限定なのだ。
「なぜ?」と思わずにはいられない。
「なぜ、アルベルトは突然リズを褒めたり、食事に誘ったり、お菓子を持ってきたりするようになったのか?」
自分の辞表と何か関係がありそうだが、皆目見当がつかない。




