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01.結婚願望のない部下 1

 魔法管理局の廊下に響く靴音は、いつもより少し速かった。ジャケットに膝下までのフレアスカート、ヒールのある靴と女性文官の制服に身を包んだリズ・カーマインは、腕に抱えた書類の束をしっかりと押さえながら、長官室へと急いでいた。リボンで束ねた癖のある長い赤毛が背中で揺れ、緑の瞳には焦りが浮かんでいた。


「遅れてしまいました。申し訳ありません、アルベルト様」


 魔法管理局長官室のドアを開け、彼女は息を切らせて言った。

 大理石の床に朝日が反射し、部屋全体が淡い光に包まれている。

 デスクの奥に座る銀髪の男性が、眼鏡の奥の青い瞳でリズを見つめる。誰もが見とれてしまうほど美しく整った顔立ちだが、その瞳も表情も冷ややかだ。

 貴族らしいスーツの上に魔法使いの象徴であるローブをまとった彼の名は、アルベルト・ロイエンフェルト、三十三歳。

 王国有数の名門ロイエンフェルト家の嫡男であり、伯爵位を持ち、魔法管理局の最年少長官でもある。アルベルトは魔法の才能と家柄の両方を持ち合わせた、この国でも稀有な存在だった。

 厳格な表情と完璧な姿勢は、彼の育ちの良さを物語っていた。


「あなたが遅刻とは珍しいですね、リズ・カーマイン」


 彼の声は低く、感情の揺らぎを感じさせない。


「すみません。出がけに事故に巻き込まれまして……」

「事故? けがは?」


 アルベルトが静かにたずねる。


「それは大丈夫です。乗合馬車が脱輪して動かなくなったから、馬車を下りて走って来たというだけですので、ご心配には及びません」


 息を弾ませながら答えるリズに、アルベルトが頷く。

 この人は本当に、表情が動かない。

 きっと天が落ちて来ても、こんな感じなんだろうなと思う。


「では、今日の予定を確認しましょう」


 アルベルトが促す。リズは息を整えながら机に書類を置くと、制服のポケットから手帳を引っ張り出して開いた。




 この世界にはすべてのものに魔力が宿る。

 体に宿った魔力が特に強い人間は、魔力を使うことができる。彼らは魔法使いと呼ばれる。

 ここグランディール王国では、特に強い魔力を持つ者たちを国家の管理下に置いていた。高い給料と研究施設、研究費用を用意する代わりにその魔力を国のために提供させるのである。

 彼らを管理するのが魔法管理局だ。


 なお、アルベルトが若年ながら管理局の責任者たる局長を任されているのは、彼の魔力が優れているからではない。もちろんアルベルトは優秀な魔法使いだが、彼よりも優れた魔法使いはほかにもいる。

 彼が選ばれた理由、それは、貴族の生まれでマナーをわきまえていること、社交性を持っていること……要するに「魔法使いの中で一番まとも」だからである。ちなみに、リズの感覚では、マナーはともかく社交性には疑問が残る。


 そのアルベルトが留学から戻ってきて長官に任命された半年後から、リズは彼の秘書を務めている。今年で六年目。十八歳だったリズも、今年で二十三歳。


 彼女の父は一代限りの男爵位を授かった平民だった。とある分野の研究で成功を収め、国への貢献により爵位を得たものの、突然の病で両親は相次いでこの世を去り、リズの家族はふたつ年下の弟、フェリクスだけになってしまった。

 父が存命中は上流階級の暮らしを送った。でもそれも十六歳までのこと。


 父は研究費用に私財を充てていたため残された財産も潤沢とはいえず、周囲に諭されてかろうじて女学校を卒業したあと、リズは弟を養うために職業斡旋所から「訳ありの求人」として紹介された魔法管理局の事務に応募したのだった。


「訳あり」と言われるのは、上司がわがままで早い人なら一日、長くても二週間程度で仕事を辞めてしまう求人だったからだ。

 だが、魔法管理局は国家機関である。給料がよい。

 ダメもとで申し込み、可能な限りきちんとしたかっこうをして面接に挑んだ冬の日のことを覚えている。


 リズを迎えてくれたのはアルベルト本人だった。

 なんてかっこいい人なんだろうと、思わず見とれてしまったことを覚えている。

 仕事内容は事務……ではなく、もう少し幅広く局長をサポートする雑用係……かっこよく言えば局長の秘書、だった。

 求人票と内容が違うじゃないか、と思ったが後の祭りだ。




「業務の中に、社交の場で私のパートナーを務める、というものがあります。可能ですか?」

「ルーエン女学院を卒業していますので、社交の場でのマナーは心得ておりますが、実際に社交の場に出たことはありません」

「そうですか」


 ふむふむと頷き、アルベルトが次の言葉を繰り出す。


「最後の質問です。カーマイン嬢、あなたに結婚願望はありますか」

「いいえ」


 即答したリズに、アルベルトがわずかに驚いた様子を見せた。

 自分も働きに出ると言い出したフェリクスを説き伏せ、自分とは入れ違いに上流階級の子弟が通う学校へ入学させたばかりだった。フェリクスを卒業させ、一人前にするまでは結婚などできるはずもない。

 そして弟が一人前になるころ、自分はすでに嫁ぎ遅れの年齢になっている。


 リズのような平民層は両親や親戚などの紹介で結婚するものだが、両親は田舎から駆け落ちしてきたため家族に勘当されており、リズに頼れる親類はいない。そもそも持参金がないリズを娶りたい男性がいるとも思えない。

 だから結婚願望はない。その代わり長く勤められる仕事がほしい。


 ……というようなことを熱く語った結果、「よろしい。採用しましょう」と、アルベルトはその場でリズの採用を決めたのだった。


「仕事に関してはゼロから私が教えます。心配は無用ですよ。ただし、ひとつだけ気を付けてほしいことがあります。私に秋波を送らないことです」

「しゅうは……?」

「ありていに言えば、私に恋愛感情は抱かないでほしいということです。苦手なんですよ、女性から男として見られるのが」


 面接の間、表情があまり変わらなかったアルベルトが初めて表情を浮かべた。リズにもわかるほどはっきりと、うんざりしていた。

 アルベルトは銀色の髪の毛に真っ青な瞳、整った顔立ちは甘さがなく、眼鏡が彼の理知的な雰囲気を際立たせている。

 国家魔法使いで、外国に留学経験もあって、さらに伯爵位を持つ。父親は公爵なので、いずれは公爵位も継ぐであろうロイエンフェルト家の嫡男。女性にもてるのは間違いないのに、女性に嫌悪感をあらわにしているということは、


 ――女性に嫌なことをされたんだろうなあ。


 女学校育ちゆえに女のこわさも知っているリズは、しみじみと思った。

 あり得そうな話だ。

 この人のもとで働くためには、この人を異性として意識してはいけない。


「ご安心ください。私は決して、長官を好きになったりはしませんから!」


 アルベルトを安心させるためはっきりと言い切ったリズに、アルベルトが無表情のまま頷く。


「期待していますよ。……というのも、なんだか変な気がしますが」


 麗しき上司に期待され、リズはにっこりと笑った。

 仕事を失いたくないから、自分は決してアルベルトを好きにならない。

 あの冬の日にそう強く心に誓ったが、うぶな小娘に見目麗しく、頼りがいのある大人の男性に恋するな、というのは無理な話だった。

 今日まで勤められたのはひとえにアルベルトに秋波を送らなかったためである。


 二人の間には埋めることのできない身分差がある。住む世界が違うのだ。

 それくらい、世間を知らないリズだって知っている。


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― 新着の感想 ―
 以前何話までかは忘れましたが読みました。やはり面白いですね。
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