第九十八話 ハルト暗殺未遂
その後も俺はジャンルーフ南方の町を巡り、一度、王都であるハルファタへ立ち寄った。
「ようこそ、ハルファタへ。お待ちしておりました」
シュテヴァンが俺を王宮に迎えてくれた。
王宮とは言っても玉座は空席だし、王国の政務はスフィールトでクーメルたちが執っている。
王位継承権をただ一人持つスタフィーノ公爵もあの町から動かないから、そこにはやはり空疎な感じが漂っていた。
「ありがとう。だいぶ後回しになってしまったけれど、ハルファタにも学校を開こうと思って」
「ハルト様は宰相でありながら各地を巡られ、子どもたちのために魔法を教えておられるというのは本当だったのですな」
シュテヴァンは感心したのか呆れたのか分からない感想を口にした。
「ああ。俺が役に立つことなんて、ほかにはあまりないし」
「そのようなことはないでしょう。クーメル殿はお困りなのではないですかな?」
シュテヴァンはそんなことを言ってくれるが、あのクーメルが俺がいないくらいで困るなんてあり得ないだろう。
俺は宰相なんてことになっているが、彼はもともと大宰相なのだから。
「これはまた豪華な教室だな」
シュテヴァンは王宮にほど近い邸宅を、臨時の学校として使うことを申し出てくれた。
「もとは王族の一人が住んでいた屋敷です。ジンマーカスに粛清され、家が途絶えましたから、今は空き家なのです」
だから自由に使っていいらしい。
舞踏会でも開けそうな豪華な広間に机を並べ、即席の学校をスタートさせる。
さすがは王都だけあって私塾も多数あるので、初めから読み書きや算術の教師を確保でき、その授業も行えるようだ。
「今日一日で、もう魔法が使えるようになった子もいましたね。さすがはハルト様です」
イレーネ様が俺を誉めてくれるが、魔法は自分にも使えると心から信じることさえできれば、基本的には誰でも使えるものなのだろう。
それでもこのところ魔法の授業を繰り返してきているから、さすがに慣れたって面もあるかもしれなかった。
「いいえ。イレーネ様の方が教え方も上手いと思いますよ。子どもたちは皆、イレーネ様の方に集まっていたじゃないですか」
魔法が使えるようになる八歳くらいまでの子どもは自分の気持ちに正直だ。
だから二人で並んでいれば、美しいお姉さんである彼女に教えてもらおうとする子どもは多いのだ。
「それもハルト様が教本を作ってくださったおかげです。これがあれば私でも何とか子どもたちに教えられますから」
俺は午後の時間を使い、前の世界の初等魔法学校の教科書を思い出して、魔法の教本を書いていた。
これを読めば、俺がいなくても魔法の上達が図れるはずだ。
俺は千年後の世界では魔法の実技以外は優等生だったから、自分で作った教本ではあるが、出来栄えは悪くはないと思う。
ほとんど丸パクリだから、現代日本なら著作権とか色々と面倒なのかもしれないのだが。
「今はもう少し上級者向けの教本を書いています。ゆくゆくはこの本で子どもたちに魔法を学習してもらおうと思っているんです」
「それで読み書きにも力を入れられているのですね」
元が日本人の俺からすると、そうでもないのだが、魔法が使える世界ではどうしても魔法中心の発想になるようだ。
俺だって作った教本は現代社会みたいに印刷するのではなく、筆写の魔法で大量生産するかって考えているのだ。
子どもたちに筆写の魔法を先に教えて、教本を自分で作ってもらうのもありだななんて思っていた。
そうしてまたハルファタで子どもたちに魔法を教えて過ごし、一週間程経ったある日、俺が王族の屋敷だった学校からホテルへと向かう道中でそれは起きた。
「ハルト様。少しお待ちください」
突然、ダニエラがそう言って俺を引き止めた。
「えっ。ダニエラ。どうしたんだ?」
訳の分からない俺の前に彼は一歩踏み出した。
その次の瞬間、
「天誅!」
そんな声とともに、何人かの男が突然、俺たちが歩いていた通りに面した建物から飛び出して来たのだ。
「何者だ!」
すぐにダニエラが俺とイレーネ様を庇うように立ち、剣を抜いて敵と対峙する。
俺は慌てて魔法防御を展開した。
ヒュッ!
その直後、今度はいくつもの風を切り裂く音がする。
「うわっ!」
思わず叫び声を上げた俺の目の前に、矢がぼとぼとと落ちてきた。
「なっ!」
今度はダニエラに襲い掛かろうとしていた男たちの口から驚きの声が漏れる。
どうやら弓矢で俺を狙うのが本筋で、彼らはおとりのようなものだったのだろう。
「引けっ!」
男の一人がそう皆に声を掛けると、奴らは一斉に踵を返し、通りを逃げ出した。
「スリープ・マーヴェ!」
そんなに簡単に逃すはずがない。
俺の魔法が飛んで、逃げ出そうとしていた男たちはバタバタと倒れる。
「ハルト様。ご無事で」
ダニエラが慌てて駆け寄って来るが、魔法を使える者がほとんどいないこの世界で、俺に危害を加えるなんて、そんなに簡単にできるわけがない。
「ああ。ダニエラこそ大丈夫か?」
「ええ。問題ありません。ハルト様とイレーネ様に何事もなくて本当に良かったです」
彼はそれ以上何も言わないが、魔法防御があるからと、警護の人数を断ったのは俺なのだ。
「ハルト様。大丈夫なのですね?」
イレーネ様もさすがに顔を青ざめさせていたが、結果としては魔法防御があるから問題はなかったことになる。
だが、奴らが変に策を弄さず、いきなり弓矢で俺を狙ってきていたら危なかったかもしれなかった。
宿へ帰るとまずはシュテヴァンが訪ねてきた。
「申し訳ありません」
彼は自分の警備体制の不備だったと俺に詫びた。
「いや。警護を断ったのは俺の方だ。あなたには何の落ち度もないから」
ハルファタの町の治安はよく保たれているようだから、今回の事件は俺に恨みを持つ者の仕業だろう。
俺自身は自分が生命を狙われるような大物だって気がしないから、そこが問題なのかもしれなかった。
これまでの人生でそんな立場になったことは一度もなかったのだ。
「しかし、それでは」
シュテヴァンはなおも食い下がってきたが、今、彼に去られたら俺が困るのだ。
「それよりあいつらは何者なんだ? まさか人違いってわけじゃないよな?」
天誅って叫んでいたように聞こえたから、俺の悪事を天に代わって裁こうって魂胆だったのだろう。
当然、俺には何の心当たりもないのだが。
「それが……、ジンマーカスの残党の仕業かと思ったのですが、どうもそうではないようなのです」
「そうなのか?」
俺もてっきりそうだと思っていた。だがそうではないらしい。
でも、どうして分かったのだろう、まさか拷問かと思った俺の恐れは無用のものだった。
「ええ。彼らは聞かれもしないのに、自らの行いを正当化するように閣下を襲った理由を述べていましたから」
シュテヴァンによれば、彼らはジンマーカスに殺された王族に仕えていた者たちらしい。
「それじゃあ、どうして俺が襲われるんだ? 俺は彼らの主君の仇をとってやったようなものじゃないか?」
主君の無念を晴らしたのだから、感謝されこそすれ、恨まれることはないと思うのだが。
「彼らは初めはそう思っていたと言っていました。ですがあなたの野望に気がついたのだと」
俺の野望って、まさか俺がハルト一世に仕えようとしていることに気がついたってことなのだろうかと一瞬、焦ったが、さすがにそんなことはなかった。
「彼らはハルト様がてっきりスタフィーノ公爵を王位に即けるのだと思っていたようです。その彼を自分の領地であるスフィールトに幽閉し、王位を我が物としようとしていると……」
「俺は公爵を幽閉なんてしてないぞ!」
思わず大きな声を出してしまったが、本当にそうなのだ。
でも、事情を知らない者からしたら、そう見えるのかもしれなかった。
「もちろん私たちはそのことを存じ上げております。ですが、国王不在がこんなに長引くと思っていなかったのも事実です。その事情を知っている者は少ないですから」
俺はもちろんシュテヴァンたちには公爵がどうしても国王即位に首を縦に振ってくれないことを伝えてはいる。
でも、実際に彼に会って、彼の口からそう聞いた者はほとんどいない。
しかもそれはほとんど俺の仲間たちばかりだから、事情を知らない人からしたら、俺が公爵を人に会わせないようにしていると思ってしまう可能性は高かった。
「申し訳ありませんが、今後は警備を厳重にさせていただきます。今回は王族に仕えた者たちということで虚を突かれましたが、ハルト様を狙う者は多いですから」
シュテヴァンに言わせるとジンマーカスの残党はもとより、スフィールト郊外の戦いやサリハヤ川の戦いで当主と跡継ぎが亡くなって断絶した貴族家の家臣だった者など、俺を付け狙う者には事欠かないらしい。
「そういった者たちはある意味分かり易かったですが、今後はハルト様が行われる政治に不満を抱く者も出て来るでしょう。それらにも備える必要がありますから」
彼はそう言って俺に頭を下げた。
俺自身はただ各地で子どもたちに魔法を教えて回っているだけなのだから政策も何もあったものではないのに、理不尽な気がする。
実際に王国の政治を回しているのはクーメルとシュルトナーで、彼らの政策に間違いなどあるはずがないのに、それでもすべての人が満足というわけにはいかないようだ。
「ハルト様。そうなると今後は魔法を教えることも難しくなってしまいますね」
イレーネ様が憂いを含んだ顔を見せた。
「警備が必要な方のもとに、子どもを通わせる方はいないでしょうし」
確かにイレーネ様の言うとおりかもしれなかった。
ハルト一世が現れた時のために、魔法学校を準備しておくという俺の計画は頓挫しそうな状況に陥っているようだった。
【ハルト一世本紀 第五章の十一】
大帝は遂にハルファタに至り、一連の巡幸を終えられた。
「陛下のお心はジャンルーフ各地の民に十分に伝わりました、この上は臣下にお任せあるべきでしょう」
ハルファタを預かるギオレク卿は大帝にそのように奏上した。
たまたまハルファタで小さな騒擾があり、彼はそれが各地に広がることを憂慮したのである。
「未だ道半ばではあるが、その言葉に従おう。いつまでも自らが為すことに拘泥すべきではないのだ」
大帝が時務を識ることはこのようであったので、ギオレク卿はもとより、巡幸に同行していた近衛騎士団長も安堵の息をつくことができた。




