第九十七話 名前の由来
結局、俺はラマティアにひと月程とどまった。
「まだハルトって名前の者は見つからないのか?」
その間、ダニエラの部下たちが何度もスフィールトとラマティアの間を往復し、クーメルやシュルトナーとの連絡役を果たしてくれた。
だが彼らからもたらされた報告の内容は、王国の治世に関するものばかりで、ハルト一世についての情報は何もなかった。
「ハルト様のお名前は珍しいですもの。お父様とお母様がいらっしゃる間に、お名前の由来をお聞きすれば良かったです」
「いや。それは聞いているんだ」
イレーネ様の不思議そうな様子に、俺は思わずそう答えてしまった。
「そうなのですね。ご先祖のお名前を引き継がれたとか、聖人のお名前をいただいたとか、そういった方が多いと思うのですが……」
「占い師に付けてもらったらしいんだ」
本当は「らしい」ではなく、そのとおりなのだが、その時はまだ赤ん坊のはずの俺がそれを知っているのもおかしいから断定は避けた。
「そうですか。占い師が『ハルト』という名前を思いついたのですね」
「ああ。そうみたいだな」
実際にはこの世界にない名前を思いつくことはなかなか難しいと思う。
オリジナルな名前なんて、ましてそれを占い師が勧めることってなかなかないんじゃないだろうか。
そう、名付けには俺の意思が強く働いているのだ。
「マーリよ。先日生まれた我が子に相応しい名前を占ってほしいのだ。神の声を聴くことができると評判のあなたにな」
この世界へ転生したばかりで、まだ赤ん坊だった俺の耳にそんな声が入ってきた。
どうやら会話の内容から、俺のことを話しているらしい。
「兄二人はテスマスとテーバンじゃったな。この子も『テ』で始まる名前が良かろうかの?」
そんな老女のものらしい声とともに、顔に誰かが触れる感覚がある。
やはり俺の名前を決めようとしているようだ。
「私はこだわりません。この子が幸せになれるような名前ならどんな名前でも」
聞こえた別の女性の声はこの世界の俺の母親のものだった。
(前回は魔法の使える世界で、それでも受験でまた酷い目にあったからな。今回はもう少しマシな人生が送れるといいな)
さすがに転生も二回目ともなると、多少は肝が据わってくる。
(今回はどんな名前なのかな? 今までと同じ名前がいいな)
俺はそんなことを考えていた。
前の世界での俺の名前は、現代日本で生きていた時の名前と同じ音の『ハルト』だった。
一千年前にその世界を統一し、帝国を建てた偉人の名前にちなんで付けられた名前だったが、たまたま俺の前世と同じものだったのだ。
「そうさの……」
占い師はそう言ってごそごそと何やら占っているようだった。
(どんな名前がこの者にふさわしいか。どうかお心をお示しください)
突然、俺の頭の中にそんな声が響いた。
(これって、もしかして……)
俺は驚きとともに、前の世界で散々聞かされたことを思い出していた。
魔法通信。
魔法を使うことのできる周りの人たちが普通に使う通信手段。だが、それは俺には使えないはずのものだった。
「ハルト君は僕の声が聞こえない? 頭の中で」
小さな子どもの頃から、それは始まった。
「ごめん。俺には聞こえないんだ」
そう答えるたびに否応なしに屈辱感を覚える。
自分は魔法が使えないということを再認識させられるのだ。
「頭の中にとてもクリアーに声が響くんだけど。分からないかな?」
何度もそう教えられたが、ほかの魔法同様、俺にはどうしても無理だった。
今、俺の頭に響くその声は、現実世界の雑音が混じらないとてもクリアーなものだった。
(相手に届けようと思って言葉を思い浮かべ、魔力を込めるのだったな)
俺は前の世界で何度も教えられた魔法通信のやり方を思い出していた。
(ハルト。どうせならハルトという名前にしてくれ!)
「ヒッ!」
俺が頭の中でそう唱えるように言葉を思い浮かべると、老女のものらしい悲鳴のような声が上がる。
「マーリよ。どうしたのだ?」
男性の声がそう聞くが、どうやら彼は俺の父親らしい。
俺の名付けをお願いする場にいるのだから、おそらくそうなのだろう。
「いえ。今、何かが……」
少し震えるような彼女の声に、俺はもう一押しかなと思ってもう一度呼び掛ける。
(ハルト。ハルトでお願いします。ハルトです!)
「ひいっ。やっぱり聞こえる! ハルトじゃと」
いや、さっき神の声を聴くことができるって言ってなかったかと思ったが、俺の使った魔法通信とは別物なのかもしれなかった。
俺自身、魔法通信を使うのは初めてだから、上手くいっているか自信がないこともある。
だが、届いてはいるようだった。
「ハルトなんて変わった名前ですね」
そう言う若い女性の声は、俺の母親のものだろう。
やはりもう一押しで俺は希望の名前を手に入れられそうだ。
「ちょっとおかし過ぎないか?」
男の声が聞こえ、俺は危機感を抱いた。
(ハルト、ハルト、ハルト、ハルト! ぜったいハルト!)
さらに力を込めて魔法通信に努める。
「ひいっ! ハルト以外は聞こえんわい。この子の名前はハルトで決まりじゃ!」
俺の努力の甲斐があって、俺の名前は三つ目のこの世界でも『ハルト』になった。
ちなみにかなり大きくなってから父から聞いた彼の腹案は『テラズフォロムズ』だったらしい。
魔法通信が使えるようになって良かったようだ。
そんな他愛もない話をしながら、イレーネ様と俺は馬車の進路を反時計回りに、西から南へとジャンルーフ王国内を巡って行った。
途中、アンクレードが以前、衛士長を務めていたラウムの町にも立ち寄った。
「あの。ハルト様の故郷のヴェスティンバルへはお寄りにならないのですか?」
イレーネ様が遠慮がちに勧めてくれたが、俺はその気になれなかった。
「いや。両親には先日会ったばかりだし、あそこは町と言うほどの規模もない田舎ですから。さすがにあそこで学校を開くのは非効率でしょう」
今、俺のために働いてくれている人たちの中には、故郷を離れてスフィールトに居てくれる人も多い。
クーメルやアンクレード、シュルトナーにダニエラだってそうだ。
俺だけが故郷を懐かしみ、遠回りをしてまで訪問すべきではないだろう。
「今は少しでも前に進むべき時でしょう。故郷には帰ることのできる日もあるでしょうから」
ハルト一世の世界統一に向けて、さすがにそろそろ動きがあるはずだ。
それまでは倦まず弛まず、彼が姿を見せた時のことを考えて行動すべきなのだ。
「ハルト様がそうお考えなら、私はハルト様に随って歩んでまいります」
イレーネ様はそう言ってくれて、俺たちはヴェスティンバルからほど近いハプザの町に立ち寄った。
「侯爵閣下が各地を巡られ、子どもたちに魔法を教えてくださっていること。聞き及んでおります」
領主のセルギーノ卿はそう言って俺たちを歓迎してくれた。
最近はようやくジンマーカスの国王即位以来の混乱が収拾し、各地の領主や代官は俺を宰相とする政権に従ってくれるようになっていた。
「王を僭称するジンマーカスを除かれ、ジャンルーフに正義を取り戻していただき、感謝の言葉もありません」
中には俺に対してそんな歯の浮くような追従を口にする者もいて、さすがに素直には受け取れない。
俺がスフィールトに王軍を迎え撃った時、味方してくれる諸侯なんて皆無だったのだ。
いや、そう思えるのもシュルトナーのおかげかもしれない。
彼は俺に向かって、そういったことがこれから次々に起こると教えてくれたのだ。
「ジンマーカスに擦り寄っていた者ほど、手のひらを返したように今度はハルト様に擦り寄ってまいりますからな。節操がないと言ってしまえばそれまでですが、ハルト様に反抗する程の気概もありませんから、それで良しとするしかないでしょう」
俺だって元いた世界でも、現代日本でもその他大勢の一人だったのだ。
自分が同じ立場だったらと考えれば、彼らには同情を禁じ得ない気持ちさえある。
「まずは魔法学校の建設をお願いします。資金については王国が援助しますから」
「既に準備を進めております。とりあえずは政庁の一角をご提供します。子どもも集めておりますぞ」
シュルトナーはそういった輩は軽蔑するみたいなことを言っていたが、実際にはこんな風に目端が利いて、順調に事が進むから有り難いのだ。
ハルト一世は鷹揚な主君だったと聞くし、彼ならきっとこういった人たちを滅ぼすような過酷なことはしないだろう。
学校で子どもたちに魔法を教えながら、俺は抜かりなくハルト一世の行方も探っていた。
「この町には俺と同名の人物はいませんか?」
昼食に招かれた際、セルギーノ卿にも直接そう訊いてみた。
「その件でしたら、既に宰相府からの手配に従って調査済みです。残念ながら侯爵閣下と同じ名前の者はおりませんでした」
クーメルのすることだから抜かりがあるはずもなく、このハプザの町でも手掛かりは得られそうになかった。
そしてクーメルたちからの連絡でも、毎回「お探しの方は見つかっておりません」とだけ、付け加えられるのみだった。
(ハルト一世は教育にとても熱心だったと聞いた気がするし、俺が今していることを否定はしないと思うけど……、いったい彼はどこにいるんだ?)
彼の名前を聞かないということは、彼が無名のうちに仕官するという俺の計画が破綻を来したわけではない。
それでも俺は自分の心の中に、徐々に焦る気持ちが大きくなってきているのを感じていた。
【帝国名付け事典】(抜粋)
『ハルト』:言わずと知れた魔法帝国初代皇帝の名前。帝国建国後千年以上が経過した現在でも、根強い人気を誇っている。
伝えられる彼の事績や人柄にあやかろうとして子どもの名前として選ばれ続けているものの、何か秀でるものがないと本人が萎縮してしまうことも。
また、同名の子どもが多いことも問題点のひとつ。
初等学校のクラスに『ハルト君』が何人もなんて事態も毎年起きている。




