第九十六話 両親と息子
「久しいな。我が最愛の息子よ」
この世界の俺の父親、ジャンバディ・フォン・ヴェスティンバルはそう言って俺に歩み寄ると抱きついてこようとした。
俺は慌ててさっと距離を取る。
「お久しぶりです。父上」
そう言って丁寧に頭を下げると、彼は一瞬、淋しそうな顔を見せた。
「ハルト様?」
イレーネ様が少し咎めるような声で呼び掛けてきたが、彼女とファーフレント卿との関係とはわけが違うのだ。
「ハルトよ。感動の父子の再会だと思ったのだが、つれないではないか」
そう言ってまた腕を大きく開き、
「父の胸に飛び込んで来てよいのだぞ。遠慮することはない。さあ!」
なんて言っている。
「いえ。遠慮しておきます。それより、まだこの町に滞在していたのですね?」
俺は以前から俺の家族、特にこの父がファーフレント卿に迷惑を掛けているんじゃないかと心配していたのだが、この様子だとそれは杞憂ではなかったらしい。
「ああ。田舎のヴェスティンバルとは違ってここには何でもあるからな。もうあそこはテスマスに任せて、私はここで隠居しようと思っているんだ。ここはお前の領地になるのだろう?」
さっきファーフレント卿から俺が王になるという噂を聞いたばかりなのに、彼の中では俺がラマティアの領主になることになっているらしい。
領主のファーフレント卿の前でよく言えるものだと思うが、この世界の俺の父親はそういう人なのだ。
「何を言っているんですか? そんなことあるはずもないでしょう!」
思わず俺の声が大きくなると彼は一瞬、怯んだように見えたが、
「ハルト様にはゆくゆくは娘とご結婚いただき、この町を治めていただこうと思っています。先ほどもそのお話しをさせていただいておりました」
逆にファーフレント卿がそう言って、今度は俺の方が言葉に詰まってしまう。
「ほら。男爵もそうおっしゃっているではないか。ここは良い町だし、それにお前にも不満はないだろう?」
俺は話の流れから何となく嫌な予感がしたのだが「不満です」って言うわけにもいかず、曖昧に頷いておいたのだが、
「そうだろう。こんな美しいお嬢さんがお前の婚約者だというのだからな。さすがは我が最愛の息子だ。私も鼻が高いぞ」
やっぱり俺がもっとも触れてほしくないことを、いきなり蒸し返してきた。
「いえ。まあ。それはそうなんですが……」
俺は言い切ることができず、言葉を濁してしまった。
そんな俺の様子に、父は怪訝な顔を見せ、
「なんだ? 相変わらずだな。男爵。こいつは昔からこうなのです。ですが口にしたことは必ず守ります。それが我が家の家訓ですから」
そんな勝手なことを言い出した。
彼にかかるといくつ家訓があるか分からないのだ。
「それに私なら、こんな美しい人が側にいたのなら、たとえそれが主君の妃だとしても口説かずにはいられないがな。彼女になら自分の人生を賭けても良いと思わないのか? ハルトは」
そう言って、彼はハッハッハと声を立てて笑っている。
俺はもう冷や汗が止まらなくなっていた。
彼の言い種は君臣の道はおろか、人倫にも反していると思う。
「父上。私の領地はスフィールトなのです。そちらへお移りになられませんか?」
これ以上、ラマティアの町に滞在されて、ファーフレント卿に迷惑を掛けられたら、俺の仕官にも影響が出かねないと思って俺は彼を誘ったのだが、
「スフィールトってあの『どん詰まりのスフィールト』か? 本当にあんな町の領主になったんだな。私はそんな牢獄のような町には行かないぞ」
少し怒ったようにも見える顔でそんな酷いことを言い出した。
彼でさえあの町に対してはそんな印象を持っているのだから、かなり有名だったのだろう。
「いえ。今はそれなりに発展してって、そう言う問題ではありません。そうだ。ではハルファタはどうですか? あそこならテーバン兄さんもいますし」
俺は彼に恨まれるかなって思いながら、そう提案してみた。
ラマティアはそれなりの町ではあるが、さすがに王都であるハルファタとは比較にならない。
父もそれなら食指を動かすかなと思ったのだが、
「いや。あそこには男爵がいらっしゃらないからな。私は男爵のいらっしゃるこの町がいいのだ」
そう言ってファーフレント卿を見るものだから、彼は気を遣ってか、
「こんな屋敷でよければいつまでもご滞在ください。いっそ隣に新しい屋敷を建てますか?」
なんて危険なことを言い出した。
俺の父親に対して言質を与えるようなことは口にすべきではないのだが。
「ハルト! 無事だったのですね」
俺が困り果てた思いでいると、俺の背中から声が掛かった。
振り向くとそこには、この世界の母親の姿があった。
「母上!」
俺は彼女に近寄ると、両手で彼女の手を取った。
「ご無沙汰いたしました。お変わりありませんか?」
彼女は少し涙ぐむ様子さえ見せると、何度も頷いてくれた。
「ええ。ええ。私たちは大丈夫です。それより心配しましたよ。あなたについて嘘が真か分からない噂が飛び交って。最後はあなたが宰相に追われる身となったと聞かされて、この町へ逃れて来たのです」
どんな噂が伝わっていたのかは定かではないが、たとえ俺について真実が伝わっていたとて、信じることは困難だっただろう。
「よく逃れてくださいましたね。使者はどう言っていたのです?」
俺は正直言って、どうやって俺の家族に身の危険について信じてもらうのかと案じていたのだ。
「ハルファタからあなたの送ってくれた使者はあなたが魔法を使えることや、自分と同じ名前の人を探し続けていることを知っていましたから、彼の言葉に従ったのです」
「たまにはあの田舎から離れたいからな。路銀もたんまり提供してくれて。ハルト。ありがとうな」
父は呑気なものだが、どうやらクーメルが万事整えてくれたらしい。
俺は彼に自分の父親の話なんてしたことはないのに、どうして簡単に両親を動かせたのだろう?
「そう思うなら、これ以上ハルトに迷惑を掛けてはいけません。そろそろヴェスティンバルに戻りましょう」
母親に諭されて、父は渋い顔をしていたが、もう勝負はあったのだ。
と言うよりも父は彼女に必死で求婚した末に妻として迎えたらしく、未だにまったく頭が上がらない。
「イレーネさんですね。初めてお目にかかります。ハルトの母のアウグスタです。ハルトがとてもお世話になっているようですね」
母は俺の側にいたイレーネ様に気づいて、挨拶をしてくれた。
「こちらこそはじめまして。イレーネです。私の方こそ、ハルト様にはこれまでいつも助けていただいているのです」
イレーネ様も珍しく少し緊張気味に挨拶を返してくれる。
「本当に可愛らしいお嬢様ですね。それにとても聡明そうで……。ハルトは女性を見る目はあるのですね」
褒められているのかよく分からないが、母はイレーネ様を評してそう言ってくれた。
「ああ。驚くほどの別嬪さんだな。若い頃のアウグスタには少し及ばないがな」
もう一人の方はだめそうだ。
頼むから不敬な発言は慎んでほしい。
「あなたは黙っていてください。私がイレーネさんとお話ししているのですから」
そう言って母は不用意な発言を繰り返す男の口を閉ざしてくれた。
「イレーネさん。これからもハルトのことをお願いしますね。ハルトは少し変わっていますけれど、根は優しくて曲がったことはしない子です。イレーネさんが側にいてくださるのなら私も安心です。よろしく頼みますね」
俺は異世界人で未来人でもあるから、価値観なんかはこの世界の人から見たら変わってるってことになるのだろう。
そもそも魔法が使えるってだけで普通じゃないし。
「はい。私でよろしければ、ハルト様の側にずっといます。私こそよろしくお願いします」
俺がくだらないことを考えている間にも、イレーネ様は母の依頼に丁寧に答えてくれていた。
「幸いハルトにも、イレーネさんにも会えましたから、私たちは明日にもヴェスティンバルに向けて発ちましょう。ファーフレント卿には本当に良くしていただいて、ありがとうございます」
彼女は急にラマティアを発つと言い出して、皆を驚かせた。
「そんなに慌ててお発ちになられずとも。もう少しゆっくりされてはいかがですか?」
ファーフレント卿もそう言ってくれたのだが、彼女は考えを変えなかった。
「いえ。もう十分過ぎるほどお世話になりましたから。何のご恩返しもできずに、これ以上は申し訳ないですし、心苦しいですから」
彼女はそう言って明日にはこの町を発つことに決めたようだった。
「恩返しはハルトがやっておいてくれよ」
一方で父親はそんな軽口を叩いて母に睨まれていた。
翌日、二人と兄のテスマスは、ファーフレント卿が用立ててくれた馬車に乗ってラマティアの町を離れた。
長兄もあの後、俺の部屋へやって来て、イレーネ様とも挨拶を交わしていた。
「母上は言い出したら聞かないからな」
彼は苦笑いを浮かべてそう言っていたが、我が家の最高権力者が彼女であることは、俺がこの世界に生を受ける前から変わらないようだった。
「イレーネさん。くれぐれもハルトをよろしくお願いします」
最後に母はイレーネ様にそう言って馬車に乗り込んで行った。
「ハルト様のお母様はお綺麗な方でしたね」
馬車を見送ったイレーネ様は、俺にそんな感想を聞かせてくれた。
【ハルト一世本紀 第五章の九】
大帝がラマティアに至った時、その母もまたラマティアを訪れていた。
彼女は初めて会った皇妃を大そう気に入り、その様子は仲の良い姉妹のようであった。
「陛下が彼女と末永くともにあることは、元から決まっていたことです。どうして早く華燭の典を挙げられないのですか?」
大帝は母のその言葉に頷かれはしたが、納れられなかった。
「今はまだ時を待っているのです。時が至れば、それは自然と実現するだけのこと。焦る必要はありません」
大帝のご返答をその母は致し方なしとはされたが、さらに一言、申し添えることを忘れなかった。
「時の流れは速く、戻ることはありません。焦るわけではありませんが、私たちもいつまでこうしていられるか分かりませんから」
大帝はそれをお聞きになって後、より皇妃を気遣われるようになられた。




