第八十九話 宰相推挙
王軍だった兵たちも、後方に開いた空間に逃げ道を見つけて、ハルファタの町へとなだれ込む。
それを追う形で俺たちの軍も王都へと侵入した。
「目指すは王宮。ジンマーカスの首だ!」
アンクレードに指揮された兵は怒涛の如く町の中を進む。
崩壊した城壁に恐れを抱いたのか、敵兵の抵抗はほとんどなかった。
「待ってくれ! 俺たちは城門の前で捨て石にされたんだ。もう戦う気はない」
町へ逃れた兵たちは、俺たちが追いすがるとそう言って武器を捨て、町の中へ消えていった。
俺たちはすぐに町の北にある王宮へと到着する。
「俺たちは敵じゃない」、「降伏だ。降伏する!」
ここでも守備兵たちの一部は、もう戦うことを放棄していた。
俺たちが到着した時には、すでに同士討ちや兵の逃亡が始まっていたのだ。
「スフィールト伯爵! お味方します」
粛清された王族に仕えていた家臣たちが蜂起して、共闘を呼び掛けてきたりと、城内は混乱を極めていた。
「ジンマーカスだ。元凶である奴を探せ!」
王宮に突入するとアンクレードがそう呼び掛けて奴の捕縛に全力を挙げた。
だが、その姿はなかなか捉えられなかった。
「どうやらジンマーカスは既にハルファタから逃亡したようです」
その日の夜になって、クーメルがそう報告してきた。
「そうなのか? 王宮の中のタペストリーの裏とかに抜け穴があってそこに隠れてるとか、そんなことはないのか?」
俺が尋ねるとアンクレードが不思議そうに、
「ハルト様は変なところで具体的ですな。ですが宮殿の内部はくまなく探しましたから、まず奴が残っている可能性はないと思います」
そう俺に答えてきた。
「そうか。それよりもシュテヴァンたちの家族はどうなったんだ? 無事なのか?」
「そちらは問題ありません。どうやら我々の進軍が早かったため、そこまで手が回らなかったようです。危険を冒して進軍した甲斐がありましたな」
俺のもう一つの疑問に、彼は安心したという顔とともに答えてくれた。
「じゃあ、もう別にいいじゃないか。ジンマーカスは無力化されたってことなんだろう?」
俺が慌ててハルファタまでやって来たのは、シュテヴァンたちの家族を救うためだったのだ。
ジンマーカスについては、逃亡したのならそれでいいという気がしていた。
「そうはいきません。一番は奴を捕えることですが、それが無理なら早めに奴の王位を無効だと宣言しておかなければ。王の名をもって各地の諸侯に呼び掛けられれば面倒なことになりかねません」
どうやらそう言うことらしい。
そのあたりのことになるとクーメルの領分だろう。
「まずはスタフィーノ公爵にハルファタまでおいでいただき、王位に就いていただきましょう。もう彼以外に継承権を持つ方はいらっしゃいませんから」
ジンマーカスは彼とその息子の王位を確実なものとするため、継承権を持つ者をすべて排除したらしいから、そういうことになるのだろう。
「じゃあ。町はシュテヴァンたちに任せて、俺たちは公爵を連れにスフィールトへ戻るか。いや、カレークにいるのかな?」
国王陛下を呼びつけるのもなんだから、こちらから出向いた方がいいのだろう。
俺はその晩は久しぶりにベッドでゆっくりとやすみ、翌朝、馬車を仕立ててスフィールトへと向かった。
「公爵はどうしてスフィールトから動かないんだ?」
そうして着いたスフィールトの彼の屋敷で、俺の問いかけにスタフィーノ公爵の二人の家臣、フランドとブレマンディは顔を見合わせた。
スフィールトへ到着した俺はダニエラに公爵の所在を聞いたのだ。
「スタフィーノ公爵はこの町のお屋敷にいらっしゃいます」
もちろん彼は俺たちにとって重要人物である公爵についてはしっかり把握してくれていた。
公爵の存在がなければ、俺はただの反逆者になってしまうかもしれない。
「これはハルト様」
「大勝利とお聞きしました。おめでとうございます」
取る物も取り敢えず訪ねたその屋敷、公爵が仮の住まいとしている領主屋敷からほど近い建物で、二人の家臣、フランドとブレマンディはそう言って俺を出迎えてくれた。
だが、肝心の公爵の姿は見えない。
「公爵にお目に掛かりたいのだけど」
俺の要請に二人の顔が明らかに曇る。
「主人は伏せっておりまして、今はお会いいただけません」
「えっ。そうなのか?」
正直言って、ここで公爵に亡くなられたりしたら困るのだ。
王家の血を引く者がジンマーカスとその息子しかいなくなってしまう。
今さら彼にハルファタへ戻ってもらうわけにはいかないのだ。
「すぐに王都から薬師を呼ぶか? そうだ! リュクサンダールからプレセラさんに来てもらって」
彼女の癒しの力なら、まだ若くて体力のあるスタフィーノ公爵なら治せるかもしれない。
「いえ。あの、お会いいただけるよう取り計らいますので、今日のところは。準備が整えばご連絡を差し上げます」
どうも二人の話は要領を得ない。
それでも押し通るわけにもいかないので、俺は一旦、領主屋敷へ引き上げた。
「スタフィーノ公爵はずっとふさぎ込んでおられるのです」
久しぶりに戻った領主屋敷のダイニングで、久しぶりにお会いできたイレーネ様が淹れてくれたお茶を前に、俺は彼女からそんな事情を聞いた。
「無理もありません。子どもの頃から親しんだ王族の方々が皆、お亡くなりになり、ご自分だけが生き残ったのです。そうお聞きになって以来、公爵は部屋から出られなくなってしまわれたのです」
たしかに言われてみれば彼にとって衝撃的な事件だったのだろう。
あの一件だけでもジンマーカスは虐殺者の汚名を甘受せねばならないと思う。
「そうなのか。でも困ったな。彼に国王として立ってもらわないと今後に差し障りがあるんだ」
こちらの都合ばかりで心苦しいのだが、このままだと国王はジンマーカスのままってことになりかねない。
何とか公爵に即位してもらわないと、こちら側の正統性を主張できないのだ。
「今はそっとしておくしかない気がします。でも、よろしければ私からもお願いしてみましょうか?」
イレーネ様は少し迷っているようだったが、公爵が面会してくれる時に、俺と一緒に行ってくれることを申し出てくれた。
「ええ。是非お願いします」
俺なんかが頼むより、イレーネ様からお願いしてもらった方がずっと効果が期待できそうだ。
俺は前世でもその前の現代日本でも、クラスの意見をまとめたりするような、説得力の持ち主ではなかったからな。
結局、スタフィーノ公爵に会えたのは、その二日後の午後になってからだった。
「無事に王都を解放してくださったそうですね。ありがとうございます」
ベッドルームでソファに座った公爵は、弱々しい声でそれでも俺を労ってくれた。
「ええ。何とか王都を取り戻すことができました。公爵にはいつでもお戻りいただけますよ」
おそらく無理だろうなと思って俺は言ったのだが、案の定、公爵は、
「私はとても王都のしかも王宮へは足を運ぶ気にはなれません。あの場所で私の親しかった人が何人も……。それを思うと、どうして私だけが生き残ってしまったのかとさえ思えるのです」
目に涙を浮かべる彼を見ていると、彼に国王として国政を担ってもらうのは無理だってことは俺にも分かる。
「ご心中はお察ししますが、ジンマーカスは王を名乗ったまま行方知れずになっています。ここは公爵にご即位いただいて……」
俺が来訪の目的を口にすると、彼はぶるぶると震え出した。
「即位などと、無体なことをおっしゃらないでください。皆をハルファタへ置き去りにし、死に追いやった私が王として立つなど、許されることではありません」
顔色も変わっているし、今はこれ以上お願いすることさえ、彼には耐えられない心理的な負担になるような気がした。
「では、せめて一時、王権を代行する方をご指名いただけませんか? 次の国王陛下がご即位されるまでの間、臨時で政務を執る方を」
突然、イレーネ様が口を開かれ、俺を助けてくれる。
俺はそんなことは考えていなかったから、彼女の考えた次善の策ってことなのだろう。
「政務を執る者。宰相ですか……」
これまではジンマーカスが宰相で、国王に即位して後、誰かを宰相に任じたとは聞いた覚えがないから、空席になっていたのかもしれなかった。
まあ、いたとしても後ろ盾のジンマーカスが失脚したのだから王都から逃げ出すか、自ら辞職して謹慎でもしてるだろうが。
「はい。今はまだ王都も混乱していますが、国を治めることは一刻もゆるがせにはできないでしょう。王家の血を引く方にお決めいただきたいのです」
イレーネ様はゆっくりと優しく響く声でスタフィーノ公爵に説いてくれた。
彼の顔色が目に見えて変わり、態度も落ち着いてくる。
「私は初めてスフィールト卿、あなたにお会いした時、あなたを宰相に推薦すると申し上げました。ですから、お約束どおりあなたを宰相に指名します。私に宰相を指名せよとおっしゃるなら、私はそうさせていただくしかありません」
弱々しくはあったが、はっきりとした言葉で彼は俺たちに告げた。
俺はここへ公爵に王位に就いてもらうよう説得するために来たのに、俺が宰相に就任するよう彼に説得されるはめになりそうだった。
【ハルト一世本紀 第五章の二】
スタフィーノが献じたハルファタの町に大帝が至ると、ジャンルーフのすべての町が大帝の治世が始まったことを喜び、使者を送ってその威に服した。
「永くこの地を治めた者には特別な待遇が与えられてしかるべきです」
大宰相の進言に大帝は頷かれ、スタフィーノを王に封じようとされた。
「私の一族は確かにこの地を治めてきましたが、その間に多くの過ちを犯しました。親族が相争い、無用の混乱を招いたのです」
彼はそう言って受けなかったので、大帝は彼が静かに余生を送れるよう取り計らわれた。




