第八十七話 王都へ向けて
「いったいあなたは?」
跪いた将軍らしき男性に、俺は聞いた。
四十代くらいに見える彼は、立派な口髭を蓄え、髪には少し白いものが混じっているようだった。
落ち着いた様子の彼からしたら、俺なんか子ども扱いされても仕方がないだろうなと思える。
「私は先王の王子であったエドムンデル殿下をお守りしていたシュテヴァンと申します」
どうやらやはり彼が降伏した領主や将軍たちのリーダー的存在らしい。
まあ、俺の目の前、部屋の中央にいたのだからそうなのだろう。
「とにかくお立ちになってください。それでは私も話しにくいですし」
シグスデアル王の側近であったらしい彼に、俺は敬意を払うべきだと思った。
ジャンルーフ王国内では勲爵士に過ぎない俺など、本来なら彼に話し掛けることもできないだろう。
「ギオレク子爵ですね。王子の守備隊長を務められていた」
クーメルは彼のことを知っていたようで、すぐにそう反応していた。
「さようです。王子をお守りすることができなかった無能な守備隊長です」
彼は俺の言葉に従って立ち上がり、そんなことを言っていたが、国王が後継者である王子の守備隊長に無能な人物を任命するとは思えない。
「そのようなことはないでしょう。王子は暴漢に襲われたり、戦場で生命を落とされたりしたわけではありませんから。守備隊長の責任とは思えませんが」
クーメルがそう言ったが、シュテヴァンは目を瞑ってゆっくりと首を振った。
「いいえ。結果として王子は亡くなりました。私は守備隊長失格なのです」
これまでスタフィーノ公爵が主張していたことからは、王子の死には当時宰相だったジンマーカスが深く関わっているような気がするが、確たる証拠もないこと故、俺は黙っていた。
だが彼の守備隊長だったシュテヴァン・フォン・ギオレクも、当然ながらそのことを知っているようだった。
「しかも、その黒幕であろう現王の命によって、王家の血を引くスタフィーノ公爵を討たんとするとは、無能と罵られても、それを甘んじて受けるしかないでしょう」
自嘲するようにそう言った彼は、顔を上げて俺の目を見て言った。
「伯の左手に流れる血を見て、私は覚悟を決めました。その赤い血が伯の私たちに対するお気持ちを表していると強く感じられたからです。伯に敵対した我々でさえ決して粗略には扱わないと」
「いや。これは……」
俺はそんな深い意味を込めて彼らの縄を解いたわけではない。
元現代人としてあり得ないと思ったし、ほんの少しだけだがハルト一世だったらどうするかと考えたって部分もある。
「いえ。どんな言葉より伯の左手が雄弁にそれを語っておられる。伯に降ったのは間違いでなかったと、そう思えます」
だが、シュテヴァンはそれで俺のことを信じてくれたようだった。
「ですから私たちに伯とともに、スタフィーノ様のために働くことをお許しください」
彼はそう言って、俺たちの軍に加わることを申し出た。
俺は彼のこれまでの立派な態度から、即座に受けてしまいそうになったのだが、
「それはあなた方の総意ですか?」
クーメルは改めて彼に確認していた。
シュテヴァンは頷くと、
「そのとおりです。ここにいるのは私のように先王の王子や今の王以外の王族の与党であった者ばかり。王はそんな我々に先陣を命じました」
ここへ攻め寄せた軍勢のうち、損害を省みず先鋒部隊として川を渡らされたのはジンマーカスにやむなく従った領主や将軍たちなのだと彼は言った。
「我々にはもう仕えるべき主君もありませんし、即位した以上、王は王です。ですからやむなく王軍に加わったのです」
そんな彼らをジンマーカスは端から信用せず、軍の前面に押し立てて消耗させようとしたらしかった。
「私たちは家族を人質に取られ、しかも王は自分の家臣を軍監として送り込みました。奴は陣中で王の威光を傘に着て傍若無人な振る舞いをしていましたが、降伏が決まると同時に姿を消してしまいました」
どうも行方不明ってことらしいが、生きているかは甚だ疑問のようだ。
兵にも憎まれていたようだし、最後まで降伏に反対していたらしいから、ひそかに処分されたのかもしれない。
「ですから先ほど申し上げたとおり、ここにいるのは心ならずも王軍に加わった将兵ばかりなのです。我々は先鋒として真っ先に川を渡って橋頭堡を築き、その後も常に最前線を受け持つよう命ぜられたからこそ、ここにいるのですから」
彼らが大きな犠牲を払って川を渡り、その後も奮戦したことでアンクレードの部隊を後退させた後、中間派やそれを督戦していたジンマーカスの子飼いの将兵たちがゆっくりと川を渡ったらしかった。
「私たちがそうして街道を進んでいたところで、後方で異変が起きたことが知らされたのです。状況把握と味方の救助のために、我々は後退せざるをえませんでした」
「そこは我々の奮戦によると言って欲しかったな」
アンクレードが苦笑いを見せて注文を付けたが、数的には彼らの方がまだまだ優勢だったのだ。
こちらには陣地に籠っているという利点はあったろうが、異変の知らせがなかったら、どうなっていたかは分からない。
それでもクーメルの作戦計画のとおり、アンクレードは次の陣地まで後退するだけだっただろうが。
「後方へ戻った私たちは目にしたのは信じられない光景でした。溢れた川の水に流されて、友軍のかなりの部隊が姿を消していたのです。川沿いの橋頭保を確保し、後続の部隊の渡河を待っていた友軍はほとんど水に呑まれたようでした」
「それはハルト様のお力によるのです」
クーメルの言葉に、俺はまた胸が疼く気がしたが、シュテヴァンはそれを非難するようなことは何も言わなかった。
「やはりそうなのですな。兵たちの中には神罰が降ったのではと畏れる者も多くありました。私たちは橋頭保であった場所に戻り、必死で友軍の救助と陣の再構築を進めました。もうスフィールトへ攻め込むどころではなくなったのです」
シュテヴァンの隣にいた彼よりも少し若いが、やはり将軍らしき立派な軍服を着た人物も、その時のことを思い出して口を開いた。
「我々はとにかく戦友たちを一人でも救おうと、後方を警戒しながらも救助を進めました。それでも助けられる兵の数はそれほど多くはありません。ですが対岸の奴ら、我々に手を差し伸べようともせず……」
その若い将軍の怒りは、その事態を引き起こした俺よりも、味方に支援の手を伸ばさなかったジンマーカス直属の部隊に向けられているようだった。
「挙げ句にスフィールト伯が姿を見せると、王の子飼いの臣たちは我らを対岸に置き去りにしたまま逃げ去りました。逃げ足だけは本当に見事としか言えないものでした」
「オトルフ卿の言うとおりでしたな。最初から期待はしていませんでしたが、我々は見捨てられたのです」
吐き捨てるように続けた若い将軍に、シュテヴァンも同意する。
俺もそれは見ていたが、対岸の敵はさっさと逃げ出したので、こちらとしてはあの数の敵を相手にせずに済んで助かった面もあったのだ。
「さらに陣地にこもっていたはずの部隊にまで突出されては、こちらに勝ち目はありません。血路を開いて逃げようにも、後ろは川ですし、前の日からの救出活動で兵たちは疲労困憊、戦う気力などありませんでした」
オトルフ卿と呼ばれた将軍は、今度は自嘲するように続けたが、これもクーメルの考えたとおりだったとしたら、こちら側にとって恐ろしいほど上手くいったということなのだろう。
「そうして降伏した我々に、スフィールト伯は慈悲をかけてくださいました。王命とはいえ、敵対した我々に掛けられた縄を、手ずから解いてくださったのです」
彼はそう言って自分の左手首を右手で撫でるような仕種を見せると、顔を伏せた。
その様子を見ていたシュテヴァンが、しっかりと俺の顔を見て告げるように言った。
「私たちはもう王都にいる家族のことは諦めました。この上はスタフィーノ公に、いえスフィールト伯に従います」
そう言って彼は再び跪き、周りにいた将軍や領主たちもそれに倣った。
「家族のことって……」
俺がクーメルに尋ねると、彼は静かに頷いた。
どうやら俺が思っているとおりのことらしい。
「捕らえられた私たちを王は許すとは思えません。そして伯に降ったと知られるのも時間の問題です。そうなれば王都にいる家族の生命はないでしょう」
ジンマーカスがそうなのか、その取り巻きがそうなのか知らないが、本当に人質が好きなんだなと思う。
俺の場合はクーメルが気づいてテーバン兄さんを王都から、そして家族をラマティアへと逃がしてくれたが、彼がいなければ同じ運命をたどっていたかもしれなかった。
「人質に取ったなら、生命を奪っては意味がないんじゃないか? 手許に置いておけばあなたたちへの牽制になるかもしれないし」
俺はそう思ったのだが、どうもそうではないらしかった。
「いいえ。王がその一族に対して行ったことを考えれば、とても我らの家族が無事で済むとは思えません」
オトルフ卿はその目に決意を湛え、だが苦しそうにそう述べた。
「じゃあ、急がないといけないな。家族を諦めるなんて、あなたたちにそんなことはさせたくないし。敵にそんなことをする時間的余裕を与えるべきではないだろう」
俺がそう言うとシュテヴァンもオトルフ卿も怪訝な顔をしたが、クーメルはにっこりとした笑みをその顔に浮かべた。
「ハルト様が珍しくやる気をお見せになりましたね」
彼に続いてアンクレードも、腕まくりするような様子を見せて、
「ここが正念場ですな。こちらも大変ですが、相手も疲れているでしょう。一気にハルファタへ攻め上りましょう」
そう言って皆を驚かせていた。
【ハルト一世本紀 第四章の二十九】
忠誠を誓った領主らに、だが大帝はさらに宥恕の心を示された。
「そなたたちの内にはハルファタに家族のある者もあろう。無理に我が軍に加わることはない。今はその気持ちだけで十分である」
その言葉に領主たちは涙を流し、却って戦意を高めた。
「私にお命じくだされば、敵が邪な考えを実行に移す時を与えず、ハルファタを解放し、この者たちの家族を無事に取り戻しましょう」
大将軍がそう言ったので、大帝はお笑いになった。
「今は大将軍の言葉が頼もしい限りである。是非ともそうなるように努めようぞ」
大帝の許しを得て、大将軍は勇躍して兵を率いハルファタへと向かった。




