第八十六話 降将引見
「ハルト様。お疲れ様でした」
アンクレードはそう言って俺を陣地に迎えてくれた。
そこを占拠していた王国軍の兵は、掲げていた白地に百合の花のジャンルーフ王家の旗を、紋章のない白旗に変えて降伏していた。
「アンクレードこそ。忙しいんじゃないのか?」
俺がそう問い掛けると彼は疲れた様子ながらも笑顔を見せた。
「ハルト様やクーメルほどではありません。この後、ハルト様には降伏した諸侯を引見していただかねばなりませんし」
当たり前だが戦闘に勝ったからといってそれで終わりと言うわけにはいかないようだ。
いや、ここから先の方がこれからのことを考える上ではずっと重要なのかもしれない。
「数が多いから大変そうだな。少しでも味方になってくれる諸侯がいるといいけど」
「そうですな。かなり敵の戦力を削ぐことはできましたが、こちらが使えるのは今のところほぼスフィールトの兵だけですからな」
アンクレードの軍才をもってしても苦労したってことなのだろう。俺はそう思ったのだが、
「それでもクーメルの言ったとおりに戦いは進みましたからあまり不安はありませんでしたな。悔しいので少しばかりこの先の陣地で奮戦しましたから、あまり後退せずに済んだのだけが私の戦果ですか」
彼はそんなことを言っていた。
驚いてクーメルを見ると、彼はいつもの澄ました顔で、
「すべてはハルト様のお力です。ハルト様のお力を恐れた敵は、私の想像のとおりの行動を取ってきましたし、ハルト様がいないと知って、要らぬ戦書まで送ってきました。これもハルト様を恐れる心の裏返しでしょう」
「こちらはあまりに小勢でしたからな。敵は戦書のとおり我が軍の目の前で渡河してきました。既存の橋だけでなく、舟を並べて即席の橋まで作って、それも使って兵を渡して来ましたな。我が軍も弓矢で妨害をしましたが、少々の損害は覚悟の上という様子でしたから」
アンクレードは頭を掻きながら「大軍に兵法なしとはあのことですな」なんて呑気な感じで口にしていた。
「かねてよりクーメルからは兵の損害を極力抑えるようにと言われていましたから、適当に抗戦した後、すぐにこの先の第二の陣地まで後退したのです」
予定していた後退なので、機を見て迅速に動き、すぐに後方の陣地へと逃げ込んだらしかった。
「その後、第三の陣地までは逃げ込む想定をしていたのですが、後退を始める寸前に水が押し寄せましたからな」
俺がマナヴィー湖からサリハヤ川が流れ出す場所にあった岩を砕いて作り出した奔流が川を下ってここまで到達したということだった。
「どうやらこれ以上ないタイミングだったようですね」
クーメルの言葉にアンクレードが頷いた。
「ああ。敵が橋の左右にも舟を使って橋を掛け、おおよそ半分くらいの兵がこちらに渡って来た時だったからな。あちらの岸にもこちらにも、川辺には兵がびっしりいたんだ」
渡り切った者たちは後続を待ち、まだ渡れていない者は早く対岸へ渡ろうと川の側に寄せてきていたらしい。
急に起こった濁流が、それらの兵を一気に呑み込んだらしかった。
「濁流の後には、橋は急拵えの舟を並べたものも含めて消え去っていたましたし、多くの兵も流れに呑まれたようでした。残った部隊も茫然自失といった態で、とても戦える状態では……」
雨も降っていないのに突然、川が一気に増水し、味方が流されて消えたのだ。
救助に動くべきなのか、まずは退路を確保すべきなのかと考えもまとまらなかったのだろう。
「それでも後方、こちら側は前方ですな、にいた兵たちが恐る恐る岸辺に集まって、流された兵や輜重を回収し始めたりしていたのです。とても作戦を継続する状態ではなかったのでしょう」
アンクレードによれば敵は大軍ではあったが、おおよそ半分くらいの兵が失われたのではないかと言うことだった。
そうなると現実的には軍としての機能は失われてしまうだろう。
「それでもあのままなら兵をまとめ、撤退することくらいはできたでしょう。まだ対岸にも兵が残っていて、時間を掛ければ橋を渡すこともできたでしょうから」
確かに橋桁はかろうじて残っているようだったから、何とか仮設の橋を作ることくらいはできたかもしれない。
そのための資材も揃っていたようだし。
「そこにハルト様が姿を見せたというわけです」
クーメルが例のしたり顔を見せて後を引き継いだ。
「ようやく落ち着こうとしていた部隊に、突然の魔法による攻撃。彼らを絶望の淵に墜とすのに十分な衝撃を与えたことでしょう」
「私も兵を率いて慌てて飛び出しましたが、もう敵には抵抗する気力も残っていないようでしたからな。次々と両手を挙げて降伏してきましたから」
おそらく兵の中にはスフィールト近郊の戦いで、俺の魔法を目の当たりにした者もいるのだろう。
そうした兵は俺が戦場に姿を見せた時点で戦意を喪失したのかもしれなかった。
「とにかく大勝利です。味方の損害は皆無と言ってよいほどですし、敵は実質、壊滅でしょう。王都へ逃げ帰った兵もいますが全軍の半数以上、いえ、八割近くを失ったでしょうから」
「そんなにか?」
興奮して話すアンクレードに、だが、俺は呆然としていた。
俺の魔法が引き起こした水の流れによって、多くの生命が失われたのだ。
「ハルト様……」
覚悟したつもりだったのだが、いざ現実を突き付けられると受け止め難い気がした。
ハルト一世に仕えたいなんていう俺のつまらない望みのために、多くの不幸が引き起こされていると思うことは耐え難いことだった。
「ハルト様。お気を強くお持ちください。ハルト様がいなければ、スフィールトは彼らに蹂躙され、スタフィーノ公爵は捕えられて首を刎ねられていたでしょう」
確かにクーメルの言うとおりではある。
でも、俺が彼を助けなかったら、こんな惨事は起こらなかったはずなのだ。
「ハルト様。私はハルト様が間違っていたとは思いません。ジンマーカスは王位継承権を持つ者を根絶やしにしました。この一事をもってしても、彼が王位にあって良いはずがありません。しかも攻め寄せて来たのはあちらの方なのです」
アンクレードもそう言ってくれるが、俺にはジンマーカスも俺も五十歩百歩っていう気がした。
いや、与えた被害を考えれば俺の方がずっと酷いことをしでかしているのかもしれない。
(ハルト一世もこんな苦悩を抱えていたんだろうか?)
俺の頭にそんな想像が浮かんできた。
(彼はこの時代の人だし。そんなこと考えもしないかもな。それに彼はそれを補って余りある功績をこの世界に残したからな)
彼の魔法帝国の再建と魔法の復興によって、この世界がどれほどの利益を得たか、俺は千年後の世界で嫌になるほど教わったのだ。
「クーメル。アンクレード。分かったよ。大丈夫だ」
俺はハルト一世に仕えると決めたのだ。
そして彼がこの世界を統一する過程で配下とする大宰相クーメルや大将軍アンクレード、それにシュルトナーやダニエラだけでなく、皇妃となるイレーネ様を守らなければならない。
そのためには今は戦うしかない。
「それでは降伏した領主や将軍たちを引見していただきましょう」
俺の仕事はまずはそれらしい。
正直、気が進まないがさっさと済ますしかないだろう。
俺はそう思って陣地に設けられた会議室へ向かった。
「えっ。どうしてこんなことになっているんだ?」
俺が広い部屋の中に入ると、そこでは二十人程の男性が腕を縛られ、縄尻を兵に握られて跪かされていた。
「ハルト様に引見していただくためです」
アンクレードは平気な顔だが、俺は怒りを爆発させた。
「こんなことする必要はないじゃないか! 相手は丸腰なんだろう?」
俺はそう言ってすぐに近くの将軍の縄を解こうとした。
「くっ。固いな……」
何とか一人目の縄を解き、続いてその横の男性に移る。
「ハルト様? 皆、捕虜の縄を解くのだ!」
アンクレードが俺の様子に慌ててそう命令してくれた時、俺は二人目の縄を解いていたのだが、
「イチッ!」
固く結ばれた縄を解こうとして手が滑り、右手の爪で左手の甲を傷つけてしまった。
赤い血がぽたりと床に落ちる。
「よしっ。なんとか……」
それでも俺は手を止めず、二人目の縄を解いた。
「申し訳ありません。危険かと思い……」
アンクレード配下の兵がそう謝ってきたが、アンクレードがそれを遮った。
「よい。私が命じたのだ。ハルト様。お気に召さなかったのなら謝罪いたします。少しでも危険は避けたいと思いまして」
アンクレードに謝られて俺も冷静さを取り戻した。
「いや。いくら何でもやりすぎだと思っただけで、俺に配慮してくれたのは分かったから」
彼らからしたら、主君である俺の安全確保を第一に考えてくれたということなのだろう。
元が現代日本人の俺からするとギョッとしてしまったが、ここは戦場だし、時代も違うから彼らを責めるのは酷かもしれなかった。
「スフィールト伯のお気持ちは分かりました。降人である私たちを軽んじることなく、逆にお味方を叱責なさるとは……」
突然、俺が縄を解き、立ち上がらせた将軍らしい人物が俺の前に跪いて語り出した。
【ハルト一世本紀 第四章の二十八】
大帝は自ら兵を献じるために馳せ参じた周辺の領主たちに拝謁を許された。
「陛下は旗幟を鮮明にしなかった私たちに対してさえ、真心を持って接してくださいました。ハルファタを占拠するスタフィーノの親族など、比べるも愚かというものです」
そう言って戦列に加わることを求める彼らに大将軍が説いた。
「汝らの扱いについて、この私がお叱りを蒙ったのだ。陛下は血を流されるような思いで、手ずから汝らを麾下に加えられた。この上は、私以上の忠節をもって陛下にお仕えせねば許さぬぞ」
その言葉に領主たちは恐懼し、改めて大帝に忠誠を誓った。




