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第八十五話 強行軍

「ギマローラ ヴァムフューム キネーセ エフェペボーペ トゥフィザーフェ」


 俺は先日訪れたマナヴァー湖からサリハヤ川が流れ出す場所を見下ろす高台に立ち、魔法の呪文を詠唱した。


 巨大な岩を砕くため、渾身の魔力を注ぎ込む。

 そして……、


「エクスプロージョン!!」


 俺が魔法を完成させると、滝のように水の流れる岩肌に大爆発が起こった。


「失敗か? もう一度!」


 この程度では無理なのかと思って俺は再度魔法を放とうかと思ったのだが、


「お待ちください」


 隣にいたクーメルが俺を制止し、俺たちの見ている前で岩に亀裂が入る。


 ビシッ!


 硬いものが割れる音がして、岩の中央部からほんの少し水が噴き出すと、


 ビシ、ビシ! バリバリバリ! ゴガーン!!


 真っ黒な岩が一気に吹き飛ばされ、そこから恐ろしい勢いで水が噴き出した。


「ハルト様。成功です。すぐに陣地へ戻りましょう!」


 クーメルの助言に頷いて、俺は『レビテーション』を使って高台から下り、待たせてあった馬に跨ってそのまま元来た道を走り出した。



「馬のない兵たちには慌てずに戻るよう伝えました。どうせ今回の戦いには間に合いませんから」


 クーメルは士官の一人に兵たちを任せ、翌朝、野営地を撤収して帰還するよう、そしてサリハヤ川沿いの陣地へ到着後はそこを守るように命じて、俺を再び湖の見える場所まで連れて来た。


「明日の朝、敵が渡河を開始し、アンクレードがそれを支えきれずに後退したとしても、大軍ゆえ全軍が川を渡り終えるにはかなりの時間が掛かるでしょう」


 彼はそれも計算の上で、岩を砕いた後の行動も準備してくれていたのだ。



 馬に乗ったニ十人ほどの兵とともに、俺は川の横の道を一気に下って行く。

 途中で日が沈み、暗くなった道を兵たちの持つ松明が、そして何より俺の『ライト』の明かりが照らす。


「あぶないっ!」、「この先で道が崩れています」


 先行していた兵が止まり、俺にそう報告してきた。


 松明だけなら下手をしたら街道の崩れた場所に突っ込み、川へ転落していたかもしれないが、俺の魔法の光が行く先を照らしていたために辛くも惨事を免れたようだった。


「ハルト様!」


「ああ。レビテーション!」


 俺の起こした急な増水で、このように川に沿って作られた道が崩れたり、橋が流されたりしている場所は浮遊の魔法でやり過ごし、速度を緩めることなく下流を目指す。


「ハルト様。慌て過ぎです」


 クーメルが今度は俺に馬を止め、休息を取るように言ってきた。


「そんなことをしてる間にも敵が……」


 俺の反論に彼は首を振ると、


「どのみち間に合わないのです。それだけの距離、ハルト様が離れるのを彼らは見計らっていたのですから。アンクレードなら上手くやります。それに馬を休ませることも必要です」


 現代日本なら車でって思うが、俺は十五歳で退場したから当然免許も持っていなかったし、舗装もされていないこの細い道で車を走らすことは不可能だろう。

 それに車だとしても運転者にも休憩が必要なのは言うまでもない。


「分かった。少し休憩を、仮眠を取ろう」


 兵の手で道の端に即席の野営地が出現し、俺はそこで横になった。夜通し進んで疲れているはずなのだが、さすがに気が立っているのだろう。すぐには眠れる気がしない。そう思っていたのだが。


「ハルト様。出発しましょう」


 そう言ってクーメルに起こされて、俺は寝過ごしたかと血の気が引く気がしたのだが、


「大丈夫です。本当に仮眠で申し訳ないのですが、急ぎましょう」


 俺に否やなどあろうはずもない。

 再び馬に跨ると、道を南に、川下に向かってひた走る。


(今ごろアンクレードは……)


 戦書のとおりなら、もう敵は渡河を開始しているのだろう。

 敵陣の目の前で川を渡るのだから、それほど簡単に行くとは思えないが、なにしろ兵力が違い過ぎる。

 いつまでも支え続けられるとは思えなかった。



 そしてその日も夕暮れを迎える。


(もう全滅してるかもな)


 いくら川を前にし、陣地を築いていたとはいえ、万を超える敵兵が殺到して来るのだ。

 そんな不安が何度も頭をもたげてくる。


「ハルト様。そろそろ休みましょう」


 だがクーメルは冷静だった。


「いや。もう少しだけでも……」


 そう言った俺に彼はゆっくりと首を振った。


「ご安心ください。ハルト様の援軍はすでに敵に大きな打撃を与えているはずです。それに明日はハルト様に存分にご活躍いただかねばなりません。今は休養こそ必要なのです」


 たしかに俺はあの湖からここまで必死で駆けて来て、疲労困憊といった状態だ。


 彼の言う俺の援軍ってのは鉄砲水のことなのだろうが、ここまで来てもその痕跡は川の両岸に色濃く残っていたから、敵の渡河を妨害するくらいの効果は期待できたかもしれなかった。


「分かった。ここで休もう」


 再び即席の野営地で横になった俺は、アンクレードたちの無事を祈りながら眠りに就いた。



 そして翌朝、まだ夜が明けきる前に目を覚ました俺は、慌てて朝食を取るとすぐに全員で南を目指して駆け出した。


 日が完全に上って後、峠に差し掛かると、そこからは昨日は戦場となったのであろうスフィールトへと続く街道が遠望できる。


「あれは!」


 川を渡った先の拠点はどうやら敵軍に奪われたようで、掲げられた白っぽい旗には百合の花の紋章が描かれているようだった。


 だが、森の木々に遮られてはっきりとは分からないものの、そこから先に続々と大軍が進んでいる様子はない。


「こちらにも敵軍が見えます」


 俺に付き随う兵士に指摘されるまでもなく、反対側の岸にもかなりの数の兵士が残り、何やら作業をしている様子が見て取れた。


「どうやら上手くいったようです」


 クーメルが安堵の声を漏らしたのは、彼が計画した水を使った攻撃が成功し、敵の兵力を二分することができたからだろう。

 それでも敵軍の方が圧倒的に大軍なのが難点だが。


「ハルト様! 行きましょう。皆、ハルト様をお守りするのだ!」


 クーメルが勇ましく兵士たちを鼓舞するが、俺たちはたった二十人ほどしかいないのだ。

 このまま突撃するのは自殺行為のようにも思えるが、今の俺はアンクレードたちを、そしてその後背に控えるスフィールトの町の人たちを守らなければならない。


「アイシクル・エクスプロージョン!」


 以前のスフィールト郊外での戦いの時のように、俺の氷系の魔法が炸裂し、かなりの数の敵兵がなぎ倒される。


「敵襲!」、「敵です!」


 俺が魔法で攻撃した左岸へと渡ってきていた敵軍は、脆くも大混乱に陥っていた。


「逃げろ!」、「退避っ! 退避!」


 こちらは小隊にも足らないくらいの人数なのに、敵兵たちは驚き慌てて逃げ出そうとしていた。

 だが、彼らには逃げる場所もない。


 俺の起こした大水のせいか橋は落ちていて、対岸へ逃げ帰る術もなく、反対の街道はスフィールトへ向かうのだからアンクレードの兵がいるのだし、両側は深い森なのだ。


「ハルト様。あそこです」


 クーメルが指差す先には指揮官らしき人物がいた。


「アイシクル・ランス!」


 俺はスフィールト郊外と同じ要領で、敵の指揮官を狙い撃ちにする。

 指揮官を残しておけば、こちらの数の少ないのに気がついて、突撃を掛けてくるかもしれないのだ。


「アイシクル・エクスプロージョン!」


 ゴバーン!!


 再び氷の塊が爆発し、周囲に大音響が鳴りわたる。

 それに迅速に対応したのは、対岸にいた敵部隊だった。


「引けっ! 引けっ!」


 いずれかの部隊の指揮官だろう、大きな声で退却を命じる声が聞こえる。


「遅れるな。撤退するぞ!」


 同様に馬に乗った兵が大声で呼び掛けて廻ると、対岸の兵たちはそそくさと俺たちに背を向ける。

 そして敵の大軍は潮が引くように一気に川岸を離れ、街道から溢れんばかりになって王都方面へ向けて逃げ去った。


「かくなる上は、ここで血路を開くぞ!」


 こちら側に残された兵を率いる将軍が、破れかぶれといった様子で兵たちに命じるが、俺の魔法を目の当たりにした兵たちには、敢えてこちらへ向かって来ようという者はいなかった。


「敵襲!」、「なにっ!」


 そうしているうちに、今度は遠く左手の敵から声が上がる。


「アンクレードが突出してきたようです」


 クーメルが指摘したとおり、それはアンクレードが率いる我が軍の残存部隊のようだった。


「よし、こちらも押し込むぞ! アイシクル・エクスプロージョン!」


 どう見てもここが勝負に出るべきところだろう。

 俺は次々と魔法を放ち、敵を混乱に陥れた。


「降伏だ。降伏する!」、「待て! 降参、降参だ!」


 俺の魔法の前にある者は打ち倒され、ある者は薙ぎ払われて彼らは為す術もなかった。

 後方はサリハヤ川の流れで、橋は流され、彼らを渡してくれる可能性のあった友軍は逃げ散った。


 そして反対側からはアンクレードの部隊が迫っているのだ。


 圧倒的に大軍であった敵は、呆気なく戦意を失い、兵士たちは武器を捨てて抵抗する意思のないことを示していた。





【ハルト一世本紀 第四章の二十七】


 ハルファタへ赴く前に大帝はサリハヤ川を遡って渓谷に遊ばれた。

 そうしてスタフィーノの縁族に最後の機会を与えようとされたのである。


「陛下は既に十二分に大度を示されました。残念ですが私欲に塗れた者にはそれが分からないのです」


 大宰相の言葉を大帝は喜ばれなかった。

 天もそれを憐れんだのか、周囲に稀なる豪雨をもたらした。


「事ここに至らば致し方なし、大将軍とともにハルファタへ赴こう」


 急ぎ戻られた大帝の前に敵する者はいなかった。


 そうして大将軍が兵を進めると、大帝の徳を慕う周辺の町から将兵が集い、彼に力を貸した。


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