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第八十三話 陣地を離れて

「さすがにここまで進出すると、放ってはおけないようですな」


 俺たちが森と平原の境目を流れるサリハヤ川に架かった橋のたもとに築いた拠点は、もう何度か敵兵の襲撃を受けていた。


「やっぱりここも良い場所だな。背後は守られているし、見晴らしもきくし」


「ここから先は敵の襲撃が一方向からだけに絞られるわけではありませんから、兵を進めるのはここまでですな」


 橋を渡った前方は平原で兵を隠す場所もない。

 こうなるとやはりエルフに結界で森を閉じてもらったことは、俺たちをかなり有利にする効果があったと言えるだろう。


 だが、いつまでもスフィールトに籠っているわけにもいかない。

 そうしていればジンマーカスは地保を固め、俺たちは孤立してしまう。


 ビュトリス王国だって今は、中立かどちらかと言えば俺に好意的な立場を取ってくれているが、争いが長引けばあちらに付くことだって十分に考えられるのだ。


「先日のクラウズ王子の出兵には驚かされました」


 クーメルもそう言ってビュトリス王国の出方には神経を尖らせているようだ。

 今はカレークの町を通じて物資がスフィールトへ運ばれているが、ビュトリス王国がその気になれば俺たちを干上がらせることだってできる。


 それにしてもクーメルを驚かすなんてあの王子、大したものだと思う。


「そっちはシュルトナーが行ってくれているからな。彼なら酷いことにはならないだろう」


 こうしてみると、俺たちは薄氷の上にいるような状態だなって思えてくる。


 どこか一つでも破綻すれば、破滅は免れないと思うのだ。


「ハルト様のおっしゃるとおりですな。我々は前面の敵を打ち破るのみです」


 アンクレードは敢えて気楽な感じで言ってくれているのだろう。

 彼の場合はそれが地なのかもしれないが。



「この先に進むにはある程度大きな勝利が必要ですな」


 アンクレードはそうも教えてくれる。


「現状ではいくらハルト様の魔法があるとはいえ、多くの領主は良くて日和見を決め込んでいるでしょう。中には恩賞目当てでジンマーカスのために働こうとする者さえいるでしょうし」


 何しろ奴は国王ですからなと、彼は付け加えた。


「どうしたらいいんだ?」


 ここから先に攻め込むには、兵が少なすぎて危険だと言うのなら、敵に攻めて来てもらうしかないが、そんなに都合良く攻めて来てくれるとは思えない。


「敵はハルト様の魔法を怖れています。ですからハルト様がここにいないと分かれば、大挙して攻め込んで来るでしょう」


 まあ、そうなのかもしれないが、そうすると俺は敵を欺くために変装でもするのだろうか?


「ハルト様には一部の兵を率いてクーメルとともに川に沿って北へ向かっていただきます。援軍を求めてハルト様直々に各地へ檄を飛ばしに行っているとふれて回るのです」


「それで援軍を送ってくれる町なんてあるのかな?」


 俺には甚だ疑問だった。

 シュルトナーならともかく、俺が各地を回ったって捗々しい成果なんて求めるべくもないと思う。


「そこのところはクーメルが考えておりますから、ですが本当の狙いは援軍ではありませんから」


 要は俺がこの拠点を離れれば、敵が襲い掛かって来て、それを撃退しようってことらしい。


「そうすると俺とクーメルだけで北へ向かうのか?」


 さすがにちょっと心細いなと思って聞いたのだが、アンクレードの答えは意外なものだった。


「いいえ。ここの兵の半分ほどは連れて行っていただいて構いませんよ」


「えっと。大丈夫なのか? それで」


 古今比類なき名将、アンクレードに向かって失礼なのかもしれないが、それでなくても兵が少ないのだ。

 それをわざわざふた手に分けるなんて、各個撃破してくださいって言っているようなものじゃないだろうか?


「ええ。危なくなったら、この先の拠点に逃げ込みますから」


 アンクレードは気楽に言うが、それでは順番に拠点を放棄して、最後はスフィールトに籠城するってことになりそうだ。

 それではここまで陣を進めてきた意味がなくなるのだが。


「クーメル……」


 どうも二人の間で何やら話がついているようで、俺だけが蚊帳の外に置かれているようだった。


「ハルト様。今回は水を使います。それ以上のご説明はここではいたしかねます。今はどこにジンマーカスの耳があるか分かりませんから」


 クーメルはほんの少しだけヒントをくれたが、俺には何のことだか分からない。

 俺が分かるくらいだったら、ジンマーカスの耳とやらがもし聞いていたら分かってしまうだろうから、仕方がないのかもしれないが。



「では、各地の諸侯を説いて、我々の味方に引き入れてくる。俺が戻るまで皆はここを死守してくれ!」


 兵士たちを前に、俺は慣れない演説をさせられた。

 これも勝利のためらしいが、アンクレードがやった方が余程説得力があると思う。


 それでも約半数の兵を連れて、俺は川の側の拠点を発ち、北の方角、サリハヤ川の上流へ向かって進んで行く。


「こっちの兵の方が精鋭だよな?」


 俺は隣を行くクーメルにこっそりと尋ねる。


 もともとの人数が少ないから、あまりそういった区分をすることもどうかと思うが、アンクレードが俺たちに付けてくれた兵は、もともとスフィールトの町にいて、彼が訓練を繰り返していた兵たちがほとんどなのだ。


 俺も何度か彼の厳しい訓練と、そこでめきめきと力をつけてきた兵たちの様子を見ているし、数が少ないからその兵の顔も何となくではあるが覚えているのだ。


 今、俺たちが率いている兵たちの中には何人もそういった見覚えのある兵がいるような気がした。


「ええ。残してきた兵たちの中には、先日の戦いで降ったばかりの兵も含まれています。そういった兵に私たちがこれからすることを敵側に知らされては困りますから」


 どうやら内通を警戒して、俺たちが連れて来たのは信頼の置ける兵たちらしい。

 こうなるとアンクレードがあの陣地を守るのは大変なんじゃないかって思うが、今のところは敵の大規模な襲撃はなさそうだってことなのだろう。



 そうして出発してすぐ、クーメルは兵士たちに順に俺たちが発った陣地への伝令を務めるように命令を出していた。


「そんなにしょっちゅう、伝令が必要なのか?」


 彼の命令どおりに二人一組で次々に伝令を出していたら、ただでさえ少ない兵をほとんど伝令役に使ってしまうことになる。


「ええ。そのために兵の半数を引き連れて来たのですから」


 クーメルはいつもの涼しい顔をしてそう言っていたから、どうやら当初の目論見どおりってことらしい。

 俺も最初は彼と二人だけで各地を巡るのかなって思ったくらいだから、たしかにこんなに兵はいらない。


「私たちの元いた陣地に着いたら指揮官のアンクレードに敵軍の状況を確認し、あちらで無駄口を叩くことなくすぐに復命すること。よいな」


 彼は兵たちに厳しい顔と声でそう命じていて。俺はいつもの彼にないことだなって思ったくらいだった。

 まあ、敵が現れたら俺たちも反転して応援に駆けつける必要があるからなと、俺はその時、漠然とそう思っていた。



「この先に俺に味方してくれそうな町なんてあるのかな?」


 俺が最初に考えたのはイレーネ様の実家のあるラマティアの町だ。

 ファーフレント卿なら一も二もなく、俺に加勢してくれるだろう。

 だからこそクーメルもあの町に俺の家族を逃がしてくれたのだと思う。


 でもラマティアはどちらかと言えばここから西の方なのだ。


「念の為に聞くけど、ラマティアに向かっているわけではないんだよな?」


 さすがに道を間違えるってことはないとは思うが、クーメルが方向音痴ではないという保証はない。

 抜群の冴えを見せる頭脳の持ち主でも、方向感覚だけは別ってこともあるかもしれなかった。


「ラマティアですか。それもいいかもしれませんね」


 クーメルは何だか彼に似合わぬ気楽なことを言う。

 あの言い方だと、とても緻密な計画があるとは思えない。


「今はともかく川に沿って進みましょう。まだ問題なく進めますから」


 北へ向かうとなるとサーヴの町にでも向かうのだろうか、それとももう少し西に出てエズーネにでもなどと俺は考えていたのだが、クーメルはサリハヤ川沿いをどんどん遡っていく。



 その間も伝令がアンクレードのいる陣地へ向けて次々に発ち、また逆に陣地から復命に戻って来る兵も出始めた。

 そんな中、行軍を続けた俺たちはサリハヤ川が山を抜けて、平地へと入る場所までたどり着いた。


「さすがにもうこれ以上は無理だろう?」


 ゆっくりと進んで来てはいるが、もう五日も川を遡ったのだ。

 この先に軍を進めるとなると山越えをするってことになる。


 ハルト一世にはそんな逸話があった気もするが、ここにはアンクレードもいないし、俺なんかが叱咤して兵に山を越させるなんて芸当ができるとは思えない。


「ええ。ここが目的地です」


 俺はおそらくここから道を西へと向かうものだと思っていたのだが、クーメルはわずかに笑みを見せてそんなことを言い出した。


「えっ。この町でもない場所がか?」


「ええ。そうです。この先に強力な援軍がおりますから」


 笑みを見せる彼に、だが俺は困惑を隠せなかった。





【魔法帝国地理誌 ジャンルーフ地方】(抜粋)


……東部を南北に流れるサリハヤ川は、この地方を潤し、豊かな実りをもたらす重要な河川である。

 ゆったりと流れる下流では、パラスフィル地方との境ともなっている。


 古来よりこの川の支配権をめぐり多くの争いが起こってきた。


 だが、その中でも特に有名なのは、九八八年に起きたとされるハルト一世と当時ハルファタを支配していた勢力との間で行われた『サリハヤ川の戦い』であろう。


 この戦いの結果、ハルト一世のジャンルーフ地方における実質的な支配権が確立され、後の帝国再建への礎となったと言われている。


 その頃と変わらぬ豊かな水量を誇るサリハヤ川の水面には、当時の面影がまだ残っている。


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