第七十九話 スフィールトでの開戦
「寄せて来ましたな」
城壁の上から覗く俺たちの先に、王国軍の将兵がまさに列をなしてスフィールトへと向かってくる。
まだかなりの距離はあるが、それでもかなりの圧迫感がある。
「先手必勝。やつらの上から流星でも……」
「そんなことしたら大変なことになるぞ!」
アンクレードは軽口を叩いたわけではないのだろうが、俺にはいかにも不謹慎に感じられたのだ。
ここまで来ても俺は人間相手に直接、攻撃魔法を使うことを躊躇っていた。
「あの傭兵隊長がラマティアに攻めて来た時みたいに、輜重部隊を狙えないかな?」
俺は小さな声で呟いたつもりだったのだが、皆が俺に注目していたからか、その声はクーメルの耳に入ったようだった。
「さすがにハルト様がラマティアで取られた戦術を警戒しているようです。輜重部隊は分散して、各部隊に配置していますね。効率は良くないのでしょうが、一気に焼き払われれば退却を余儀なくされますから」
あのイヴァールト・アンドラシーを打ち破った戦いは、思った以上に知られているようで、俺の代名詞みたいになっていたから、王国軍がその対策を取ってくるのは当たり前ではあった。
「そうなるとやっぱり敵兵を眠らせて……」
エルフたちと約束してしまったから炎の魔法も使えない。
逆に王国軍が火矢でも放ってきた日には、氷の魔法か何かで消火に努める必要があるだろう。
「敵は万はいると思いますぞ。全員を眠らせられるのですかな?」
さすがに一万人を超える人数を眠らせるほどの魔力は俺にもない気がする。
「ハルト様。少しよろしいですかな」
アンクレードが真剣な顔で俺を呼んだ。
「本当は戦いを前にこんなことをしている場合ではないのですが……」
そう前置きしたアンクレードには俺の煮え切らない態度の理由が分かっていたようだった。
「これまでのハルト様のご様子から想像はつきますが、ハルト様は敵兵といえど死傷者が出ることを極端に恐れておられる。ですが、今回はそんなことを言っていられる状況ではないのです」
「あ、ああ。分かっているさ」
アンクレードの問い掛けに答えた俺の声は、自分からも震えているように聞こえたから、彼にはすぐに分かってしまったのだろう。
「いいえ。分かっておられません。よろしいですか。ここは戦場になるのです。戦場で敵兵の被害を気にしている者などハルト様以外、誰もおりませんぞ。敵兵にできるだけ被害を与えねば勝利など得られぬのです」
「そんなことは分かっている」
俺が答えると、アンクレードはため息をついた。
「これまでのハルト様の戦いを見ていれば誰でも気がつきます。ですがハルト様がそう願われたとて、敵の中には逃げ遅れて炎に巻かれた者や、運悪く流星から飛び散った破片をその身に受けた者もいたでしょう。戦場では誰であっても手を汚さずにはいられないのです」
彼の言うことは頭では理解できる。
だが、平和な日本で、そして魔法文明の発展した千年後の世界で暮らしてきた俺には、この世界の人にはない葛藤があった。
こんなことならハルト一世を探す旅になど出なければ良かったのだ。
(ハルト一世か……)
俺は彼の逸話を思い出していた。
(たしか彼は戦場で斃れた兵士は敵味方の別なく丁重に葬るように命じて、亡くなった敵の兵士のためにも涙したと言われていたんだよな……)
俺はその話を聞いた時、単なるパフォーマンス、つまらない偽善的な行為だと思った。
でも実際に自分がそうした立場になってみると、そのくらいしかできないから、せめてそれだけでもしたいって気になったんじゃないかと思えてきた。
「ハルト様。ジンマーカスは王族を皆殺しにし、さらに兵を送ってこの町を攻め滅ぼそうとしています。自分が王位に就き、それを守るためなら手段を選ばない男です。そんな男をこの国の王と仰ぐわけにはいかないではありませんか?」
「ああ。分かった」
俺の態度にまだ不安を感じたのか、アンクレードはさらに続けた。
「彼の送った兵にはたしかに罪はないかもしれません。ですが、戦わねばスタフィーノ公爵だけでなく、我々も王都へ連行されて生命を奪われ、この町は略奪されて地図から消滅するかもしれません。それだけは避けねばならないのです」
彼は必死の形相を見せていた。
それだけ俺のこれまでの覚悟が甘いことを、彼はお見通しだったのだろう。
「俺は町を、皆を守る。少しでも早くこの戦いを終わらせるために敵と戦うぞ!」
俺が誓うようにそう口にすると、アンクレードの表情が緩んだ。
「そうです。この町が陥ちたら、イレーネ様もどうなるか分かりませんからな」
いつもの彼が戻ってきたような、少しふざけた感じの言葉に、だが俺は驚きを隠せなかった。
「イレーネ様って! 彼女はカレークの町に避難していないのか?」
最前線となることが分かり切っているスフィールトの町に、どうして彼女が残っているのだろうか。
「避難されておりません。私たちも度々説得をしましたが、イレーネ様はハルト様と運命を共にされたいとそうおっしゃっています。ハルト様が亡くなられるようなことがあれば、ご自分も生きてはおられないと」
アンクレードは一転して真面目な表情でイレーネ様の覚悟を俺に伝えてくれた。
「そうか……」
俺の身勝手な思惑のために彼女だけでなく、クーメルにアンクレードにシュルトナーに、それにダニエラまでが俺の側にいて、俺を助けてくれている。
たしかに初めはハルト一世に出会うために彼らの元を訪れたり、彼らを誘ったりしていた。
だが、もう彼らとの付き合いもかなり長いものになってきている。
ハルト一世に仕えるためだけでなく、俺自身が彼らと離れることは耐えがたいと思うようになっているのだ。
「全力で行くぞ。こちらの損害はゼロ。そして敵の死傷者もできるだけ少なくだ」
それでも俺はやっぱり現代の日本人なのだ。
ネットやテレビでは紛争や内戦の悲惨な映像を見たこともある。
でもそれは正直言って、遠い世界の出来事だった。
それにわざわざ自分から悲惨な状況を作り出す必要もない。
「ハルト様。そのお気持ちです」
俺が敵兵の損害を気にするあまり、味方の損害がかさんだりしたら、傷ついた兵やその仲間はどう思うだろうか。
まして俺の弱い心のせいで生命を失うことになったりしたら、もう俺について来てくれる者はいなくなるのかもしれなかった。
「遅かったですな」
城壁の上、敵兵の行軍が見渡せる場所へ戻った俺とアンクレードにシュルトナーが声を掛けてきた。
「ああ。戦の前に少し願掛けをな。俺はこう見えて信心深いんでね」
アンクレードはもういつもの軽口を叩く彼に戻っていた。
「ハルト様。大丈夫ですか?」
クーメルはアンクレードがしたことに何となく気がついていたようだ。
「ああ。大丈夫だ。そろそろ限界だな」
敵兵の先鋒はかなり近づいて来ている。これより近づかれて町の周囲への展開を許して包囲され、各方面から突入を目指されると厄介だ。
敵が街道から町周辺の平地に出る前に叩くべきだろう。
「まだ、かなり距離がありますが行けますか?」
「ああ。このくらい何てことはない。それよりどこを狙ったら効果的なのか教えてくれ」
多少威力や精度が落ちるかもしれないが、ここは俺の魔法の優位を生かした先制攻撃を仕掛けるべきだろう。
俺には戦術眼なんて皆無なのだから、叩くべき兵や部隊を教えてもらわないと魔力を無駄にしてしまうばかりになりそうだ。
「まずは先頭の部隊を撃って足を止めましょう」
「分かった」
アンクレードが指し示してくれた部隊に向かって魔法を放つべく、俺は呪文を唱える。
「マケーヴィ フォーヨ ファヤーヴィ ヴォ ネオゼーフェ トゥーリ……」
エルフたちとの約束で、炎を雷の魔法は使えないから、俺は氷の魔法を使うことにした。
これなら森の木を傷つけることがあっても、火災が発生することはないはずだ。
俺の足下に白銀に輝く魔法陣が現れ、光を増す。そして……
「アイシクル・エクスプロージョン!!」
俺が力ある言葉を発すると、魔法陣から巨大な氷塊が飛び出して、そのまま敵の先鋒部隊に向かい、その直前で大爆発を起こして四散した。
「ハルト様! お見事です!」
アンクレードが言うとおり、どうやら攻撃は成功したらしかった。
敵の先鋒部隊は氷の塊の直撃を喰らって吹き飛ばされたり、飛び散った氷の礫でけがをした兵が続出したのだろう、大混乱に陥っていた。
先頭が攻撃を受けたのを見て、次に続く兵たちも危険を感じたのだろう盾に身を隠したりして行軍が止まる。
「次はどこだ?」
俺が振り返ってアンクレードに聞くと、彼は難しい指示を出してきた。
「後方へ攻撃があったと伝令が走っているようです。防御の体勢を取られる前に敵将を討ちましょう」
確かに騎兵が一騎、前線から後方へと駆け出しているのが見える。
「いや。まずはあれだな。アイシクル・エクスプロージョン!」
俺はもう一度、氷の爆発を起こして伝令に走り出していた騎兵を打ち倒した。
「どいつが敵将なんだ?」
「あれです。あの馬に乗り、鎧を着込んだ奴です!」
アンクレードが指差した先に、たしかにそれらしき騎士のような姿の者が見える。
フルプレートアーマーではないのかもしれないが、防御力はかなり高そうだ。
「ニャガーフィ ボーヴァ バーオ ネノーヴォ トゥーリ キネーセ……」
俺は慎重に呪文を唱え、敵将と思わしき騎馬兵の前に淡い銀色の光を放つ魔法陣を出現させる。
そいつは何事が起きたのかと慌てているようだが、もう遅かった。
「アイシクル・ランス!」
新たな伝令も走り出していたが、それが将軍へと到着する前に俺の魔法が具現化し、その鎧を巨大な氷の槍が貫いた。
【ハルト一世本紀 第四章の二十四】
スタフィーノの親族は大帝の御座すシルトへ自ら姿を現すことはなく、武官を送って弁明させ誤魔化そうとした。
「陛下の慈悲に狎れ非礼を繰り返すにも限度があります。厳しく仕置きするべきでしょう」
大将軍の進言を容れ、大帝はそれらの武官にシルトの門を開かなかった。
仕方なく引き上げようとする武官たちを巨大な雹が襲い、彼らはシルト近郊にその骸を晒した。
「主君が愚かだったのであって、この者たちの罪ではない」
大帝は彼らが命を失ったことを嘆かれて、丁重に葬った。
その様子に臣下の者たちは大帝の真心を知り、配下の兵たちも次のように噂しあった。
「敵であった者にさえ、亡くなれば慈悲を垂れる。まして陛下のために戦った者に慈悲をお掛けにならないことがあろうか」
大帝の創業のために兵たちが身命を賭して働くようになるのも当然のことであった。




