第七十八話 王国の敵
「人間同士の争いで、一方に手を貸すわけにはいきません」
フィアレナールはそう言って、一旦は俺の要請を拒んだ。
「ですが人間同士の争いで森を焼かれては迷惑です。あなたが炎や雷の魔法を使って森に火を放たないと、そして相手の人間たちにも森に手を出させないよう努めるとおっしゃるのなら、彼らの侵入を防ぐために結界を張りましょう」
彼の発言を心配そうに見ていたエーレラフィルがほっとしたような顔を見せ、すぐにフィアレナールに続けてくれた。
「すぐに巫女たちを集めます。その人間たちはすぐにも森にやって来そうなのでしょう?」
実際に結界を張ってくれるのは彼女を中心とするエルフの巫女たちなのだ。
俺は彼女がそう言ってくれたことに安堵していた。
「ありがとうございます。あなたたちの森に被害が及ばないよう気をつけます」
お礼を言いながら、俺はその可能性があったことに気がついた。
パラスフィル公国の首都アイヴィクで、俺たちが泊まっていた宿は焼き討ちに遭っている。
魔法を使う相手を魔法を使えない者が始末しようと思ったら、炎に巻き込むとか重い物の下敷きにするとかそういった罠に掛けることを考えるだろう。
「私たちも見回りをして、万が一、火を点けられたら消火に努めますが、エルフは数が少ないのです。できるだけ被害のないようにお願いします」
「承知いたしました。そして結界を張っていただくのは明後日の日暮れでお願いします」
クーメルが突然、口を挟んできて、彼が言ったような承諾の返事をしようとしていた俺は口ごもることになってしまった。
「明後日の日暮れですね。それまでに周知をお願いします」
フィアレナールの返事に、俺はやっと事情が飲み込めた。
まだ戦いが始まってはいないから、街道を行く人はそれなりにいる。
ハルファタからこちらへ向かって来る旅人は、すぐに激減するかもしれないが、東のカレークや北のサーヴの町からやって来る人たちには、この先の街道が危険になるかもしれないことは、まだ伝わっていない。
だから街道を使う人たちに、この先が戦場になる可能性があることと、再びエルフの結界が張られて、通れなくなることを知らせておかなければならないのだ。
「それともう一つ。カレークの町へ通じる街道だけは閉じないでいただきたい。無理なお願いとは思いますが……」
クーメルはさらにそうエーレラフィルに依頼していた。
「分かりました。スフィールトの町の北側と南側の二つに分けて森に結界を築きましょう。以前とは少し違いますが、できないことはないと思います」
エーレラフィルの返答にフィアレナールも頷いていた。
「ありがとう。勝手なお願いばかりで済まないな」
俺はそう感謝の言葉を述べると、フィアレナールは真剣の表情で応えた。
「ベヒモスから私たちを解放してくださったあなたの頼みです。できる限りのことはいたしますが、あまり人間の争いに介入するわけにはいかないのです。結界を張るくらいなら、私たちの森に被害を及ばせないためという言い訳も立ちますが、それ以上は……」
「ハルト様。どうかご無事で……」
エーレラフィルから掛けられた声に頷いて、俺は妖精の森を後にした。
「クーメル。カレークの町の側だけ森を閉じないでもらったのは、逃げ道を確保するためなのか?」
町への帰り道、俺はクーメルにエルフたちへの依頼の意図を尋ねていた。
今回の戦いは厳しいものになると彼は予想して、最悪、カレークの町からビュトリス王国へ逃げ込むことを考えたのかと思ったからだ。
隣国へ逃げ込めば、さすがに王国軍は越境まではしてこないだろう。
「ハルト様。それは甘い考えですぞ」
俺の予想をシュルトナーが否定した。
「ハルファタで起こったことは、すでにビュトリス側にも伝わっているでしょう。そして、王国軍の動きについても。あちらでもすでに越境に備えて軍を動員しているかもしれません」
俺たちを、特にスタフィーノ公爵を受け入れれば最悪、ジャンルーフと戦争になるし、カレークの町の領有と引き換えに俺たちの入国を拒否するなんてのもありそうだ。
「両国から挟み撃ちに遭うことは避けなければなりません。ビュトリスはジャンルーフ側の出方を見守っている段階でしょうから、こちらが隙を見せなければ、自ら戦いを求めてきたりはしないでしょう。そんな義理もありませんから」
クーメルはだが、戦いを避けるためにはダニエラをカレークに送り、彼をして町を守る姿勢を見せた方が良いと言った。
「カレークにもほとんど兵はいませんが、謹厳な彼がいればビュトリス軍に目を光らせ、いきなり町が奇襲を受けて陥落するようなことはないでしょう。ビュトリス側に怪しい動きがあれば、スフィールトへ伝令を走らせ、ハルト様が到着するまで持ちこたえれば良いのです」
「えっ。でもそうしたら、スフィールトはどうなるんだ?」
スフィールトにも兵士はほとんどいないのだ。
俺が大車輪で働くにしても、かなり危ない橋を渡ることになるだろう。
現実的にはカレークの町は放棄するしかないのかもしれない。
「本当はビュトリス軍がカレークの町に現れた時点で負けなのです。ですから、彼らにそういった考えを抱かせないようにしなければなりません。スフィールトに押し寄せた王国軍を撃退し、自分たちもカレークへ兵を差し向けたらああなるのだと思わせるのです」
どうやらクーメルをもってしても、今回の戦いはかなり困難なものらしい。
ビュトリス王国との約束もあって兵士の数は極端に少ないし、その上、敵は王国軍なのだ。
成り上がり者の俺には頼るべき縁戚や派閥もない。
いや、あるのだが、田舎の勲爵士では王国軍からしたら片手間で潰せる相手だから頼れないだけだ。
「ハルト様。やらねばならないことは山ほどありますぞ」
スフィールトへ戻った俺に、シュルトナーが告げる。
「さっきクーメルが言っていた旅人への周知のことか?」
俺の答えに彼は満足しなかったようだ。
「それだけではありません。城壁の修繕に籠城に備えての水や食料の備蓄の追加、戦闘員以外の避難に……まあ、時間が足りませんから、あまりできませんが」
すでに老人や子どもにはできるだけカレークの町に移るように指示が出されていた。
こうなるとあの町を領地に加えたことは良かったことになる。
そうして戦いの準備を整える中、クーメルが指定した森に結界を張る期限の翌日、百合の花の紋章が描かれた旗を翻した騎兵に守られて勅使がスフィールトの町の門に現れた。
「領主のハルト・フォン・スフィールトはいるか? 今すぐ門を開けよ! 勅使である!」
騎兵の隊長が閉じられた門の外から、そう呼び掛けていると伝えられ、俺たちは町を守る城壁へと急いだ。
「俺が領主のハルト・フォン・スフィールトだ!」
城壁の上から呼び掛けながら、俺は彼らの後方を警戒していた。
ラマティアの町で同じように城壁の上にいた時に矢を射かけられ、けがをしたことを思い出したからだ。
アンクレードもその時のことを思い出しているのか、周囲に油断のない様子で目を配ってくれている。
「勅命を伝えるのに武装した兵士を何人も寄越すとは、物騒にもほどがある。勅使なら伴の者は一人か二人もいれば十分であろう」
シュルトナーが堂々とした態度で叱るように反論すると、騎兵たちは顔を見合わせたりして、多少動揺したようだった。
俺だけだったら慌てて城門を開けて兵士たちを迎え入れ、いきなり斬りつけられたりしていたかもしれない。
「勅使だけで町に入り、領主に勅命を伝えていただこう。それ以外の者は下がられよ!」
シュルトナーが重ねて告げると兵士たちは相談していたが、彼らの中にいた神官服をまとった男が、進み出て来た。
「私が勅使のリトコリアスです。ここで勅命を伝えましょう」
彼は見るからにおどおどしていて、かなり俺たちのことを怖れているようだった。
それでも大きく息を吸うと、思っていたより大きな声で俺たちに王の命令を告げた。
「勅命を伝える! ハルト・フォン・スフィールトに命ず。叛逆者スタフィーノを直ちに差し出せ。応じない場合には『王国の敵』として爵位を剥奪し、領地を没収する!」
俺の横でそれを聞いていたスタフィーノ公爵の顔が歪む。
想像していたとはいえ、強硬な命令だ。
「残念だがスタフィーノ公爵は叛逆など企ててはいない。彼は王都から逃げ出すだけで精一杯だったからな。王都で起こったとんでもない事件は大方、彼以外で生き残った王族がやったことだろう」
彼以外で生き残った王族なんて、ジンマーカスとその息子しかいないから、俺の返事は宣戦布告同然だろう。
でもこんな虐殺と言っていいことをしでかした男を王として仰ぐなんて、現代人の俺にはとても無理なのだ。
ハルト一世だって、あんな奴を許したりしないだろう。
「勅命に従わないとおっしゃるのなら、お伝えしたとおり『王国の敵』となりましょう。この後に起こることはすべてハルト・フォン・スフィールト、あなたが招いたことですぞ」
勅使のリトコリアスはそんな捨て台詞を残し、馬を返してハルファタ方面へと去って行った。
「城門の上から勅使と遣り取りするなど前代未聞です。あまりおかしな前例を作っていただきたくないですな」
シュルトナーはそんなことをこぼしていたが、その顔は笑っていたから、本気で怒っているわけではないのだろう。
【ハルト一世本紀 第四章の二十三】
大帝はシルト滞在を楽しまれた。
ハルファタにいたスタフィーノの親族は使者を送り、大帝の帰還を求めた。
「陛下がハルファタを治めることをお認めになった者の一族を害しておきながら、素知らぬ顔で使者を遣わすとは、開いた口が塞がらないとはこのことである」
国公は城壁の上から使者に対し、そう言って下がらせた。
「スタフィーノの親族は禁忌を犯し、陛下に敵対することを択びました」
大宰相が大帝に告げたことで、ハルファタにいる者たちの運命は決まったも同然であった。
「彼が自らシルトへ赴くのであれば、過ちを正す機会を与えよう」
慈悲深い大帝はなお、そうおっしゃっていたが、彼らがハルファタを出ることはなかった。




