第七十一話 宰相府の要求
「宰相閣下はああおっしゃいましたが、私たちはとてもこれでは済ませられないと考えております」
王都へ着いて三日後、宰相府を訪ねた俺に、ジンマーカス宰相からは、
「よくぞビュトリスにカレークまでの地の領有を認めさせてくれました。大変な功績です」
そう労いの言葉があった。
だが、彼が席を外した後、残された俺にはてっきり恩賞の話でもあるのかと思ったのだが、それは甘い考えだった。
「カレークにはビュトリスの王から任命された前領主の娘が居座って、町の統治に口を出しているらしいではないですか? これではかの国が領有を認めたなどとはとても言えないのではないですかな?」
宰相府の事務官たちは俺を非難するようにそう訊いてきた。
彼らの言うことはもっともだが、そもそも俺はビュトリスと戦っている暇はないのだ。
戦いを始めてしまったら、カレークの町だけで話が済む保証なんてないのだから。
「それに通行税を取らないと決められたそうではないですか? 王国に何の相談もなく」
「税の徴収は領主の権限のはずですが」
クーメルがそう答えてくれて、俺はとりあえず謝らずにすんだ。
俺だけだったらすぐに「すみません」なんて謝罪の言葉を口にしていたかもしれないから、彼がいてくれて本当に良かった。
いや、彼のことだからおそらくこうなることが分かっていて、王都まで一緒に来てくれたのだろう。
「確かにそれは領主の権限ですが……」
一人はそう言って押し黙ってしまいそうになったのだが、その隣にいた者が敢然と口を開いた。
「領主の権限で決められるのは、あくまで他の領主に影響を与えない場合だけです。スフィールトからカレークにかけての関所がすべて撤去され、通行税が掛けられなくなって、王都から東へ向かう街道にある町は甚大な被害を受けているのですから。その論は通用しませんぞ」
彼が言うのには、これまで王都から東へ向かい『妖魔の森』を大きく迂回した後、北へ折れて行くしかなかったビュトリス王国のエフラットや、その先にあるクルクレーラ王国のルーレブルグへ向かう人や物の流れが、ほとんどスフィールトからカレークを抜けて行く街道に移ってしまっているということだった。
「それに何の問題があるんだ?」
距離と時間が短縮されて交通が活発になれば、王国の経済にとっても良いことだと思ったのだが、彼らの論は違っていた。
「問題があるに決まっているではないですか。途中の町の宿からは宿泊客が消え、通行税は激減したのです。あなたのしていることは近隣の町を窮乏化させて、自分たちだけが利益を得る利己的な行動だ。宰相府としては見逃すことはできません」
どうやらこれまで通行税で潤っていた王都の東の町から苦情が寄せられているらしかった。
クーメルたちの統治の妙があるにせよ。短期間であれ程スフィールトは賑やかになったのだ。
そのしわ寄せを受けた町は確かにあったのだろう。
「王都もこれから十分に潤うのではありませんか? その資金をそれらの町の開発に充てられてはいかがでしょう」
「いや。王宮にはそのような余裕はありません。ですがもしあなたの領地で高率の通行税を徴収するなどしないかぎり、それらの町を開発する必要があるでしょう」
クーメルの返しに事務官の一人は彼に似た冷静さで答えた。
さらにもう一人が畳み掛けるように俺に対策を求めてきた。
「周辺の荒地を開くなどして生産力を高め、失った利益を多少なりとも補えるのであれば、宰相府もこれまでの措置を認めましょう。ですがハルト殿。それはあなたの責任で実行されるべきです」
とんでもない言い掛かりだと思うし、そんな資金がどこにあると言うのだろう。
俺は途方に暮れる思いだった。
「それはまた、大規模な開発になるでしょうね」
だが、クーメルは事務官から突き付けられた要求に対して、彼ら以上に冷静な態度を見せた。
俺はもう通行税を取りますって言った方が良いのではと思ったが、彼にはその気はなさそうだった。
「それをすべて私たちだけで実行しろと」
クーメルの声は怒りが込められているように聞こえる冷たいもので、これには事務官たちも多少怯んだように見えた。
「本来はそうあるべきですが、宰相閣下の特別の思し召しにより、金貨千枚を供出しましょう。先ほどもお伝えしたとおり王宮には余裕などありませんし、自領の開発はその地の領主が自分で為すべきことなのですが」
それなら俺たちに押し付けることをせず、王都の東の町の領主たちに自前で開発させればいいじゃないかと俺でさえ思ったから、理屈はどうあれ、俺にやらせようということらしい。
「それでしたら、できれば資金は先払いをお願いしたいですね。それを持って私たちは東方の町を巡りましょう」
クーメルがそう答えたので、俺は驚いた。
金貨千枚って、自分がビュトリス王国へ毎年支払わなければならないと聞いた時には、そんな大金をって思ったが、実際にそれでいくつかの領地を開発するとなると、とても足りないのではと思える金額だったからだ。
「承知しました。数日中には用意しますから、それを持って、東方へ向かってください」
クーメルが受けると言ったからだろう、事務官たちの間にほっとしたといった空気が流れた。
「クーメル。あんな依頼を受けて大丈夫なのか? 金貨千枚で足りるのか?」
宿へ引き上げた俺は、彼にそう尋ねた。
「いいえ。その程度では到底足りませんし、何時まで掛かるか見当もつきませんね」
クーメルはそんなことを言い出して、俺を慌てさせた。
「えっ。じゃあどうするんだ? スフィールトとカレークを治めていくのだってお金がいるし、ビュトリス王国へも毎年金貨を払わなければならないんだろう。それに俺はそんなことをしている時間はないぞ。自分の領地の開発だって手付かずなのに、他所の領地の面倒を見るなんて、それに俺は早くスフィールトへ戻りたいんだ」
俺が焦った様子を見せると、クーメルは静かに笑みを見せた。
「もちろん私もそう思っています。ジンマーカス宰相の嫌がらせに付き合う義理はありませんから」
どうやら彼の考えによれば、あの一連の要求は、宰相のジンマーカス公爵の考えによるものらしかった。
確かに宰相府の事務官たちが、宰相である彼の意向に逆らって、あのような要求をすると考えることは無理がある。
彼らは、宰相は大変な功績だと言っていたが、それでは済まされないようなことを言っていたが、実際にはジンマーカスの指示に従って動いているということなのだろう。
「でも、クーメルは要求を呑んでしまったじゃないか。どうする気なんだ?」
「ハルト様のお力を持ってすれば容易いことでしょう」
彼はいつものしたり顔を見せて、そんなことを言ってきて。
「どういうことだ?」
俺の力って、おそらく魔法のことだろう。
俺にはほかに力なんてないから、それ以外には考えられない。
「丘を崩し、川を堰き止め、地形を変えることもできるのではありませんか?」
クーメルは当然だと言ったように俺にそう聞いてきた。
「ちょっと待ってくれ。そんなこと……」
慌てる俺にアンクレードもクーメルと同じことを言ってくる。
「デモンストレーションも兼ねて、ハルト様の魔法の力を見せてやれば良いのです。宰相府はハルト様に対して要求ばかり。少し思い知らせてやるのもよいのではないですかな?」
どうやら彼もクーメルと同じ考えらしかった。
でも、町の開発なんてどうすれば良いのだろう。
『メテオ・ストライク』の呪文を使えば、確かに丘を崩したり、川を堰き止めたりはできるかもしれない。
でもそれはかなり乱暴な手法だと思うのだ。
(そういえば、土木工事の魔法があったな……)
あったではなく、俺が以前いた千年後の世界では、そちらの方が魔法として主流だったのだ。
『メテオ・ストライク』の魔法なんて、千年後の世界では危なくて使えないし、その辺りで使ったら、すぐに官憲のお世話になってしまう。
「用は農地を作ったり、灌漑用の水路を作ったりすればいいんだよな?」
俺はこれまでずっと破壊の魔法ばかり使ってきたが、魔法の用途はもちろんそれだけではない。
でも、やっぱりその手の魔法に興味があって、呪文もその系統のは覚えてるってところもあるのだ。
「やはり魔法で可能なのですね?」
クーメルはそれで宰相の思惑を外すつもりだったらしい。
「ああ。デモンストレーションになるかは微妙だけど、そういう魔法もあるからな」
俺は魔法の実技はからっきしだったが、魔法理論は「秀」だったのだ。
もう十六年以上も前の記憶だから、思い出すのは大変そうだ。
それでも俺は何とか、土木工事に使える魔法の呪文を思い出すことができそうだった。
【魔法帝国地理誌 ジャンルーフ地方(抜粋)】
この地方最大の都市、ハルファタから東方には平原が広がり、大陸有数の穀倉地帯となっています。
伝説ではハルト大帝が山がちだったこの地を魔法で整え、実り豊かな平原に変えたと言われています。
現代の魔法を持ってしても困難を伴うそのような事業が千年前に行われたとは考えづらく、ハルト大帝がこの地方で長い年月を掛けて行った治水や灌漑事業が、そのように伝えられたと理解すれば良いでしょう。
今でもこの地方で作られた作物はハルファタはもとより、エフラットやルーレブルグ、さらには遠く大陸東方まで運ばれています。




