第六十九話 ステイラの願い
「そろそろ出発だな」
「はい。カレークの領主は既に町を出て、新しい領地に向かったようですからな」
俺の問い掛けにシュルトナーが答えて、俺たちはカレークの町を自領に加えるべく、街道を東へ向かうことにした。
俺とシュルトナーは馬車に乗り、アンクレードが馭者を務めてくれていた。
「私もご一緒したいのですが、魔法の先生役をお引き受けしますね」
イレーネ様がそう言ってくれて、俺は安心してスフィールトを離れることができた。
万が一に備えて町の警備はダニエラにお願いした。
クーメルは今回も動く気はなさそうだった。
「カレークでは戦闘にはなり得ませんから。私は留守をお預かりします」
彼が言うのならそうなのだろう。
まあ、ビュトリス王国とは話がついているのだから、俺が行って町を領地に編入するだけだ。
そう思って町まで五十人ほどの兵士とともに馬車を進めた俺たちの目にカレークの町が入ってくる。
改めて見ると、スフィールトより余程大きな町だ。
「この町の方がスフィールトより過ごしやすいのかな?」
俺はシュルトナーに訪ねるが、彼は微妙な表情だった。
「確かに今はこの町の方が人も多く、何かと便利そうではありますが、発展性には乏しいのではないですかな」
そう言われて見ると、町の側まで山並みが迫っていて、これ以上町を広げることは難しそうにも見える。
クーメルがあの町から動かないことを見ると、どうも彼は当面はスフィールトを根拠地にしようという腹づもりらしい。
「ハルト様。町の代表者がいるようですが」
アンクレードから声が掛かったかと思うと馬車が停まり、その馬車の前に三人の男性が頭を下げて恭しい態度を見せていた。
「ここに新たなご領主、ハルト・フォン・スフィールト様にカレークの町は恭順の意を表します。どうか我らのご領主としてお立ちください」
そう言って彼らの向かって右側にいた男が金色の鍵を捧げて、俺の前に歩みを進めて来た。
「カレークの町には領主がいないのだな?」
俺は茶番だなと思いながらも、シュルトナーに教えられていたとおりの台詞を口にする。
前の領主が治めることを放棄した町を、俺が拾って統治するという段取りになっているらしかった。
「そのとおりです。領主のビラレルトは町を離れ、二度と戻って参りません。私どもは新たな領主を必要としており、それはハルト・フォン・スフィールト様を置いてほかにはありません」
今度は向かって左側の男が、本のように綴じられた紙の束を頭上高く掲げ、俺の前に出て来る。
「町の門の鍵を渡し、町に住む者や倉にある物を余さず譲ると言うのであれば、私はこの町を治めるであろう」
中央の最も年嵩に見える男性がもう一度深々と礼をすると、再び口を開いた。
「こちらが門の鍵、そしてこちらが人と財の総覧でございます。よろしくお受け取りください」
その言葉とともに、もう一歩進んで来た左右の二人から、アンクレードとシュルトナーがそれぞれ鍵と書類を受け取って、俺の左右に立つ。
「ありがとうございます。以後、よろしくお願いいたします」
再度、三人が礼をして、俺がカレークの町を治めるための儀式は終わったようだった。
「このまま領主屋敷へご案内いたしたいのですが、一つ困ったことがありまして」
俺が馬車に戻ろうとすると、住民代表が突然、そんなことを言い出した。
「町で何か問題でも起きているのか? 俺ができることなら何でもするぞ?」
これまで代々この町を治めていた領主がいきなり変わったのだ。
町で予期せぬ事態でも起きて、住民たちが困っているのなら見過ごせない。
「いえ。問題と言えば問題なのですが……」
住民代表は歯切れが悪かった。
俺がもう一度促すと、彼は困ったという表情を見せて、
「実は前の領主のビラレルト卿は、既にこの町から退去しているのですが、彼の娘が町に、いえ、領主屋敷に居座っているのです。王宮からも立ち去るように命令が出ているはずなのですが、それも無視しておりまして。どうしたものかと……」
彼らにしてみれば、これまでの領主の娘でもあるし、今回は戦闘で前の領主が敗れたわけでもなく、今一つ切迫感がなかったらしい。
「戦いに敗れて町を放棄する時には、残っていては酷い目に遭いますから。今回はそれもなかったですから、残っていても許されると勘違いしているのでしょう」
俺の許可があれば、すぐに領主屋敷から引き出して、町から追放すると彼は申し訳なさそうに言っていた。
「ちょっと待ってくれ。前の領主の娘って……」
「ステイラという名の娘です。まさかご存知なのですか?」
名前を聞いて、やっぱりそうかと俺はこの町での出来事を思い出していた。
ステイラ嬢は俺たちがこの町で衛兵に捕まった時、彼らの隊長を説いて俺たちの拘禁を解いてくれた人物だった。
「どうして彼女が残っているんだ? 領主の一族は皆、新しい領地へ移ったんじゃないのか?」
俺は別に怒ったわけではなかったのだが、町の代表者たち三人は首を竦めるようにした。
「ビラレルト卿も再三、説得をされていたようなのですが」
本当に恐縮したって態度で返してきたから、嘘を言っているわけではなさそうだった。
「とにかく事情を聴くしかないのではありませんか? 王命に従っていないことは確かなのですから、罰することもできましょう」
シュルトナーも容赦ないなって思ったが、彼の言うとおり話を聴くしかないだろう。
「とにかく屋敷まで行こう。きっと向こうも俺に話があるんだろう」
彼女はエーレラフィルの助言があったとはいえ、俺たちのために動いてくれた人物だ。
俺も町に着いたばかりで、これからこの町を治めていくのにいきなり乱暴なまねはしたくない。
俺は馬車に戻ると、代表者たちの馬車に先導されてカレークの町の門をくぐった。
「やっと少し落ち着いたな。じゃあステイラさんに来てもらおうか」
町に入った当初、俺は領主屋敷で町の有力者や町に残った役人たちなど、多くの人から挨拶を受けた。
そして昼食会や晩餐会など、分刻みのスケジュールに振り回されていた。
「お疲れとは思いますが、そちらも急ぐ必要がありますからな」
シュルトナーの方が大変で疲れているのではと思う。
彼は精力的に動いて、次々に屋敷を訪れる客や官吏を捌いてくれていた。
「ああ。そうだな。彼女の真意を確かめないとな」
シュルトナーに言わせると、町は平穏な状態らしい。
「あまり時間を与えませんでしたから、おかしなことをする暇もなかったのでしょう。ハルト様が後日、苦情とともにラエレース方面へ攻め寄せてくるのではと恐れたかもしれませんしな」
だから、彼女が領主屋敷に残っていることだけが、異常なのだと彼は言った。
確かに俺に難癖をつけるための手段を与えるようなものだという気がしないでもない。
「ステイラ様がいらっしゃいました」
侍女の声とともに執務室のドアが開き、いつか見たステイラ嬢が入って来た。
「お久しぶりです。ハルト・フォン・スフィールト様。お変わりなく……はありませんね」
彼女は丁寧に挨拶をくれたが、さすがに緊張しているようだった。
「ああ。あの時はお世話になったね。久しぶりだね」
俺は苦笑せざるを得ない。
確かにあの時とはまったく立場が変わっていた。
「まさか、まだこの町に残っているとは思わなかったよ。俺に危害を加えられるとか思わなかったのか?」
平和裡に行われたとはいえ、俺たちが占領軍であることに変わりはない。
身の危険を感じて逃げ出す方が普通な気がする。
「いいえ。ハルト様ご本人がいらっしゃると聞いて、私はここに残ることにしたのです」
どうしてそういう結論になるのか分からないが、彼女は俺が酷いことはしないと思っていたようだ。
「どういうことだ?」
俺たちを救ったことで恩を売ったつもりなのかもしれないが、そもそもこの町の対応が異常だったのだ。
アンクレードが不用意だったって点はあるにせよだ。
「ハルト様はクルクレーラでもキルダでもパラスフィルでも領地を与えられてもおかしくはありませんでしたのに、いずれの地でも爵位だけを受けられています。それが急に領土の拡張に動かれるなんて。何か理由がおありに決まっています。大方、ハルファタの王宮辺りのご都合でしょう」
そんなことよく知っているなって思うが、彼女は俺の行動をある程度把握していたらしい。
かなり早くから危険人物だって思っていたのかもしれなかった。
「そうだとしても、俺はこの町を正式に譲り受けたんだ。元の領主とその縁者は新しく与えられた町へ速やかに移るようにティエモザ王からの命令があったはずだけどな」
俺がそう告げると、彼女は一度下を向き、すぐに顔を上げると俺を真っ直ぐに見た。
「それを承知でハルト様にお願いいたします。私をこの町に置いてください」
最初は静かに、しかし気持ちが昂ってきたのか段々と大きな声で、彼女は俺にその理由を語った。
「私は生まれてこのかた、ずっとこの町で過ごして参りました。王国では辺境の町だなんて言う方もいらっしゃいますけれど、私はこの町が好きなのです」
俺は彼女の話を黙って聞いていた。
彼女の顔は赤く、紅潮しているように感じられた。
「たくさんの思い出がありますし、特に母の……六年前に亡くなった母との思い出がここにはあるのです。この町には母のお墓もありますし」
そう言って彼女は強い目で俺を見て続けて言った。
「ですからハルト様。後生ですから私をこの町にとどまらせて下さい。お願いです」
【ハルト一世本紀 第四章の十一】
大帝がカレークへ至ると、その地の民は地を掃き清め、歓呼して彼を迎えた。
愚かなビラレルトは大帝の報復を恐れ、町を捨てて逃げ去ったが娘のステイラは大帝の慈悲の心を知っていた。
「陛下が再びこの町に玉体をお運びになられたこと、この上なき誉れです」
彼女はそう言って大帝を迎えたので、随行していた大将軍もその大胆さに舌を巻いた。
「すでに陛下を知ること我ら以上である彼女は、この地を安んずるに足るでしょう」
国公もそう言って彼女の才を認めたので、大帝は彼女に町にとどまるようにお命じになった。




