第六十五話 王宮の依頼
「ハルト・フォン・スフィールト。ここまで遠路大儀であった」
久しぶりに見たジャンルーフ王のシグスデアル七世は、急に歳をとったように思われた。
声も聞き取りにくく、俺は思わず問い返しそうになったくらいだ。
「後は宰相から余の命を伝えさせよう」
彼はそう言って早々に下がってしまい。俺たちは別室でこの国の宰相であるジンマーカス公爵から話を聞くことになった。
「あなたの領地に接する森のことです」
少しかん高く聞こえる神経質そうな声で、公爵は俺に話し出した。
「あの森が突然開かれ、ビュトリス王国へと道が繋がったようですが、そうなると困ったことが色々とあるのです」
まさか森を閉ざせって言うんじゃないだろうなと俺は身構えたが、さすがにそれはないようだった。
「あの森は両国の緩衝地帯でしたから、これまで領有権が曖昧でした。ですが、元々は我が国の領域です」
これまで数百年に渡って人間は入ることができなかったから、どちらの国の領土かなんて考える必要もなかったのだろう。
彼は元々はジャンルーフ王国のものだって言っているが、俺には分からない気がした。
「ですからあなたにはあの地の領主として、ビュトリスの不当な干渉を排除していただきたい。いえ。できればあの森の外の町までの領域を我が国に確保してほしいのです」
「そこは今はビュトリス王国の領土ではありませんか?」
随分と乱暴な話だなと思って、俺は確認したのだが、彼はまったく動じた様子を見せなかった。
「今はそうかもしれません。ですが元は我が国の領域だったのです。それを森が閉ざされたことによって失った。森が元に戻った今、領土も元に戻されるべきなのです」
確かにスフィールトから抜けられないとなると、その先の町をジャンルーフ王国が確保することは難しいだろう。
今はこちらの王都からもそれ程時間が掛からないが、以前はビュトリス王国の王都エフラットの方が時間的に近かったのだ。
「それは俺にビュトリス王国に戦争を仕掛けろってことですか?」
あちらの領土を奪おうっていうのだから、戦わずに済むとは思えない。
「そう言えば以前はそちらの領地でしたな」なんて返してくれるはずもないし。
「戦争になるかどうかはあなたの手腕しだいでしょう。いつの間にか他所の国でかなり有名になっておられるようではありませんか? 故郷である我が国にもっと貢献すべきだと思いますが」
どうやら俺がスフィールトを抜け出して、何をしていたか王宮はそれなりに把握しているようだ。
最初のうちこそびくびくしていたが、最後は開き直って派手に動いていたから、それは知られもするだろう。
「そうおっしゃられても、下手をすればこちらに攻め込まれるおそれさえあると思いますが……」
俺は戦争なんてしている余裕はないのだ。
スフィールトの町だってようやく少し賑やかになってきたところだし、学校の運営だって始めている。
それに争いが起こっている町になんてハルト一世は立ち寄ってくれないんじゃないかとも思ったのだ。
「いいえ。我が主君は必ずや閣下がお命じくださったとおりにいたします」
俺が何とか断ろうとしていたのに、シュルトナーが突然、そんなことを言い出した。
「それは殊勝な心がけ。ですが命じられたのはあくまで国王陛下。私の独断ではありませんよ」
何となく機嫌の良さそうな宰相を前に、俺は言葉を失っていた。
「シュルトナー。どうしてあんなことを言ったんだ?」
王宮から宿に下がって俺の部屋に集まってもらい、俺がシュルトナーを咎めるように言っても、彼は顔色も変えなかった。
「ジンマーカスの奴。相変わらずですな。いえ。いよいよ牙を剥き出してきましたか。あれを重用しているようではシグスデアル王の治世もまもなく終わりですな」
それどころか、あの宰相の悪口を平気な顔で言っている。
俺は王宮の中で彼に同じことを聞きそうになったのだが、思いとどまって良かったようだ。
どうやら彼はあの宰相閣下がお気に召さないらしい。
「そんなに嫌っている男の命令をどうして受けたんだ。シュルトナーらしくないじゃないか?」
彼は真っ直ぐな人間だから道理に合わない命令になんて従わないと思ったのだが。
「クーメルがそうせよと言ったのです。ハルト様が軍事行動を求められたら受けるようにと。彼の神算には脱帽ですな」
「えっ。クーメルなんていないじゃないか」
俺は驚いてシュルトナーに尋ねた。
クーメルはスフィールトで俺たちの留守の間、町を切り盛りしてくれているはずだ。
王都になんて来ていないのだ。
「ですから神算だと申し上げているのです。彼はこのことがあると予測して、私にそれを受けるように伝えたのです」
何だか自慢げな彼を見て、クーメルも俺に言ってくれればいいのにと思ったが、こういうのに慣れていない俺よりもシュルトナーに伝えた方が確実だと彼は考えたのだろう。
それもおそらく正しいんだろうなと自分で思ってしまうのも情けない気がしたが。
「彼は王宮と何より宰相のジンマーカスが誤りを犯すだろうと言ったのです。彼らは相変わらずハルト様のお力を見誤っていると」
俺はビュトリス王国と一戦交える度胸なんてないから、それはクーメルの方が俺を見誤っているという気がするが、シュルトナーは彼を賞賛して止まなかった。
「早速、ビュトリス王国へ使者を送りましょう。いえ。私が使者を務めます」
「いや。ちょっと待ってくれ」
興奮気味に見えるシュルトナーを俺は止めた。
彼はハルト一世の七功臣の一人。そんな彼を戦を仕掛ける先へ送って万が一にも喪うわけにはいかないのだ。
「あまりに危険すぎる。もし向こうで拘禁されたらどうするんだ」
その危険性はかなりあると思うのだ。
この時代、外交儀礼がどの程度尊重されるものなのかよく知らないが、喧嘩を売りに来たような相手を丁重に迎えるものなのだろうか?
「その時こそ使者を帰さない罪を鳴らして攻め込めばよいではありませんか?」
「いや。そんなことできるはずがないだろう」
シュルトナーがビュトリス王国に止められているのに、そこに攻め込んだりしたら、彼の生命はないだろう。
彼がハルト一世に仕える前に亡くなってしまったら、この世界の運命は大きく変わってしまうかもしれない。
「ハルト様はお優しいですな。もちろん私はむざむざ生け贄となる気などありません。きっと無事に戻りますから是非、私を遣わしていただきたいのです」
彼は自信満々といった様子で俺にそう告げた。
その様子に俺は気がついたことがあった。
「もしかしてそれもクーメルの考えなのか?」
俺が尋ねるとシュルトナーはクーメルのような澄ました顔をして答えた。
「さようです。彼の言っていたとおりに物事が進みましたから、この先もおそらくそうなるでしょう。私は何の憂いもなく使者の役割を果たすことができるというものです」
俺が王宮で軍事行動を求められることや、その内容、そしてその対応策まで準備しているなんて、本当にシュルトナーの言ったとおり、神懸かり的だと思う。
だが、彼はハルト一世の下で神算鬼謀、古来並ぶ者なしと言われた人なのだ。
「それなら俺も一緒に行くよ。皆で行けば多少は安心だろう」
いざとなれば俺の魔法で逃げられるしと思った俺の意見に、シュルトナーは賛成しなかった。
「おそらくハルト様にはハルト様のお役目があるでしょう。彼の策は繊細な芸術のようなものだと思います。彼の考えをそのまま実行しないと、そこから崩れてしまうのではないでしょうか? 私なら大丈夫です。まだ死にたくはありませんからな」
彼はそう言って笑顔さえ見せた。
「いずれにせよ、まずはスフィールトへ帰ってからですな。兄上に手を出したりしてハルト様を利用しようとしたことを後悔させてやりましょう」
シュルトナーがそう言って自信を見せると、俺も何となく安心できる気がしてくる。
彼もそしてクーメルも、ハルト一世の魔法帝国再建に多大な貢献をした名臣なのだ。
「ああ。クーメルが考えてくれているのなら、まずはそれを聞かないと始まらないな。今回も危険はないって彼が言っていたとおりだったし、さっさとスフィールトへ戻るか」
今はその七功臣のうちの四人が俺を助けてくれている。
そして、皇妃のイレーネ様さえ俺の側にいるのだ。
こんなところで彼らが滅ぶはずもないし、そう遠くない未来、彼らを迎えにハルト一世が俺たちの許を訪れる。
俺はそう考えて心を落ち着け、アンクレードが操る馬車に乗り込んで、領地のスフィールトへと向かったのだった。
【ハルト一世本紀 第四章の五】
ハルファタを訪れた大帝に、王はその宰相を通じて、再びすべての地を献じようとした。
大帝はこの度は暫く考えられていたが、やはりお受けになられなかった。
そこで国公は、大宰相から聞いた彼の考えを披露した。
「最も治め難く、誰の手にも負えぬ町であったシルトは早晩、人で溢れましょう。あの町はそもそも狭く、陛下の徳を慕って来る者すべてが住まうことはできません。陛下にはよろしく、あの町の周辺に土地を求め、人々の期待に応えるべきでしょう」
大帝は彼の言の正しさをお認めになった。
「ハルファタはこの者に任せ、シルトから東へ向かおう。そうすれば当面は訪れる者を拒む必要はないであろう」
自身の献言が容れられたことに国公は感激し、自らシルトの東方にあるカレークの町への使者となった。




