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第六十四話 次兄テーバン

「ハルト。久しぶりだな」


 テーバン・ヴェスティンバル。この世界の俺の二つ上の兄だ。

 ヴェスティンバル勲爵士家には上にもう一人テスマスと言う長兄がいて、彼が爵位を継ぐことになっている。


「お久しぶりです。父さんと母さんは元気ですか?」


 俺はこの世界の両親のことも大切に思っている。

 何しろ十五年、育ててもらったのだ。

 俺が何者か知らずに、いや、たとえ知っても両親は何も変わらなかったかもしれないが。


「ああ。元気にしてるぞ。お前も元気そうだな」


「ええ。兄さんも。それでどうして王都に?」


 俺の家族はほとんど故郷のヴェスティンバルを出ることはなかった。

 基本、自給自足の生活だし。たまに必要な物も近くのハプザの町まで行けば事は済んだ。


 王都へ来る必要なんてことはこれまではなかったのだ。


「ああ。王宮のお役目をいただいたんだ。これもハルトのおかげだな」


 俺はますます訝しく思った。

 どんな役目か知らないが兄のテーバンにそれが務まるとは思えなかったからだ。


 何しろヴェスティンバルは田舎町。

 いや、町と言うもはばかられるような僻地なのだ。

 教育を受ける機会などないし、彼は碌に文字も読めないはずだった。


「いや。そんなことはないんじゃないかな?」


 俺は曖昧に誤魔化そうとしたが、彼の方が自分のことを分かっているようだった。


「何を言っているんだ。それしかないだろう。俺、いや私などに王宮が興味を持たれるはずがないからな。これでも苦労してるんだ」


 イレーネ様のように家庭教師でも付けられる身分なら別だが、少なくとも俺の家はそうではなかった。

 兄が王宮のお役目に苦労しているのは間違いなさそうだった。


「それでもテスマス兄さんに何かあった時の代わりとしてあの田舎に閉じ込められるよりはずっとマシだ。ハルト。恩に着るぞ」


 テーバン兄さんはそう言ってくれた。

 俺は三男という気楽な立場を良いことにさっさと故郷を飛び出したのだが、それに多少の後ろめたさを感じていた。

 だから彼からお礼を言われて少し胸のつかえがおりた気がした。


「それで、どんなお役目なのですか?」


「ああ。王宮が必要とする様々な物を調達する係だ。まだ見習いだけれどな」


 まずは読み書きからだろうと思うと気が遠くなるが、兄は前向きだった。


「まあぼちぼちやっているさ。ハルトみたいに子どもの頃から本でも読んでいれば良かったのだがな。まさかこんなことになるとは思ってもみなかったからな」


 まさか末の弟が未来からの転生者だなんて思いもしないだろう。

 そしてそれが自分にどう作用するかなんて想像する者もいないに違いない。


「田舎にいてもハルトの噂は伝わってきたぞ。最初はまさかと思ったが、王宮からお呼びが掛かって本当だと分かったんだ。随分と凄い魔法使いになったみたいだな。まだ信じられない気もするんだが」


 俺は故郷では魔法を使う姿を人に見られないようにしていたから、そう思うのも無理はない。

 もともと魔法に関しては劣等感もあったし、かなりの期間、恐怖感も持っていた。


 何しろ前世の俺は魔法のせいで生命を失ったのだ。


「ハルト様」


 俺がそんな感慨に耽っていると、イレーネ様が呼び掛けてきた。


「ハルト様のお兄様なのですね。できましたら、その……ご紹介いただきたいのですが……」


 言われてみれば彼女が俺の家族に会うのは初めてだ。

 でも、紹介するとなると……、


「ハルト。こちらの方は?」


 俺がぐずぐず迷っているうちに、テーバン兄さんがイレーネ様のことを尋ねてきた。


「あの。俺の婚約者のイレーネ・フォン・ファーフレント……です。イレーネ、こちらは俺の二番目の兄のテーバン兄さんなんだ」


 さすがに将来の主君の妃になる方だと紹介するわけにもいかず、俺は現状に即した紹介をするしかなかった。

 彼女を呼び捨てにするなんて、普段はしていないものだから緊張してしまう。


「はじめまして。イレーネさん。こんな美しい方がハルトの婚約者だなんて。ハルトにはもったいないな。どうかハルトをよろしくお願いします」


 兄はそんな挨拶をしていたが、その顔はにこやかで、悪意などはなさそうだ。

 俺は当たり前だが、小さな頃から兄よりずっと大人びていたから、あまり話は合わなかった。


 それでもまあ、兄弟仲は良好だったと思う。


「こちらこそよろしくお願いします」


 イレーネ様の美しい笑顔を見ると、テーバン兄さんがさっき言ったことはお世辞だけではないのだろうと思える。

 これ以上、婚約の話をしたくない俺は、さっさと話を切り替えた。


「それでどうして兄さんがシュルトナーと一緒に?」


 俺は傍に控えていた彼に尋ねた。


「いえ。王宮を訪ねましたところ、ご紹介をいただいたのです。ハルト様のご兄弟が働かれていると」


 そうして彼は何やら目配せする。


「兄上の上司に当たる宮内官から、業務中ではあるが、せっかくだから連れて行ってもらって構わないと言われまして」


「どうせ私がいてもほとんど役に立たないからな。ハルトは滅多に王都には姿を見せないようだから、是非会いに行ってやれと言ってくださったんだ」


 それでもそうそう長時間、職場を離れているのは無理だと言う話になり、テーバン兄さんは「また今夜」と言って戻って行った。

 仕事が終わったらもう一度、宿まで来てくれると言ってくれたのだ。



「びっくりしたな」


 兄さんがいなくなった宿で、俺は正直な感想を皆に伝えた。

 まさか王都で彼に会うなんて思ってもみなかったのだ。


「シュルトナーはさっき俺に目配せをしていたよな」


「さようですな。ハルト様が正直に思われたことをおっしゃるのではないかと、それを危惧いたしまして」


 彼はそんなことを言っていたが、俺が正直に思ったことって何なのだろう?


「それは俺が思ったことじゃなくて、シュルトナーが思ったことなんじゃないか?」


 それこそそれが正直に言って俺が思っていることだ。

 俺は兄が突然現れて、何か考えるような余裕もなかったのだ。


「そうですか? てっきりハルト様もお気づきかと思いましたが」


「いや。俺には分からないな。でもそれで良かったんだろう?」


 シュルトナーは俺が余計なことを言わないように目配せしたようだが、そもそも俺は彼ほど頭が回るわけではない。

 気づかなければ余計なことも言えないのだ。


「ええ。兄上は人質ですから。本人に向かっては言えませんが」


 シュルトナーは突然、不穏なことを言い出した。


「人質ってどういうことだ?」


「人質は人質です。それ以上でもそれ以下でもありません」


 俺は彼の言ったことの意味が分からずに聞いたのだが、彼にとっては分かり切ったことなのか、しっかりと説明してはくれなかった。


「ハルト様。王宮はハルト様に何かお命じになるのでは? それをハルト様がお断りになれないように、お兄様を王都でお役目に就かせたのではありませんか?」


 見かねたイレーネ様が説明してくれて、俺は何とかシュルトナーの言いたいことを理解することができた。


 兄は王宮で職を得たのだから、それには王宮が噛んでいるということだろう。


「今回、ハルト様を召喚したのはそういうことでしょう。ハルト様に何か命令を出す前に、お断りになれないように手を打ったと。奴らの考えそうなことですからな」



 その晩、俺たちの宿へ再びやって来たテーバン兄さんと夕食のテーブルを囲んで話しながら、俺はシュルトナーの解釈が正しいことを思い知った。


「ハルト。私も結婚が決まりそうなんだ。相手は職場の上司の娘でね」


「それはおめでとうございます」


 お祝いを述べる俺の横からシュルトナーがまた目配せをしてきた。


「一生部屋住みも覚悟していたのだが、こんなにすんなりと結婚の話まで出て、自分でも驚いているよ。それに上司も勲爵士だから、私も将来は父さんと同じ爵位を継がせてもらえるかもしれない」


 王宮の差配で、テーバン兄さんにとっては破格の待遇が与えられたということなのだろう。


 そして俺が王命に背けば、彼に与えられた物だけでなく、すべてを取り上げると、そういうことのようだった。



「クーメルは危険はないって言っていたけど。どんな無理難題を吹っかけられるかと思うと寒気がするな」


 食事も終わり、終始ご機嫌だったテーバン兄さんが帰っていくと、俺はシュルトナーに不安を語った。


「危険はないと私も思いますぞ。王宮の求めに応じることなど、ハルト様のお力を持ってすれば容易いことでしょうからな。使い途があると思えば、あちらは危害を加えようなどとは思わないはずですから」


 二人が危険がないと言うのだからと、俺は少し落ち着きを取り戻し、王宮からの連絡を待った。


 そして一週間の後、俺たちの姿は王宮の謁見の間にあった。





【ハルト一世本紀より抜粋】


 大帝には二人の兄があり、後にともに爵位を授けられた。……(中略)……二人は兄としてそれ以上の処遇を求めることはなかった。



「あなたは陛下の兄君であられるのだから、さらに高位に登られ、重要なお役目を任されてしかるべきです」


 彼らをそう焚きつける者に対して、次兄は笑って次のように言った。


「かつて王宮に職を得たとき、その無能ぶりは我ながら呆れるほどであった。陛下の兄であるというだけで私は十分に恩恵を受けている。それ以上のことを望むのは、帝国にも我が身にも災いしかもたらさないであろう」



 大宰相はある時、大帝の兄二人を評して言った。


「彼らは兄弟でありながら陛下は天与の人であると知り、争おうとはしませんでした。これは容易に見えて、その実、誰もができることではありません」


 大帝はその言葉を喜ばれ、二人の爵位を引き上げられた。


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