第六十一話 近衛騎士団長の来訪
「あれ? あそこにいるのはダニエラ・サヴォラーエじゃないか?」
俺は馬車で『妖精の森』から屋敷へと帰ってきたところだった。
クーメルが手配して森の中を流れる川の橋を架け替えたと言うので、それを視察して来たのだ。
「いや。任せたから、別に見に行かなくても」
新しくできた橋を視察して来てほしいと言われた俺は、クーメルがやったことなら間違いないと思ってそう言ったのだが、彼は例のしたり顔を見せた。
「フィアレナールさんとエーレラフィルさんもいらっしゃいますから。ハルト様も是非お出掛けください。エルフたちとの友好を確認しておいていただきたいですから」
彼がそんなことを言ったので、俺はその新しい橋まで行って来たのだ。
「ハルト様。お久しぶりです」
街道が橋に差し掛かると、そこに金色に輝く髪の二人のエルフが待っていた。
エーレラフィルは深緑色の瞳を輝かせて、俺を迎えてくれた。
「お二人とも、お変わりないようで良かったです。森が騒がしくありませんか?」
俺は初めにそう挨拶をした。
そのことは少し気になっていたのだ。
彼らの棲まう森は、今は昔のように開かれて、街道を多くの馬車や旅人が行き交うようになっている。
俺の治めるスフィールトの発展のためにも、この森が開かれていることは重要だった。
「静かですと言えば嘘になりますね。ですが私たちはもうベヒモスを気にする必要はありません。それにスフィールトであなた方人間との交易も」
「えっ。町に出て来ていたのか?」
「ええ。ハルト様の威令がよく徹底されているのか。危険を感じることもありませんから」
フィアレナールに続けて、エーレラフィルが答えてくれた。
どうやらアンクレードが目を光らせてくれているおかげか、町の治安は良好らしかった。
「町に来ることがあったら是非、俺の屋敷にも寄ってほしいな。大したことはできないけど」
俺の誘いに二人は美しい笑みで応えてくれた。
そんなことのあった森からの帰り、間もなく領主屋敷に到着するってところで、俺はダニエラらしき人物を見つけたのだ。
「ダニエラ・サヴォラーエとは、あのキルダ王国の指揮官ですかな? こんな所にいるはずはないでしょう。見間違いですな」
シュルトナーが言うのも無理はないし、そう言われると自信がなくなってくる。
なにせ彼の姿はあの軍服を着た颯爽としたラトルの町の指揮官ではなく、髭も伸び、薄汚れたものだったからだ。
「いや。でも、やっぱりそうじゃないか? アンクレード! 停めてくれ!」
俺は馭者席に座るアンクレードにそう呼び掛けた。
「ハルト様。どうされましたか? 珍しいですな」
彼はそう言いながらも、すぐに馬車を停めてくれた。
俺は扉を開いて通りに降り立った。
そして、馬車から見て少し後方にいる、うらぶれた感じの男に目を凝らす。
「ハルト様の気のせいではありませんか? 他人の空似というのもありますからな」
シュルトナーもそんなことを口にしながら馬車から降りてきた。
「さすがに遠いな。もう少し近づかないと……」
どうも向こうも俺の方を見ているようだった。
これはますます怪しいと思った俺は道端に立つその男に近づいた。
「似ているようにも見えますな」
シュルトナーがそう言った時、俺とその男の目がしっかりと合った。やはり彼も俺のことを見ていたようだった。
「ダニエラ?」
俺が呼び掛けようとしたところで、彼は一歩、後ずさりすると、そのまま跳ねるように走り出し、通りを逃げ始めた。
「ちょっと。おい! ダニエラ!」
「ハルト様! 捕まえます!」
馭者席から降りてきていたアンクレードが凄い勢いで走り出して彼を追う。
ダニエラらしき人物もかなり速そうだが、アンクレードなら追いつけそうだ。
「手荒な真似はしないでくれよ!」
俺は角を曲がって姿が見えなくなった男を追うアンクレードにそう呼び掛けたが、すぐに彼はその男性の腕を掴んで戻って来た。
「あなたは、ダニエラ・サヴォラーエさんですね。キルダ王国ではお世話になりました」
俺たちの前で俯く男をイレーネ様もダニエラだと認めたようだった。
「本当にそうなのですか?」
シュルトナーは俺が言った時は見間違いだって即座に否定したのに、イレーネ様が言ったらそれなりに信じたようだ。
「そうだよな? あなたはダニエラ・サヴォラーエだろう?」
俺が問い掛けると彼はその場に跪いた。
「ハルト様。イレーネ様。お久しぶりです」
「ほら。やっぱりダニエラだったじゃないか」
俺はシュルトナーに自慢するように言ってやった。
「まずは領主屋敷においでいただいてはいかがでしょう? どうも事情がありそうですし」
イレーネ様は心配そうにダニエラを見ながらそう言ったが、確かに彼女の言うとおりだ。
彼の姿はあのキルダ王国での颯爽としたものではなく、どう見ても放浪者か、下手をすればこのまま行き倒れてしまう旅人のようにも見えるみすぼらしいものだったからだ。
「ああ。ダニエラ。こんなところで話もなんだから、領主屋敷へ行こう。すぐそこだから」
俺がそう誘うと、彼は一瞬、迷いを見せた。
「ダニエラさん。ハルト様もそう言っていますし、屋敷に来てください。お願いします」
重ねてイレーネ様からもお願いされて、彼は立ち上がると、
「ご一緒させていただきます」
そう言って俺たちについて領主屋敷まで来てくれた。
「お疲れのご様子ですから。まずは旅の疲れを癒してください」
イレーネ様が優しくそう言って、侍女に彼を客間に案内し、食事を用意してお湯に浸かってもらうようにお願いしてくれた。
「いえ。それは……」
ダニエラは遠慮したいという口ぶりだったが、俺も重ねて、
「いや。彼女の言うとおり、まずは一度休んでもらってからの方が俺も安心だな。ゆっくり話したいし」
そう彼に伝えると、「わかりました。ありがとうございます」と答えて、深く頭を下げた。
そうして侍女に案内されて、彼が客間へと姿を消すと、俺たちはダイニングに集まった。
「ダニエラはいったいどうしたんだろう?」
シュルトナーはそもそも彼がこんなところにいるはずはないって言っていたくらいだから、事情を知る筈もないのだが、それでも俺よりは頭が働くから、何か想像がつくかもなって思って聞いたのだが、彼の答えはにべもないものだった。
「分かりませんな。彼が落ち着いたら聞くしかないのではありませんか?」
どうせ正解はすぐに分かるのだから聞いた方が早いってのはそうなのだろうが、俺は苦笑するしかない思いだった。
「私には何となく想像がつきますな。シュルトナーも分かっているはずです」
アンクレードが彼も苦笑しながら、だが、すぐに真面目な顔になって彼の考えを述べてくれた。
「彼は私たちに本当によくしてくれたではありませんか。それが良くなかったのではないでしょうか?」
「どういうことだ?」
確かに彼の言ったとおり、彼は俺たちが要望した以上のことをしてくれた。
おかげで俺たちはアンジェリアナ女王に謁見し、爵位を賜ることができたのだ。
それは別に俺が望んだことではなかったが。
「彼はハルト様に肩入れし過ぎたのです。ハルト様のおかげでキルダ王国はあの平原が解放されましたが、それが面白くない者もいるでしょうから」
シュルトナーがアンクレードに続けてそう言い出したから、アンクレードが言ったように、彼も同じ意見のようだった。
「そんな奴がいるのか? だって、誰にも迷惑は掛けていないじゃないか?」
何となく彼がこのスフィールトの町にやって来たのは、いや、彼のあの姿から想像するに彼が軍部隊の指揮官をしていたラトルの町を離れねばならなかったのは、俺のせいだって言われているような気がした。
「ラトルの町の領主や軍は、これまでまったく歯が立たず、散々な目に遭わされてきたキルダ平原のワイバーンが退治されるのを指をくわえて見ていることになったのですから、さぞかし王国中の物笑いの種になったことでしょう。百や二百の兵を送ったからとて、それは誰の目にも明らかですからな」
「いや。そんなことって……」
シュルトナーはアンクレードを睨むように見ると、諦めたって顔でさらに続けた。どうやら彼はアンクレード以上にこうなることを危惧していたようだった。
「ハルト様の露払い役だけをさせられて、いっそ兵のいくらかでも失っていれば顔も立ったかもしれませんが、なんの犠牲も払わずにキルダ平原は解放されたのです。それを単純に喜べる者もいるでしょうが、そうではない者がいるであろうこともまた事実です」
俺が呆然としていると、アンクレードが申し訳なさそうな顔で、シュルトナーから話を引き取った。
「いずれにせよ。まだ想像に過ぎません。ですが、彼のあの姿を見るに、ハルト様と思い出話をするためにふらりと立ち寄ったわけではありますまい。後ほど彼から事情を聴くしかないでしょう」
結局、彼も言うようにダニエラから話を聞くしかないようだが、それは辛いものになりそうで、俺は暗澹たる気持ちだった。
【軍師、将軍列伝・第ニ章の一】
近衛騎士団長のダニエラ・サヴォラーエはキルダの地、ラトルの町の人である。
彼がまだ若い頃、配属された部隊指揮官が皆に訓練を命じたことがあった。
「私が戻るまで、訓練を続けよ」
一人の兵が倒れ、指揮官は彼を含む残りの兵たちにそう命じて、倒れた兵を救護するためにその場を離れた。
その後、多くの兵が訓練を止め、自ら兵舎へと戻って行った。
倒れた兵の救護に思った以上に手間取った指揮官が、彼らに訓練を命じたままだったことを忘れ、練兵場に戻らなかったからである。
指揮官がそのことを思い出し、念の為練兵場に戻った時、彼はたった一人で黙々と訓練を続ける後の近衛騎士団長の姿を見ることになった。
「訓練を続けよとおっしゃったので、続けていたまでです。それよりも倒れた彼は回復しましたか?」
練兵場に一人残っていた理由を問う指揮官に、後の近衛騎士団長は平然としてそう答えた。
彼が決して約を違えぬことは、その若い時からこのようであった。




