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第五話 グヤマーン陥落

「いえ、そのようなことは断じて、絶対に、金輪際ございませんです。神かけて」


 俺はそう言いながら、彼女の方を振り向いた。

 にこやかな笑みを浮かべたつもりだったが、ぎこちないものになってしまったかもしれなかった。手足の動きも不自然だった気がするし。


「では、どうして……?」


 イレーネ嬢の大きな目には涙が浮かんでいるようだった。


(これはまずい……)


 将来、彼女が皇妃となった時のことを想像して、俺にはもう激しい焦燥感しかなかった。


「彼は以前、私に恥をかかせました。あの恥辱を是非、陛下のお力で晴らしてくださいませ」


 愛するイレーネ妃が夫である皇帝陛下にそうねだったとしたら、俺の首など簡単に胴から離れてしまう気がする。


「いえ、あの、イレーネ様には私などよりずっと相応しい方がいらっしゃるに違いないですから」


 俺は本心からそう言ったのだが、彼女は納得してくれなかった。


「私にはそうは思えません。やはりハルト様は私のことが気に入らないのですね」


 下を向いて項垂れた様子を見せる彼女に、俺はない知恵を絞って何とか切り抜けようと考えた。

 本当はこういう時こそ、クーメルの知恵を借りたいのだが。


「いえ。そんなことは。そうだ! ではとりあえず婚約ということではどうでしょう?」


 俺程度では、頭に浮かぶのは先延ばしくらいが精々だった。


「先ほども申し上げたとおり、イレーネ様はこの先、私などよりずっと素晴らしい方と出会われるかもしれません」


「そのようなこと、絶対に考えられません」


 彼女は顔を上げて、毅然とした態度を見せた。


(いや。そのようなことが絶対に起こるから)


 俺はそう思っていたが、とにかくここを何とか切り抜けるしかない。


「婚約と言っても、私から破棄することは絶対にしませんから。今は戦いの後で、イレーネ様もファーフレント卿も冷静さを欠いておられると思うのです。冷静になってゆっくりと考えられて、それでも私などが相手でも良いと言うことであれば、その時でも遅くはないですから」


 イレーネ嬢はまた、じっと俺の目を見ていたが、ほんの少しだけ笑みを見せてくれた。


「分かりました。私はハルト様を信じます。今はその時ではないとおっしゃるのならお待ちいたします。でも、私からも婚約を破棄することはありませんから」


 俺は「破棄してもらっても一向に構いませんよ」と言いそうになったが、そんなことを言っても彼女の気分を害するだけだと思って飲み込んだ。



「ファーフレント卿のご不安は理解しました。ここは一気に禍根を絶つべきでしょう。私もそのお手伝いをさせてもらいます」


 イレーネ嬢との話を終えた俺は、ファーフレント卿にそう申し出た。


(俺なんかと大切なひとり娘のイレーネに婚姻を結ばせようとするのは、きっとグヤマーンの軍から、このラマティアの町を守るためだろう)


 俺はそう思うと、とても気が滅入るようだった。

 彼女も父に言い含められて、泣く泣くその身を差し出そうとしたのかもしれない。


(なにしろ彼女は俺の魔法をその目で見てしまったからな)


 あの威力を見たら、少なくとも敵に回さない方がいいくらいは思うだろう。

 まして彼女はかなり聡明なようだし、俺を引き止めれば、ラマティアの安全は保障されると考えたのかもしれなかった。


「不安と申しますと?」


 だが、ファーフレント卿は俺に不審そうな顔を見せた。


「もちろんグヤマーン軍のことです。態勢を立て直せば、また攻め込んで来るでしょう」


 クーメルを見ると彼も頷いている。まあ、常識だな。


「ああっ! なるほど。道理ですな」


 だが、ファーフレント卿は額に手を遣り、気がついたといった様子を見せた。


「大勝にすっかり浮かれておりました。ハルト殿の言うとおりですな」


 いや、俺は敵の輜重を焼き払っただけで、兵にはほとんど損害を与えていない。

 その後の追撃戦はどうなったのか知らないが、卿のこの様子を見ると、あまり期待はできない気がした。



 夜になるのを待って、俺たちはファーフレント卿が貸してくれた百名ほどの兵を従え、グヤマーンの町へ向かった。


「小勢とは言え、これで私も晴れて指揮官ですな」


 アンクレードはそう言って嬉しそうだった。


「ハルト様には勝算がおありなのですね。何となくは分かりますが」


 クーメルはいつもと変わらず冷静な顔を見せる。


「ああ。夜の闇に紛れて城内へ入り込んでしまえばこちらのものだろう」


 俺の言葉に彼は笑みを見せた。どうやら俺の魔法の力に慣れてきて、どんな手を使うかも理解できるようになったようだった。



 軍用馬車を連ね、街道をひた走る俺たちの前に、撤退したグヤマーン軍の野営地の火が見えてきた。


「面倒ですな。どう切り抜けられるおつもりで?」


 アンクレードはそう聞いてきたが、クーメルはにこやかな笑みを浮かべ、俺に視線を送ってくる。


「まずはこれだな」


 俺は『インビジブル』の魔法を使い、馬車を隠蔽してしまう。


「おおっ。これは! 何とも不思議ですな」


 兵たちは「何があっても声を立てるな」という俺の指示に従って静かにしてくれているのに、アンクレードがいきなり驚きの声を上げた。

 まだ野営地とはかなり距離があるから、気づかれることはないとは思う。

 それでも不用意な様子に俺が咎めるような顔をすると、さすがに気づいたのか、彼は少しバツの悪そうな顔を見せた。


「それから。こうして……」


 続いて『サイレント』の魔法で馬車の立てる音を消し去ってしまった。

 これでアンクレードが騒いでも、問題ないはずだ。


(犯罪者になった気分だな)


 こういう魔法の使い方は、すべて俺の元いた時代では、禁止されていたものばかりだ。

 俺がそう思ったとおり、犯罪にも使えるのだから当たり前だ。


 だが、今は戦いの最中だし、時代も千年も前なのだ。

 将来は禁止されることになるのだろうが、それはまだ先のことだ。



 魔法の力で、敵に気づかれることなく野営地を抜けた俺たちは、夜がまだ明けないうちにグヤマーンの町にたどり着いた。


「警備は厳重なようですな。闇に紛れて近づくことはできるかもしれませんが……」


 アンクレードが言ったとおり夜間でもあるし、すでに早馬によって敗報が届いているのだろう。門は固く閉じられ、城壁の上には警備兵の姿があった。


だが、この時代、城壁に魔法防御は掛けられていないはずだ。


(その方法も失われて久しいはずだからな)


 古代魔法帝国時代なら、魔法防御が掛けられていない城壁など、蛮族相手以外には無力なものとされていたはずなのだが。


「俺とアンクレードは侵入部隊とともに城壁を越える。城門を開けたら、城壁の上から灯りを飛ばすから突入してくれ。目指すは領主の身柄だ」


 俺は大多数の兵士とクーメルを残し、アンクレードと数人の兵士ともに『インビジブル』の魔法で姿を消し、城壁に近づいた。


 まずは城壁の上を見回る衛兵に『サイレント』の呪文を飛ばす。そして続けて、


「レビテーション!」


 俺の唱えた浮遊の魔法の効果で、俺たちは一気に城壁の上へと上っていった。


(………! …………!!)


 突然、現れた俺たちに、見回りをしていた二人の衛兵は侵入者の発見を伝えようとして声を上げたはずだった。

 だが、その声はまったく聞こえず、彼らは大慌てで走り出す。


「スリープ・マーヴェ!」


 その時、城壁の上から彼ら二人と城門を守る兵士たちに向けて俺の睡眠の魔法が飛んで、彼らはバタバタと倒れてしまう。


「よし。いいな。ライトニング!」


 俺がクーメルとともにいる味方の兵たちに向けて、雷撃の魔法を放って合図をすると、アンクレードと侵入部隊の兵たちが城壁から素早く駆け降りて開いた城門から、彼らは一気に突入してきた。



 あとは夜の町の中を走って、領主の館に突入するだけだった。

 完全武装の百人の兵士たちに殺到され、領主の館は瞬く間に制圧され、領主は呆気なく捕虜になった。


「貴様。いったい何者だ?」


「ラマティアの者だ。大きな争いもなかったはずのこの地で、どうして乱を起こしたんだ」


 領主のセブリード卿は、さすがに蒼白な顔色をしていた。


「いや、私はなにも乱を起こしたわけではない。あの傭兵どもが勝手にやったことだ。私は周辺の町を襲えなどという野蛮な命令は出していないからな」


「ならば、その傭兵どもを追放し、そいつらが強引に奪った利権はすべて元に戻すんだ」


 俺の要求に彼は観念したといった様子で、「分かった」と言って頷いた。




【ハルト一世本紀 第一章その五】


 大帝は皇妃の身を案じ、禍根を断つべきだと岳父に教えた。


「臣にはそれをなす兵がありません。どうかお力をお貸しください」


 岳父の請いを入れ、大帝は敵の町へと赴き、その城門に臨まれた。


「町の民はいずれ陛下の赤子となる者たち。決してまつろわぬ者だけを除けば充分でしょう」


 大宰相の奏上に大帝は頷かれた。


 大帝の神威の前に自ずと城門は開かれ、町の主はその威勢を畏れ、恭順を誓った。


 その後、町に現れた兵たちは、大帝によって戦に終止符が打たれたことを知り、歓呼の声を上げ、大帝を讃えた。


 天の命数を弁えぬ、わずかな(やから)だけが大帝の怒りに触れ、無惨にも逃げ散った。


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