第五十三話 ハフラン出立
「ティスモス殿。よくぞおいでくださった。ぜひテラレーサに会ってやってください」
俺たちをハフランの町の屋敷で出迎えてくれたヨスラン・フォン・イヴァレンティ公爵は、甥にそう語り掛けた。
「叔父上。お久しぶりです。私も早くテラレーサに会いたいのです。そのためにここまでやって来たのですから」
そう言った彼、ティスモス公子はこのハフランに着く前から、もう愛する従妹に会って彼女を元気づけようと、そればかり考えていたようだった。
今も公爵に対して俺たちの紹介さえしてくれず、このまま彼女が横になっている部屋へと飛んで行ってしまいそうだ。
「そちらの方たちは?」
さすがに公爵の方がずっと大人で、俺たちが公子をこの町まで連れて来たことを知って、多少は気を遣ってくれているようだ。
それでも娘のために自派の貴族に危険を冒させて、政敵に幽閉された彼女の婿を拐って来させるのだから、常識的な人物かと問われると疑問符が付くと思う。
「私を城から救い出し、ここまで連れて来てくれた方たちです」
それでもやはりティスモス公子よりはましなようだ。
彼の言い方は、何となくその辺の農民が道案内したみたいに聞こえる気がする。
「それは、ありがとうございます。あなた方は娘の命の恩人です」
公子がちゃんと説明してくれないから、やっぱり俺はたまたま馬車に彼を乗せただけの旅の商人か何かのような扱いを受けていると思う。
「いいえ。お嬢様は彼が幽閉されたと聞いて体調を崩されたとか。そのように深く愛し合う二人を引き離すなど、人のすることではありませんから。当然のことをしたまでです」
「ハルト様は魔法を使ってティスモス殿下を宮殿の塔からお救いしたのです」
シュルトナーが礼に則った態度で、公爵にそう教える。
俺が言ったら恩着せがましいかなって思って、言い出せずにいたから助かった。
「なんと! それは本当ですか?」
いきなり疑うのか? 失礼だなって思ったが、違っていたようで、その疑問はティスモス公子に向けられたものだった。
「そうです。塔の窓の外にいきなりその人がいたので驚きました」
何だか迷惑だったみたいな言われようだなって思ったが、彼の表情を見るかぎり、そう言うことでもないらしい。おそらく頭に浮かんだことをそのまま口にしてしまう質なのだろう。
父親である大公が彼を宮殿の塔に幽閉したのも、この手のやり取りの末なのではないかって気が俺はし始めていた。
「浮遊の魔法を使って殿下を宮殿の塔に訪ね、同様に魔法で壁を壊してお救いしたのです。町からの脱出にも浮遊の魔法を使いました」
全部シュルトナーに説明させるわけにもいかないと思って、俺は彼を救い出した手口を披露した。
「浮遊の魔法で宮殿のあの塔の高さまで……それに町から脱出とは。塔の壁も魔法で壊されたとおっしゃるのですか? いったいあなたは?」
改めてそう尋ねたところで、公爵はそのことに気がついたようだった。
「そちらの方がハルト様とおっしゃっていましたね。ハルト・フォン・スフィールト! あなたがあの傭兵隊長を打ち破った方なのですね!」
どうやらようやくまともな待遇が受けられそうだと思ったところで、屋敷の広間に集まった皆の注目を俺から奪う出来事が起こった。
「ティスモス様……」
奥の扉が開き、白いガウンのような衣服を身につけた背の高い女性が入って来るなり公子に呼び掛けたのだ。
「テラレーサ!」
叫ぶように彼女の名を口にしたティスモス公子は、弾かれたように彼女に駆け寄る。
女性の方も弱々しい足どりで、公子に近づくと、広間の中央で二人はひしと抱き合った。
「テラレーサ! 大丈夫なのか?」
「はい。ティスモス様がいらしてくださったとお聞きして、早くお会いしたいと、その一心で……」
顔を上げて、愛する人を見つめる彼女の目には涙が光っていた。
「心配を掛けたな。もう大丈夫だ。私もテラレーサに会いたいと。それだけを思ってここまで来たのだ」
「はい。ティスモス様……」
彼に縋るように抱き着き、肩に顔をうずめる彼女の姿に俺は先ほどまでの苛立った気持ちが消え去っていくのを感じていた。
テラレーサ姫はすぐにご自分の部屋へ戻り、俺たちは公爵と公子とテーブルを囲んで向かい合った。
俺は「それではここで」と失礼したいところなのだが、アイヴィクの町に荷物も馬車も置いて来てしまったから、このまま追い出されると困るのだ。
情けないが無一文で旅を続けるわけにもいかない。
「そうですか。ベセマラード卿があなたに接触を。宿の主人には迷惑を掛けてしまいましたね」
考えてみれば俺が不用意にアイヴィクの町を訪れたからこういう事態に至ったという面は否めない。
「それでもあなたがティスモス殿をお連れくださって助かりました。テラレーサは最近、ほとんど食事も喉を通らず、やせ細ってしまいましたから」
彼女の背が高く見えたのは、実は彼女がかなり痩せていたからかもしれないなと俺は気がついた。
それでもティスモス公子とあまり身長に差がなかったようだから、実際に背は高いのだろうが。
「お役に立てたなら光栄です。それで……お話ししたとおり私たちはアイヴィクの町で焼き討ちにあって、そのまま逃げて来たものですから……」
ここまでの道中はベセマラード卿、コラリウスが手配した路銀を馬車の馭者が持っていて、俺たちはその面ではなにも心配することはなかったのだが、ここでこのまま追い出されたら食事代さえ事欠く状況なのだ。
「ああ。では、アイヴィクに戻られますか?」
公爵はそんなことを言い出して、俺を唖然とさせた。
俺はその町の宿で焼き討ちに遭ったと言っているのに、そこへ戻れだなんて、どういう感覚をしているのだろう。
「いや。俺は……」
もう愛する二人を引き合わせるという目的は果たしたし、褒美と言うか俺たちが失った財産に相当するものを提供してもらい、できれば馬車を調達して、このまま立ち去ろうと思っていた俺は途方に暮れる思いだった。
だが、ヨスランの考えていたことは俺とはまったく違っていた。
「それを聞いて安心いたしました。実はアイヴィクの町で兵が集められ、派遣軍が編成されつつあるとの情報が入っています。兄は何か名分があればとこちらに戦を仕掛ける機会を狙っていたのでしょう。いえ。兄ではなくあの傭兵どもが主導しているのでしょうが」
どうやら俺たちがティスモス公子を宮殿の塔から連れ出したことが、大公側に派兵の口実を与えてしまったようだ。
公子を拐った悪人どもの背後にはハフランの公弟がいると、そう罪を鳴らしているらしい。
「私どもも出陣の準備を急がねばなりません。ハルト殿がおられれば敵を蹴散らし、アイヴィクを落とすことも可能でしょう。あの傭兵どもを追い出して、兄の目を覚まさせねば。ハルト殿。ご加勢に感謝いたします」
「えっと……」
俺はこの国のごたごたに首を突っ込むつもりはないと言おうかと思ったのだが、すかさずクーメルが俺の発言を遮った。
「さようです。ハルト様のお力があれば、あの程度の町を落とすことなど赤子の手を捻るようなもの。その際には是非、恩賞を賜りますよう」
「クーメル!」
俺は彼に苦情を言おうとしたのだが、ヨスランはそうは取らなかったようだった。
「ハルト殿。遠慮なさらずともここまでティスモス殿をお連れくださり、さらには我らに加勢までしていただけるとは。恩賞などと言うのも失礼かと思いますが、心ばかりのことはさせていただきます」
彼はそう言って立ち上がると、俺の側までやって来て、両手で俺の手を取ってしっかりと握ってきた。
「先代は私にこの町を与えた時、兄と私に向かって二つのことをお命じになりました。一つはティスモス殿とテラレーサを結婚させ、ゆくゆくは二人に公国を任せること。もう一つは功績を上げた者は賞し、為すべき事を怠った者には罰を与えること。ハルト殿の功績に報いねば、私は先代の遺命に背くことになります。それにあの方の言うとおり、ハルト殿の力は疑いようもありません」
クーメルを見ると、彼は真面目な顔で頷いている。
それを見て俺も覚悟を決めた。
「分かりました。私の力など如何ほどのものでもありませんが、この国を乱そうと画策する者たちを追い払うために微力を尽くしましょう。よろしくお願いします」
俺の返事にヨスランも満足そうな顔を見せると、続けて、
「ハルト殿には我が軍の一翼を担っていただきたい。兵をお貸ししますから、それを率いてご存分に敵を打ち破ってください」
そんな申し出をしてくれた。
俺なんかに軍隊の指揮ができるはずもないが、俺の横にはアンクレードが、ハルト一世の七功臣のひとりである大将軍がいるのだ。
「ありがとうございます。兵はここにいるアンクレードに指揮してもらいます。もちろん私も従軍します」
俺がそう返すとヨスランは頷き、俺たちはハフランの軍の一員として大公の軍を討ち、さらに首都アイヴィクを目指すことになった。
十日ほど後、ハフランの町の郊外の練兵場には多くの将兵の姿があった。
集まった兵は約四千。ほとんどが歩兵だが、騎兵や弓兵もそれぞれ数百人ずつはいるだろう。
「兵を率いるのはラマティア以来ですな。またお任せいただきありがたいですが、確かにハルト様の配下の中では私が適任ですか」
アンクレードはそんなことを言っていたが、彼以上に兵を率いるのに適した人物なんて、この時代にはほぼいないはずだ。
ハルト一世は別かもしれないが。
「進軍!」
ハフラン軍を指揮する将軍の声が響き、兵たちが続々と練兵場を後にする。
「私たちも参りましょう」
クーメルに促された俺たちは、彼らの後を追って街道へと進んでいった。
【ハルト一世本紀 第三章の二十三】
ハフランの町を治めることになったヨスランの娘婿は、彼がこれから為すべきことを示していただけるよう大帝に乞うた。
「あなたは迷う必要はありません。すべては陛下にお任せすれば、草が風に靡くように兵は道を開き、民は歓呼の声で我々を迎えることでしょう」
大宰相の答えに彼は恐懼し、口を開くことができなかった。
ハフランが弱卒しか持たぬことを知っていたからである。
「大宰相の言葉どおり、心を安んじて可である。いかな兵とて大将軍が率いれば、万夫が敢えて敵せざる精兵となろう」
大帝の賞賛に気を良くした大将軍は、ヨスランに向かって告げた。
「この領でもっとも柔弱なる兵を率いてやろう。その戦功を見せようではないか」
彼の請いを容れ、大帝の下には弱卒しかいないことになったが、その兵たちが大功を立てるであろうことを疑う者はいなかった。




