第五十二話 逃避行
「どうしてこの屋敷の場所がお分かりになったのですか? この場所を知る者は少ないはずなのですが」
庭に降り立った俺たちが、現れた邸宅の使用人たちにコラリウスに会いに来たと告げると、彼らに呼ばれて姿を現したコラリウスは驚きとともにそう質問してきた。
「ああ。殿下にお聞きになったのですな。大公家の方なら、この屋敷のこともご存知でしょうから」
「いや。私は何も教えていないぞ」
俺たちの後ろからティスモス公子が姿を見せて、コラリウスの誤りを指摘した。
「ティスモス殿下。お久しぶりです」
「コラリウスか。本当に久しぶりだな」
どうやらティスモス公子と公弟派のコラリウスはお互いに見知った間柄らしい。
同じパラスフィル公国に暮らす公族と貴族なのだから、これまでに接点もあったのだろう。
「空から来たからな。森の中だから地上から来たら見つけにくいかもしれないけれど、上からは丸見えだったぞ」
俺が答えるとコラリウスは絶句していたが、今はそれどころではない。
「助けておいてもらってなんだが。私を利用する気ではないだろうな?」
ティスモス公子はコラリウスの顔を見て不安を覚えたようだった。
「そうなのか? それなら俺は降りさせてもらうぞ」
俺もそう言って彼を牽制する。
俺はティスモス公子とテラレーサ姫の悲恋に同情を覚えたから、かなり無茶な役割を引き受けたのだ。
イレーネ様だって同じ気持ちだと思う。
だから、もし単なるこの国の主導権争いとかなら、それは俺の興味の埒外にあることなのだ。
「そのようなことは考えておりません。いえ。正直、私は考えていますが、ヨスラン様はそれをお許しにならないでしょう」
「今はその言葉に偽りがないと信じるしかないだろうな。とにかく私は早くテラレーサに会って、彼女の無事を確かめたいのだ。そのためなら何だってするぞ」
さすがに公弟派のコラリウスと大公の息子であるティスモス公子との間には、お互いに信頼感みたいなものは希薄なようだが、今は公子をテラレーサ姫に会わせるという一点で共闘が可能っていうことなんだろう。
「それなら早くここを出た方がいいんじゃないか? 早々に追手が掛かると思うぞ」
一応、敵の目は町の南に引き付けたつもりだが、あの程度の偽装工作がいつまでも効果を持つなんて期待はしていない。
南の街道に派遣した兵が何も見つけられなければ、すぐに捜索範囲は拡大され、その時に真っ先に対象になるのはハフランに向かう北の街道だろう。
「まさかこの屋敷に直接お越しになるとは思っておりませんでしたから、街道脇に馬車を隠してあるのです。すぐにそこまで参りましょう」
慌てた様子でコラリウスが使用人たちに命じ、すぐに街道に向かって出発する。
俺たちは荷物は宿に置き去り、馬車も預けたままで、本当に着の身着のままだから準備も必要なかった。
「この屋敷って、どういうものなんだ?」
森の中の小径を馬車へ向かいながら、俺はティスモス公子に聞いてみた。
コラリウスは「殿下に聞いた」と言っていたから、公子はあの屋敷のことを知っているってことだろう。
「大公が森で狩りをする時に休息を取るための屋敷だ。父は狩りに興味がないから、もうずっと訪れる者もいなかったはずなのだが、彼らが拠点として使っていたようだな」
少し忌々しいといった顔を見せた公子に向かって、アンクレードが尋ねる。
「訪れる者がいないと言ったって大公家のものなんでしょう? 普段の管理はどうしているんですか?」
そう聞かれて公子も気づいたようだった。
「近衛騎士団か。騎士団の中にも内通者がいるということだな。しかもかなり上層部に」
あの宿もそうだったのだろうし、どうやらアイヴィクの町の中にも今の大公のやり方に不満を持つ者は多いようだ。
外から来た傭兵どもの残党に操られているなんて言われているのも、そういう者が多いからだろう。
「だが、それも致し方ないことなのかもしれぬ。私自身がこうして城から逃れた身なのだからな」
公子はそう口にして苦しそうに顔を歪めた。
そうして森の中をしばらく走っていると、前方に馬車が見えてきた。
思っていたより大型の馬車で、これなら俺たち全員で乗ることができそうだ。
「すぐに出発だ! 行先は分かっているな」
コラリウスの声が響き、馬車の周りにいた人たちが急に慌ただしく動き始める。
「コラリウス様。これはいったい?」
さすがに予期していなかったのだろう、彼らの中でリーダー格と思しき男が、コラリウスに問い掛ける。
「予定が変わったのだ。すでに殿下はこちらにいらっしゃる。とにかく早く殿下をハフランへお連れするのだ」
宿が焼き討ちに遭ったりしなければ、公子を解放するのは早くても今夜の予定だったのだ。
それでも状況が急変した時のためにと、用意周到なコラリウスは事前に馬車を用意してくれていたようだが、まさか俺たちが空からいきなり屋敷を訪れるとは想定外だったのだろう。
「はい。準備に抜かりはありません。すぐに出発できます」
俺たちが話す側で、数人の男たちが手早く馬車の準備を整え、公子を先頭に俺たちは馬車に乗り込んでいく。
「ティスモス様。ご無事をお祈りしております。そしてハルト様方のご協力に感謝します」
コラリウスが馬車の外から俺たちにそう声を掛けたのが合図であったように、馬車はゆっくりと動き出し、北へと向かう街道に出ると一気に速度を上げて走り出した。
そうして走り出した馬車が少し進んだ先で道は北西に向きを変え、川に沿って進みだした。
「おい。あそこ。橋の前に検問があるんじゃないか?」
窓から外を見ていたアンクレードが気がついて、馭者にストップを掛ける。
俺にはまだ誰か人がいるみたいだな程度しか分からなかったが、彼によれば兵士たちが街道を行く人を確認しているらしかった。
「道を変えるしかありませんな。アイヴィクの町からすぐのこんな場所で見つかったら、到底ハフランまではたどり着けないでしょう」
馭者に聞くと、道は細くなるが少し東にも北へと向かう街道があるらしい。
「先ほど通り過ぎた分かれ道を右へ向かうのです。多少遠回りにはなりますが、それほど時間はかかりません」
馭者は器用に馬車を回すと、すぐに元来た道を走り出した。
ここでの時間のロスは痛いが、魔法で強行突破するには首都から近すぎる気がする。
軍隊を派遣されたら、さすがに逃げ切れるかは確証が持てない。
「橋が落とされています!」
再び川が近づいてきたところで馬車が停まり、馭者が扉を開けて俺たちにそう告げた。
彼が言っていたとおり、迂回路はそこまで遠くなかったようですぐに馬車は細い道に入り、その後は順調に進んでいた。
だが、街道に検問所を設けている以上、抜け道が塞がれていることは覚悟すべきだったのだ。
「戻って検問を強行突破ですかな?」
アンクレードは腕が鳴るって感じでそんなことを言い出したが、彼がいくら強くたって無理があるだろう。
俺の魔法に期待ってことなのかもしれないが。
「また戻るのは御免だな。川幅はそれほどないし、ここを強行突破しよう」
「深さも分からないですし。それは無理です!」
馭者が悲鳴のような声を上げたが、俺は彼に「馬をしっかり抑えてくれよ」と声を掛けると呪文を唱えた。
「ファラーヴェ ドゥレギミザーヴ ファーラ フォトフォミアープ」
俺を中心に魔法陣が輝き、馬車を銀色の光が包む。
「レビテーション!」
声とともに魔法が完成し、俺たちを乗せた馬車はふわりと浮き上がった。
「ヒヒヒヒーン!」
抑えてくれと言っておいたのに、馬車を曳く馬のうちの一頭がいなないて中空で脚をバタバタさせていた。
「危ないぞ!」
俺は馬車を降ろそうかと思ったが、馭者が必死に馬を宥め、馬車がひっくり返ることは避けられたようだった。
「ハルト様。行きましょう」
クーメルが冷静にそう言ってくれて、俺は風の魔法を発動し、馬車をゆっくりと押し込んでいった。
「着きましたな」
シュルトナーが息を吐くようにして言ったとおり、俺たちは何とか向こう岸にたどり着いた。
「アイヴィクの町から逃げ出した時のように、もっと強い風を起こせばよかったのではないか?」
再び道の上に戻って北へ向けて走り出した馬車の中で、ティスモス公子がそんな指摘をしてきた。
「馬もいるのに、バランスを崩したらひっくり返ってしまいます。それでも落ちたりはしませんが、けがくらいはするかもしれませんから」
人間だけならひっくり返っても「ごめん」で済むし、状況を説明すれば我慢もできる。
でも馬に馬車もあるなかで、無茶な魔法の使い方はできないのだ。
「ならば、馬車を捨てたらどうなのだ?」
公子はさらに俺に尋ねてくるが、そのくらいは俺だって考えているのだ。
「近距離なら考えますが、ハフランの町までとなると馬車の方が早いでしょう。魔力には限りがありますから」
あまり変わらない気もするが、移動のために魔力をすべて使ってしまったら、不慮の事態に対処できない。
それでなくても追われている身なのだ。
「そうか。万能かと思ったが、あまり使い勝手がよくないのだな」
ティスモス公子の言葉に、俺は唖然とする思いだったが、彼は表情も変えておらず、特に悪意とかはなさそうだった。
どうやらあまりそういった配慮をするタイプではなさそうだった。
【ハルト一世本紀 第三章の二十二】
大帝にハフランの町の領主として指名されたヨスランの娘婿は、大帝の力を怖れ、それを固辞しようとした。
「私は到底、陛下に及ぶべくもありません。陛下のなさりようは鳥の目をもって森の中を探り、道を行くに山河を飛び越えるが如く進まれます。どうして凡夫たる私に陛下の代わりが務まりましょう」
彼は平身して大帝が町を治めることを願ったが、大将軍が笑って彼に説いた。
「知謀並ぶ者なき大宰相でさえ、陛下のお力には叶わないと常々申している。そなたは自分が凡夫であると自覚しているだけで上出来である」
さらに言葉を継ごうとする大将軍を、大宰相が止めて言った。
「家に主人あり、家宰あり、侍女ありて、それぞれその分を尽くす。それによりて家は善く整い、滞りなく回って行く。誰もが大帝と同じことをする必要はありません。大帝はあなたがその分を尽くすことを望まれているのです」
ヨスランの娘婿はそれを聞いてさらに低頭し、容易に立ち上がれない様子だった。
「私もあなたと同じように大帝の下で、その分を尽くそうとする者。卑屈になる必要はなく、それは大帝も望まれません」
大宰相がそう言って腕を取って立ち上がらせ、ようやくハフランの町を治めることを彼に承知させた。




