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第四十八話 アイヴィクの宿

「それにしても、リュクサンダールで見たことはすべて口外するなとは。教会とは横暴なものですな」


 パラスフィル公国の首都、アイヴィクへ向かう途中、小さな町の食堂でアンクレードが不満そうに言ってきた。


 俺たち以外に客はいなかったが、彼の声は大きいから、俺は誰かに聞かれてしまうんじゃないかとひやひやしてしまう。


「そんなことより逃げるようにリュクサンダールを離れてしまいましたが、神託はあれでよろしかったのですかな?」


 シュルトナーにそう言われて、俺は忘れたいと思っていた神託について思い出してしまった。

 あの時のシスター・プレセラの様子は本当に神がかっていて、信仰心の薄い俺にとって、かなりの恐怖を感じるものだったのだ。


「いやもう、あんなことになって、あれ以上は碌なものが降るとも思えないし、俺はもう遠慮したいなって思っているけど」


 そう言いながらクーメルに目を遣ると、彼は珍しく申し訳ないって顔を見せた。


「私もあのようなことになろうとは思ってもみませんでした。そもそも聖都行きをお勧めしたのは、あくまでハルト様が動かれることが上策と考えたからです。ハルト様の名が世に知られることで、自ずと道は開かれると思っています。実際にキルダ王国でもそうなりましたし」


 どうやら彼は俺の名前を売ることを考えていたらしい。

 確かに俺の魔法の力を知る者もかなり増えてきてしまったから、もう隠しておくことも難しいだろう。


「じゃあクーメルも神託はもういいんだな?」


 もう一度リュクサンダールへ引き返すとかあり得ないとは思うが、俺は念の為確認してみた。


「もちろんです。あの先、どんな恐ろしい神託をいただけるか興味はありますが」


 クーメルはそんなことを言うが、俺だって『神託の間』であんなことが起きるとは思ってもみなかったのだ。

 できればハルト一世の下で若くして討ち死にするとか言われなければと思っていた程度なのだ。


「まあ、いいや。とにかく首都へ行こう」


「そしてまた同名の方を探されるのですな?」


 シュルトナーがため息をつくように返してきたが、当たり前だ。


「もし。あなた方はアイヴィクへ向かわれるのですかな?」


 その時、俺の背後から歳とった男性の声が聞こえ、俺は思わず飛び上がりそうになった。


 俺たち以外に客はいないと思っていたが、後ろのテーブルに一人で飲んでいる老人がいたようだった。


「は、はい。そのつもりですが」


 慌てた俺の返事は声が裏返りそうになっていたが、老人は気づいていないのか、ゆっくりと諭すように言ってくれた。


「あなた方は身なりからして他所の国の貴族か高官といった方ではありませんかな? 大変失礼ですが、この国の内情をご存知ないのですか?」


 当然ご存知ない俺がクーメルとシュルトナーを交互に見ると、口を開きそうにないクーメルを見てシュルトナーが答えた。


「大公派と公弟派の争いのことですかな? 我々には関係ないと思いますが」


 不満げにも聞こえるシュルトナーの声も気にすることなく、老人は頷くと俺たちに教えてくれる。


「巡礼や商人なら関係ないでしょう。ですが他国とはいえ影響力のある方なら話は別です。何とか引き込もうと両派が接触してくるでしょう」


 彼は続けて真剣な表情で俺たちに助言をくれた。


「悪いことは言いません。アイヴィクへ行くのはおよしなさい。禍いには近寄らぬことです」


 そう言って「失礼いたしました」と付け加えると、俺たちの前から去って行った。



「ハルト様。どうしますか?」


 アンクレードが俺に聞いてくる。


「どうするって。あの人はよく俺が貴族だなんて分かったな」


 当たり前だが俺は正装をしているわけでもないし、その辺の旅人と変わりがないと思う。


「あの方はおそらくイレーネ様をご覧になって、そう思われたのでは。それに彼の口調もどうもこの辺りの老人のものとも思えません」


 クーメルによれば、彼はアイヴィクの宮廷で働いていたことがあるのではないかということだった。


「そう言われてみれば、立ち居振る舞いにもそれらしいものを感じました。クーメルさんの言うとおりかもしれません」


 イレーネ様がそう言うくらいだから、きっとそうなのだろう。


 彼女も溢れ出る気品が隠せないということのようだ。

 やはり将来の皇妃に間違いないらしい。


「そうすると行かない方がいいのかな? でも、長居する気はないんだけどな」


 ちょっとだけ立ち寄って、ハルト一世の消息を尋ねるだけなのだ。

 貴族の派閥争いが起きているなら、お互いのことをよく調べているだろうから、ハルト一世がいれば把握しているだろうし。


「巻き込まれないように気をつけて行こう。ここからペルティア都市同盟の方まで戻るのも面倒だしな」


 別に行く当てがあるわけではないが、元来た道を戻るのも癪だ。

 東に見えるパラス山脈は険しく、越えて行くことも難しい。


「そう思われるのでしたら、ハルト様のお心のままに」


 反対するかと思ったクーメルがあっさりとそう言って、俺は何だかかわされた気分だったが、俺たちは当初の計画どおりアイヴィクの町に向かうことにした。



「ハルト・フォン・スフィールト様ですか。この町には何の用でいらっしゃいましたか?」


 俺たちが宿に落ち着いて小一時間も経たないうちに、部屋の扉がノックされ、宿の主人の「宿改めでございます」との声とともに二人の兵士が部屋へ入ってきた。


「いや。俺は旅の途中で立ち寄っただけなんだが」


 カレークの町での嫌な記憶が甦ったが、いきなり魔法を使うわけにもいかないので、俺はおとなしく答えた。


「お名前からして貴族の方ですな? どちらの国のご出身で?」


「ジャンルーフ王国です」


 余計なことを言う必要もないし、俺は最小限の答えにとどめた。


「王国ではどのようなお役に?」


 いきなり部屋に踏み込んで、ずけずけと人のことを聞いてくる態度に、俺がジャンルーフ王国の大貴族だったら国際問題になるんじゃないかと思うが、大貴族ならこんな宿には泊まらないだろう。


「王国の公職には就いていません。スフィールトの領主というだけです」


 俺の答えに、だが兵士の視線が急に厳しくなったように感じられた。


「ご領地はまさかスフィールトだとおっしゃるのですか?」


「ええ。そうです」


 スフィールトなんて知らないだろうと思った俺は、自分の領地の知名度を見誤っていたらしい。

 

「ジャンルーフ王国のスフィールトとは、あのスフィールトの町ですか? あの町には領主などいないはずですが?」


 どうしてそんなことをパラスフィル公国の兵士が知っているのかと思うが、アンクレードも言っていたように、あの町はある意味、有名なのかもしれなかった。


「おっしゃるとおり以前は領主はいませんでしたが最近、私が拝領したのです」


 俺がそう答えると、兵士たちは顔を見合わせていたが、一応、納得したようだ。

 いや。どちらにせよ大した貴族ではないと判断したのかもしれなかった。


「何か疑わしいことでもおありですか? さっきも言いましたが、俺はこの町には旅の途中で立ち寄っただけなのですが」


 正直、やっと宿に落ち着いてゆっくりできると思っていたところだったのだ。

 旅の疲れだってあるし、できれば早く終わってほしいというのが本音だ。


「いえ。問題はありませんが、一つ警告しておきます。宿に不審な輩が訪ねてきても決してお会いにならないように。よろしいですね?」


 こうして押しかけて来られたら会わざるを得ないんじゃないかと思ったが、そんなことを言っても良いことはなにもない。


「分かりました」


 俺が答えると兵士たちはやっと引き上げてくれた。



「ハルト様。大丈夫でしたか?」


 兵士がいなくなると皆が俺の部屋へ集まってくれた中、イレーネ様が俺を気遣ってくれた。


「ええ。大丈夫です。イレーネ様は?」


「彼らは私の部屋には来ませんでしたから」


 彼女の答えに俺は安心したのだが、皇妃の部屋に乱入したなんて知られたら、後日、彼らはハルト一世に罰せられるかも知れない。

 彼らのためにも俺は安堵する思いだった。


「思っていた以上に切迫しているのですな」


 アンクレードは珍しく真剣な顔を見せていたが、兵士が訪れたのは俺の部屋だけだったらしい。

 あの小さな町の食堂で老人が教えてくれたとおり、貴族や高官以外には興味はないのだろう。


「首都の兵士ですから彼らは大公の配下でしょう。そうなると公弟派からも接触があるかもしれません」


 クーメルが静かに見過ごせない内容のことを口にするが、彼の言うことは当たるから、やめてほしい。


「兵士からも忠告を受けたからな。俺はそんな奴には会わないぞ」


 そう言った俺の言葉と、クーメルの予言のようなそれとのどちらが正しかったのかは、すぐに明らかになった。





【ハルト一世本紀 第三章の十八】


 大帝はパラスフィル公国で大公がその弟と争っていることをお知りになり、竜顔を曇らせた。


 国公はそれを見て、大帝の宸襟を悩ます者どもに憤りを隠せなかった。


「この上は陛下のお力をもって両者を打ち倒し、相和すことを知らぬ兄弟の愚かさを天下にお示しあるべきでしょう」


 臣下のうちに国公に賛同する声が大きくなり掛けたが、大帝は慎重だった。


「あの兄弟はつまらぬ者に踊らされただけである。それを二人して滅ぼしては、我らこそ愚かさを天下に示すことになるのではないか?」


 大帝のご下問に、それまで黙っていた大宰相が口を開いた。


「彼らの不和は、まだ民草へは大きな害を及ぼしておりません。陛下のおっしゃるとおりそれを二人して打ち倒しては、馬を畑の畦道に乗り込んでそれを壊したとして、その人の乗馬を代償に取るようなもの。人々の誹りを招きましょう」


 彼の言葉に国公をはじめ群臣は異を唱える者とてなく、評議は両者に和解を勧めることに決した。


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