第四十四話 名を問う声再び
(また、この声か……)
俺は階段を上ろうとしていた足を止めた。
「今のはいったい?」
シスター・プレセラをはじめ、皆が部屋の中を見回しているから、俺の空耳でもないらしい。
「ハルト様。あの声は……」
「ああ。あの遺跡と同じだな」
イレーネ様は気づいたようだが、今、聞こえた声はあのルーレブルグ郊外の遺跡で聞いた声と同じものだろう。
あの時は俺は思わず自分の名前を答えてしまい。それで事なきを得た。
でもそのせいで俺はあの遺跡で『魔法の帝冠』を手にしてしまったのだ。
(同じ間違いは繰り返さないぞ)
あの帝冠は本来、ハルト一世の頭上に輝くものなのだ。
そんな由緒ある帝冠に俺なんかが触れるのは畏れ多いし、万が一失くしたり、盗まれたり、壊したりしたら弁償できる代物でもない。
最近は慣れてかなりぞんざいに扱っている気もするが、皇帝の権威を顕す神器ともいうべきもののはずなのだ。
「…………」
「どうしてお答えにならないのですか?」
クーメルが俺に尋ねてきたが、俺はもう十分にハルト一世にゆかりのものを揃えている。
ここで俺が自分の名前を答えると、またハルト一世の手に渡るべき帝位に関わる宝物が、間違って俺に託される可能性があるなと思ったのだ。
「あれは?」
シスターの指差した先、階段の両端に擬宝珠のような飾りがあることに俺は気がついた。
そしてそれはむくむくと形を変え、翼のある化け物の姿になった。
「ガーゴイル?」
動く石像のようなその姿は、シスター・プレセラが口にしたモンスターに違いないように俺にも思われた。
「きゃあ!!」
ガーゴイルはいきなり階段から飛び立つと、真っ直ぐにイレーネ様の方へ向かってきた。
「ライトニング!」
俺は慌てて魔法を発動して、そいつに一撃を加える。
バシッ!
大きな音を立ててそいつは弾かれたように後退するが……、
「ハルト様!」
俺の前にアンクレードの背中が見えて、次の瞬間、
ガキッ!
金属同士がぶつかったような嫌な音がして、アンクレードの剣がもう一体のガーゴイルの攻撃を受け止めていた。
「ああ。ありがとう」
どうやら俺の方にも向かってきていたらしかった。
イレーネ様に襲い掛かろうとした奴に気を取られ、死角に入ったのか気がついていなかった。
「どういたしまして……などと言っている場合ではありませんぞ!」
彼が前面に立って奴らが近づかないように剣を構え、牽制してくれているが、ガーゴイルは牙を剥き、俺たちのことを諦めてはいないようだ。
「ヴェネ トゥーラ ジュニカ パファーゴ キネーセ エネレトゥペーズ……」
慌てて放った『ライトニング』の魔法では奴を倒すことができなかったから、俺は丁寧に呪文を唱えた。
俺の足下に銀色の魔法陣が輝き、詠唱とともに輝きを増していく。
「ライトニング・ミデタリア!!」
中級呪文で生みだされた雷が魔物を撃ち、その石の身体を粉々に粉砕した。
「ギャギャッ!」
もう一体が突撃して来るが、そちらにはアンクレードが対応してくれていた。
「剣は効かないようです!」
元が石なのだから、切るのは難しいのだろう。
空中に浮かんでいるから叩き潰すのも簡単ではなさそうだ。
「ライトニング・ミデタリア!」
俺は再び雷撃の魔法を発動し、その直撃を受けたガーゴイルは、前の奴と同じように粉々になった。
「危ないところでしたな」
「ああ。いきなりだったからな。慌てたよ」
とりあえず『ライトニング』が牽制になって、イレーネ様が襲われることは防げたが、アンクレードがいなかったら危なかった。
「ハルト様。おけがは?」
イレーネ様が駆け寄ってきて、俺を気遣ってくれる。
「ああ。俺は大丈夫です。アンクレードも……大丈夫だよな?」
「ええ。化け物と直接、刃を交えたのは私の方ですがね」
彼はそんなことを言ったが、目は笑っていた。
その時、再びあの声が響いた。
「汝の名を唱えよ!」
「あの声は!」
そう言ってクーメルが俺を振り返る。
彼の言いたいことは分かるのだが、俺はそれでも自分の名前を口にする気にはならなかった。
「ハルト。ハルトですぞ」
「やめるんだ!」
俺が制止した時には既に遅く、シュルトナーが勝手に俺の名前を口にしていた。
彼もクーメルと同じ考えだったのだろう。
一瞬の静寂の後、また男の声が聞こえてきた。
「汝の名は偽りなり!」
どうしてそんなことが分かるのか不明だが、シュルトナーが告げた名前が彼のものでないことが、声の主には分かるようだった。
いや、それは魔法による宝箱の鍵のようなものなのだろうから、嘘によって開かれることがないようになっているのかもしれなかった。
「あれは!」
「またですか?」
いつの間にか階段の両脇の擬宝珠のような飾りが復活していて、それがまた見る見るうちに形を変え、二体のガーゴイルを生み出した。
「ライトニング・ミデタリア!」
これなら効くんだろって思いで、俺は雷撃を放つ。
隣では「ゲシッ」と言うような音がして、シスター・プリセラが手にした小ぶりのメイスで果敢にもガーゴイルを叩いたようだった。
「えいっ!」
「ギギャギャ!」
危ないのではと思った俺の想像より彼女の攻撃は効いているようで、アンクレードの剣よりよほど有効かもしれない。
それでも致命傷は与えられないようだった。
「ライトニング・ミデタリア!」
再び俺の雷撃が炸裂し、ガーゴイルは粉々になって消え去った。
「引き上げるぞ!」
どうせまた新たな魔物が生み出されるんだろうと思った俺が皆に伝えると、シスターが反対の声を上げた。
「待ってください! このままでは試練が果たされたことにならないかもしれません。ハルト様はそれでよろしいのですか?」
そもそも聖騎士になろうと思って聖都へやって来たわけじゃないと言い返そうとした俺の目と、彼女の紫色の目が合った。
兵士を癒す慈愛に満ちた紫の瞳……。
彼女は教会内でハルト一世を支持し、彼の軍の多くの負傷兵を救うことになるはずなのだ。
(どうする? 俺はその聖女様から幻滅されて大丈夫なのか?)
将来、俺がハルト一世に仕えたとして、そこで聖女となった彼女の顔を合わせたら。
「この方は試練に向き合わず、すぐに逃げ出すような人物です。そのような方とはご一緒したくありません」
彼女がハルト一世にそう言ったなら、俺は追放されるかもしれない。
彼女はある意味修道女らしい一途なところがあるようにも思えるし、ここで逃げ出したら絶対に許してもらえない気がする。
「ハルト様?」
立ち止まった俺に、イレーネ様から声が掛かる。
そして、再びあの声が響いた。
「汝の名を唱えよ!」
「ハルト! 俺の名はハルトだ!」
ここはそう答える以外、俺にはもうほかに選択肢はなかった。
「我が名を受け継ぐ者よ。我が帝笏を受け取るがよい……」
直後にそんな声が聞こえ、階段の先、天井の一部が四角く消え去って上の階に入ることができるようになった。
「ハルト様。まいりましょう」
クーメルが俺に向かって告げた声は、少し同情を含んでいるようにも感じられた。
【フィレリウス宮殿(リュクサンダール観光案内より)】
聖ファニス大聖堂は祈りの場であり、総大主教をはじめ、枢機卿や多くの神官たちが執務し、公会議などで教会の重要な方針の決定の場となるのは大聖堂の西に建つフィレリウス宮殿です。
豪華な彫刻の数々で飾られ、宗教的な権威そのものといった大聖堂に比べると簡素な長い建物に見えるフィレリウス宮殿ですが、歴史上重要な会議が何度も行われた政治の場でもあります。
また普段は関係者以外入ることが許されていないため、あまり知られてはいませんが、中には教会へ寄贈された数多くの美術品がることから『宮殿美術館』とも呼ばれてもいます。
この宮殿は一方で、教会の財政を司る経済の場でもあります。
近年まで教会の収支は厚いヴェールに隠され、公開されているとは言い難い状態であったため、様々な憶測を呼んでいました。
その中でも特に有名なのは『オベリスクの宝』に関する伝説でしょう。
神は教会が経済的な苦境に陥るたびに、大聖堂の前に建つ『炎のオベリスク』を通じて宝物をお下しになり、教会を救ったとされるものです。
実際には信徒の浄財や教会財産の投資などにより得た収入で教会は安定的に運営されています。
宗教上の理由からオベリスクの内部の公開が禁じられていることが、この伝説に信憑性を与えているようです。




