第三十八話 聖女プレセラ
「ありがとうございます。おかげで彼女を助けることができました」
療養所の応接で、俺たちはあの修道女とジルニャーノと呼ばれた修道士と向き合っていた。
ジルニャーノが俺たちに丁寧にお礼を言ってくれると、修道女も先ほどまでとは打って変わった落ち着いた様子で頭を下げた。
「それにしても、あなたはいったい?」
「俺はハルト・フォン・スフィールト。今は……子爵ですね」
ついこの間までの十五年間、田舎勲爵士の三男だったから、まだ爵位には慣れなかった。
「あの馬車の主はあなただったのですね。失礼しました」
ジルニャーノの質問に続いて、修道女がそう言って失礼を詫びた。
「まあ、俺は馬車の横を歩いていたからな。分からなくても仕方ないよ」
別に俺は何とも思っていないのだが、彼女はそれでもしきりと恐縮していた。
「ハルト様。おふたりがお聞きになりたいのは、そういったことではないのでは……。ハルト様は古代魔法帝国時代の魔法を使われるのです」
クーメルが馬車に残っているので、今はアンクレードがそう言って説明してくれていた。
「古代魔法帝国時代の魔法ですか? いえ、それよりも先ほどの魔法についての的確なご教授。そのおかげで彼女は癒しの魔法を使うことができたようですが……。まだお若いのにどうしてあのような知識を持っておられるのですかな?」
そう指摘されて、俺は自分の魔法の力を見せ過ぎたなと思ったが、彼女の何とかしてあの老女を治療したいという真摯な想いに応えたいと思ったのだ。
「いえ。それ程のことは。それよりもそちらの女性の才能と神からの恩寵によるものの方が大きいでしょう。私には癒しの魔法は使えませんから」
それ以上の説明はしたくないので、俺はティーカップを持ちあげて、出されていたお茶に口をつけた。
「シスター・プレセラのですか?」
彼女の名前を聞いて、俺は危うくカップを取り落としそうになった。
「ハルト様。危ないです!」
カップの傾きに気がついたイレーネ様が指摘してくれて、俺は何とかお茶をこぼさずに済んだ。
「プレセラって。聖女……。いえ、なんでもありません」
そう言いながらも俺は思わず彼女の顔をまじまじと見てしまった。
『戦場に降り立つ銀髪の天使。慈愛に満ちた紫の瞳が兵士を癒す……』
そうして俺が思い出したのは、元いた世界で読んだ『聖女プレセラ』の伝記の一節だった。
(いや。間違いないだろう。名前も一緒だし、銀髪も紫の瞳も……)
瞳の色は薄い気はするが確かに紫だし、癒しの魔法が使える人が少ない世界でそうそう同名の修道女がいるとは思えない。
「私がどうかしましたか?」
さすがに不審に思われたようで、彼女は問い質すように聞いてきた。
「あ、あの。癒しの魔法が何度も使えるようになって良かったなと思いまして」
俺がそう言うと彼女は改めて頭を下げて、
「それもすべてハルト様のおかげです。ハルト様が教えてくださらなかったら、私は日に一度しか癒しの魔法は使えずに、これからも過ごしていたことでしょう。それは当たり前のことだと思っていましたから」
そうお礼を言ってくれた。続けて遠慮がちに、
「あの後、ジルニャーノ師にも同じようにしていただいたのですが、上手くいかないのです。何か方法はありませんか?」
そう尋ねてきた。
「呪文は唱えられたのですよね? 良かったら見せてもらえますか?」
俺が答えると、ジルニャーノ修道士は呪文を唱えたが、彼の手の中に癒しの光が生まれることはなかった。
「どうもうまくいきませんね。やはり彼女の信仰の力ですかな?」
ジルニャーノ修道士は残念そうな顔を見せたが、俺には何となく理由が分かる気がした。
「いいえ。そうではないと思います。魔法には適性がありますから」
そう言って誤魔化したものの、俺は後味の悪い思いがしていた。
魔法には適性がある。それは嘘ではない。
誰もが天才的な魔法使いになれるわけではないし、あらゆる魔法を使いこなせるわけでもない。
だが、前の世界。千年後の世界では、誰もがある程度の魔法を使っていたのだ。俺を除いて。
「ジルニャーノ師は私などよりずっと癒しの魔法に熟達されていたのに。そんなことがあるなんて」
シスター・プレセラはそう言っていたが、その年齢が彼をして俺の言葉を心から信じることを拒ませ、今以上に魔力を使うことを難しくしているのだろう。
魔法は簡単には使えないという常識に一度、囚われてしまえば、そこから抜け出すのは困難なのだ。
だからこそ前の世界でただ一人、魔法の存在しない現代日本の記憶を持っていた俺だけが、魔法を使うことができなかったのだろう。
「まあ。これも神の御心でしょう。ハルト様と皆さまに神の祝福がありますように」
ジルニャーノ修道士がそう言って話が終わりそうになったところで、それまで静かに俺たちの会話を聞いていたイレーネ様が助言してくれた。
「ハルト様。ラエレースの町で出会った修道僧の方のことをお聞きになってみては?」
彼もクーメルに癒しの魔法を使っていたから、この療養所と繫がりがある可能性は高い。
そうであるなら、彼の手紙はここで渡すべきなのかもしれなかった。
「そう言えばビュトリス王国で一人の修道僧にお会いしたのです。彼は聖都へ行くことがあったら大聖堂を訪ねるように勧めてくれて……。手紙を託してくれたのです」
アンクレードが馬車へ走り、荷物の中からあの修道僧がくれた手紙を持って来てくれた。
「これは……。確かに私たち修道会の者が書いたもののようですね。トースタンという名の修道僧です」
「トースタン師ですか! お元気なのでしょうか?」
どうやらシスター・プレセラとも知り合いのようで、彼女はあの修道僧のことを心配しているようだった。
「ええ。体調を崩していた仲間に治癒の魔法を施してくださったのです。助かりました」
「やはりこちらの方だったのですな」
アンクレードの言葉にジルニャーノ修道士は改めて頷きを返した。
「それだけではないでしょう? 彼はあなたがラエレースの町で奇跡を起こしたと手紙に書いています。それは恐ろしい炎に立ち向かい、何十人、何百人もの町の人びとに救いの手を差し伸べるものだったと」
彼は少し迷っていたが、隣にいるシスター・プレセラに手紙を渡し、彼女にもトースタン修道士の手紙を読むことを許した。
「こ、これは。ハルト様を聖騎士に推挙してほしいと、トースタン師はそう書かれていますが?」
驚くシスターに言って聞かせるようにしながら、ジルニャーノ修道士は答えた。
「ええ。あの冷静な彼がよほど感動したのでしょう。聖騎士への推挙など、私が知っているかぎり、もう二十年以上行われていないことですが」
話の見えない俺は、それでも何となく危険な方向に話が進んでいるような気がしてきていた。
「あの。どういうことでしょうか?」
尋ねた俺にジルニャーノ修道士は真剣な顔を見せた。
「トースタンはあなたに聖騎士の、教会を守護する力を持つ聖なる騎士の資格があるかもしれないと伝えてきています。これまで奇跡を起こしたとして推挙された者はいますが、聖騎士と認められる者は本当に少ないのです」
手紙を読んでいたシスター・プレセラが顔を上げて、彼の言葉を継いだ。
「トースタン師は教会にその真偽を見極めてほしいとされています。ハルト様の起こされたことが奇跡と認められるものかどうか。そして聖騎士に値される方か判断してほしいと。そう書かれています」
そう言って彼女は気がついたようにジルニャーノ修道士と顔を見合わせた。
「ハルト様はここでも奇跡を起こされています。一度しか癒しの魔法の使えなかった私が一瞬で何度もそれを使えるようになった。それで巡礼の方を治療することができた。これは奇跡ではありませんか?」
二人で盛り上がってきているようだったが、俺なんかがそんなご大層な人であるはずはないのだ。
ハルト一世なら別だろうが。
「いえ。あれは奇跡などではありません。そもそもシスターに備わっていた力ですから」
それは本当にそうで、きちんと理論立てて魔法を学べば、ある程度は誰でも可能なことなのだ。
魔法の存在やその可能性を信じられるかという前提条件はあるにせよだ。
「そのようなことはありません! ジルニャーノ師。私も大聖堂へお伴して、ハルト様の起こされた奇跡について証言したいと思います。同行をお許しいただけますか?」
だが、シスター・プレセラは興奮気味にそう言ってくるし、ジルニャーノ修道士も頷いて、俺は大聖堂に向かわなければならないことになってしまった。
「聖騎士が生まれるかどうかという教会にとって重大な局面ですから。すべては神の御心のまま。ハルト様には大聖堂へおいでいただかなければなりません」
修道士は真顔でそう言うと、すぐに大聖堂に出掛けようと準備を始めた。
「ハルト様。ここで逃げ出したりしたら教会を敵に回しそうです。行くしかないのではありませんか?」
アンクレードが諦めたように言ってきたが、そのとおりなのだろう。
この世界で教会を敵に回したりしたら、生きていけない気がする。
ここまで来るまでに見た巡礼たちだけでも、大変な数の信徒たちが俺を『神の敵』と断じて襲ってくるかもしれないのだ。
俺は聖都を目指したことを、そしてあの修道僧から手紙をもらったことを後悔し始めていた。
【聖人、福者列伝・第三章の一】
聖女プレセラは初めペルティア都市同盟の南に位置するムタニヤの町で修道女をしていた。
巡礼者に献身的に尽くす彼女に、神は癒しの力を与えた。
ある日、彼女は自らの力ではすべての巡礼者を癒すことができないことを嘆き、神に赦しを請うた。
「主よ。私はあなたがお授けくださった力を上手く使いこなすことができません。どうか私をお導きください」
自らのためでなく、神に祈りを捧げようと聖都を訪れる人びとのために祈る彼女を神は祝福した。
彼女がいた療養所の大広間を眩い光が包み、神の恩寵が下った。
「畏れ多いことですが、神託がくだされました」
聖女と呼ばれるほどの力を得た彼女は、同時にそう言って聖職者たちを驚かせた。
「父なる神は地に聖王を遣わそうとされています。神に聖別された彼を私たちも祝福せねばなりません」
彼女はその後、一貫して大帝を支持し、その姿勢は揺らぐことはなかった。
帝国の創建後、教会がその地位を保ったのは彼女に依るところも大きかったと言われている。




