第三十七話 ムタニヤの療養所
キルダ王国を出た俺たちの馬車は、そのまま聖都リュクサンダールに向かって海岸沿いの街道を南下した。
ケムリック、バサ、イナルガ、ケーレスと北から順にペルティア都市同盟の町を進んで行く。
「さすがに巡礼が増えてきましたね」
クーメルが感心したようにそう言ったが、この先の町を過ぎれば教会領、そしてその最南端に聖都リュクサンダールがある。
そしてその中心にあるのが聖ファニス大聖堂。この世界の教会の大本山なのだ。
「もう馬車で進むのはきついな。俺は降りて歩くよ」
老人も多い巡礼を横目に、若い俺が馬車で偉そうに行くのは精神的にきつかった。
本物の王侯貴族なら平気で進んだり、場合によっては先導する兵士が巡礼の人たちを道の脇に避けさせたりするのかもしれないが、俺には無理だ。
「ハルト様。私も歩きます」
イレーネ様もそう言って、俺に続いて馬車を降りてきた。
「いや。イレーネ様はそのまま……」
俺は慌ててお願いしたのだが、彼女はそれを制して、
「いいえ。ハルト様が歩かれるのなら私も隣を歩きたいのです」
そう言って本当に俺の隣に並んで歩き始めてしまった。
周りの巡礼たちは杖を突いたり、白っぽい簡素な服を着ている人が多い中、馬車で進む俺たちはかなり目立っていたのか、しばらく行くと道端から声が掛かった。
「もし。そちらのお方。馬車のご主君にこの方を療養所まで運んでくださるよう伝えていただけませんか?」
見ると人だかりができていて、その中心に倒れた老女を若い修道女が介抱しているようで、声はその修道女のものだった。
「えっ。俺?」
「はい。どうかご主君に……」
真剣な眼差しの彼女は、どうやら俺を従者か何かと勘違いしたようだ。
「別に構わないけど。いいよな? クーメル」
俺がいきなりドアを開けて彼に聞くと、修道女は驚いたようだった。
「ハルト様がよろしいのであれば。私は構いませんが」
「だそうだ。じゃあ乗せるぞ」
俺は答えて、老女に近寄ると彼女を抱き上げた。
そして、そのままいつも俺がいる席に座らせる。
「あなたも乗ったらどうだ? 俺たちはその療養所の場所も知らないんだ」
修道女に向き直って勧めると、彼女は我に返ったように、
「いいえ。では私が案内をいたします。こちらへお願いします」
そう言って俺たちの前に立って早足で歩き始めた。
「ハルト様。じゃあ、行きますよ」
馬車を操るアンクレードが彼女について出発させ、俺とイレーネ様は小走りにその後を追うことになった。
「あの町は?」
「ムタニヤの町です。北門を入ってすぐのところに教会が運営する療養所があるのです」
答えた彼女はよく見ると俺たちより少し年上なだけだろうか、神秘的な力を秘めたように見える薄い紫色の瞳が印象的な女性だった。
修道着からこぼれる髪は銀色で、日の光に輝いている。
北門は開かれていて、俺たちも詮議を受けることなく町に入ることができた。
「随分と不用心な気がするな」
思わず漏らした俺の声に修道女は、
「聖都に近いこの場所で悪事を働く方などいません。ここにいらっしゃるのは敬虔な信徒の方ばかりなのですから」
少し俺を非難するように答えた。
そしてすぐに教会付属の療養所へと到着する。
「どちらへ運べばいいですかね?」
今度はアンクレードが老女を抱え、修道女に尋ねてくれた。
「こちらへ……」
修道女が病院の中へと俺たちを誘うが、クーメルが馬車から声を掛けてきた。
「私たちが馬車を守りますので、ハルト様はどうぞ……」
俺はどうしようかと少し迷っていたのだが、彼の言葉で病院の中まで行くことになった。
アンクレードは修道女に先導されて門の中に消えようとしている。
俺は慌てて彼を追い、療養所の中へと足を踏み入れた。
「治癒魔法の使い手はいませんか?」
修道女は会う人会う人、片っ端からといった様子で尋ねていたが、誰もが手で合図したり首を振ったりしてきて、魔法を使える人はいないようだった。
そうしてすぐにベッドが並んだ大広間のような場所にたどり着く。
「ジルニャーノ師。この方に治癒魔法を……」
彼女はそこにいた年老いた修道士に駆け寄ると、そう依頼していた。
アンクレードはその間に、老女をベッドのひとつに横たえる。
「落ち着きなさい。あなたが癒せばよいではないか?」
ジルニャーノと呼ばれた修道士は彼女を諭すように落ち着いた態度で言った。
「私はもう。今日は癒しが使えないのです」
そのやり取りが聞こえて、俺は不思議な気がした。
まだ昼前なのに、聞くところもう魔力切れというようなことを言っている。
「そんなに具合の悪い方が多かったのですか?」
巡礼には高齢の信者も多そうだし、遠くから訪れる人もいるからけが人や病人も多いのかもと思ったのだが、彼女の答えは俺の想像の外にあった。
「今言ったとおりです。私は先ほど魔法を使ってしまいましたから、おそらく明日までは使うことができないのです」
当たり前ではないかと言いたそうに彼女は不満そうな顔を見せる。
「いや。魔法を使ってしまったって。まさか一回だけですか?」
『蘇生の魔法』でも使ったのならそういうこともあるのかもしれないが、普通の癒しの魔法が一日一回しか使えないなんてあり得ないはずだ。
だが、俺のその認識の方が誤っていたことに気づかされた。
「何が言いたいのですか? 魔法は貴重なものなのです!」
彼女はそんな話をしている場合ではないという様子だったが、俺は彼女の言葉でこの時代に魔法が使われなくなっていた理由を思い出していた。
「魔法はそんなに貴重なものじゃないぞ。ほら」
俺はライトの魔法で俺たちのいる大広間のような部屋の一角を明るく照らす。
「あなたは魔法使いなのですか?」
「ああ。そうだ。それに……ほら」
俺は再びライトの魔法を使って、二つ目の明かりを灯した。
「えっ! そんな……。あなたは何度も魔法が使えるのですか?」
やはり思ったとおり、彼女を含むこの時代の人たちは魔法を操る技術を知らないらしい。
「そうだ。魔法はあなたが思っているより簡単なものだ。それが証拠に……」
俺はまた二つ、三つと魔法の光を浮かべ、部屋の中がかなり明るくなる。
「どうしてそんなことが?」
「いや。順序だててやっていけば、そんなに難しいことじゃないぞ。俺が教えるからやってみないか?」
そう言っても彼女は驚いた顔を変えなかった。
「魔法を使うための魔力はこの世界では知覚できない別の次元にあって、それを魔法として具現化するためにこの世界に引き出す必要があるんだ」
おそらく彼女は魔法を使う才能が人並み外れているのだろう。
普通は訓練によって魔力を引き出す方法を学ぶのだが、学ぶことなくできてしまう人が一定数いる。
彼女もそういった天才の一人である可能性が高かった。
「おっしゃっていることがよく分かりませんが。いったいどうしたら良いのですか?」
真剣な顔を見せる彼女に俺は不思議な気分だった。
(まさか俺が人に魔法を教えることになるなんてな)
前世では魔法の劣等生で散々苦労したのに、千年前のこの世界では誰よりも魔法を自在に操る大魔法使いなのだ。
「そのための方法のひとつが呪文の詠唱だ。集中して呪文を唱えることで、魔力を別の次元からこの世界へ引き出すことができるんだ」
残念ながら俺は信仰心が薄いからか、治癒の魔法は使えない。
それでも前世で必死に学習した成果もあって、その呪文だけは覚えていた。
俺は実技はからっきしだったが、魔法理論は最優等だったのだ。
「デウ パテール ピウデュ 貴方の忠実な僕に癒しを恵みたまえ。ヒール・ミネトゥリス。やってみて?」
彼女は俺が教えた呪文を唱えるが、魔法は発動しなかった。
「だめです!」
悲痛な声を上げる彼女に、俺は確信をもって答える。
「いや。だめじゃない。使えるはずだ。心の底から『使える』って信じないと魔法は発動しない。だって、ほら」
俺はまたライトの魔法を使って部屋を照らす明かりを増やす。
もう部屋の中はまばゆいばかりの光に溢れていた。
「使えると信じる。私は何度も魔法を使うことができる。そう信じる……」
彼女のような魔法の才能のある人でさえ、呪文もなしで何度も魔法を使うなんてことはそう簡単にできることではない。
そして、この時代の人たちは魔法は使えない、使える人でも一度だけと思って、それが常識になっているのだろう。
その常識を打ち破ることは至難の業なのだ。
そしてそれが、魔法の存在しない現代日本から転生した俺が、前の世界で魔法が使えなかった大きな理由なのだろう。
「今、俺が魔法を何度も使うところを見ただろう。自分もできる。そう信じるんだ」
俺自身、前の世界で「もうどうにでもなれ」という捨て鉢な気持ちになって、ようやく使うことができたのだ。
信じるってことはやはり難しいのか。そう思った時だった。
「癒しの光が!」
何度目かの呪文を唱えた彼女の胸の前に、温かい色をした小さな光が出現していた。
【療養所について(パンフレットの記載)】
当療養所の歴史は古く、リュクサンダールを訪れる巡礼者を癒すために設けられた教会付属の療養所がその起源とされています。
別名『聖ハルト療養所』と呼ばれるのは、ハルト大帝がこの地を訪れ、けがや病に苦しむ巡礼者たちを魔法で治療したとの伝説があるからです。
残念ながら大帝が治癒の魔法を使ったという記録はほかにないことから、伝説のとおりのことが実際にあったかは疑問視されていますが、教会と良好な関係を保った大帝は、療養所にも支援を与えています。
大広間の壁面には、巨匠ブレメンティが『巡礼者を癒す聖王』と『恩寵を受ける聖女プレセラ』の二つの作品を描いており、いずれも美術史において魔法復興期の傑作とされています。




