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第三十六話 ハルト子爵

 キルダ王国の王都エルバネに到着し、俺たちは宿にしばらく滞在していた。


「やはりベッドで横になるのが一番ですな」


 朝食の席でアンクレードが心からといった感じでそう口にしていた。


「そうなのか? アンクレードは気にしないのかと思っていたけれど」


「酷いですな。私だってそれはベッドで寝る方がいいに決まっています」


 そう言う彼はハルト一世に仕え、軍旅を率いて各地を転戦した大将軍なのだから、野営も厭わないかと思っていたのだがそうでもないようだった。

 そういった意味では元が現代日本人の俺には連日の野営はきつい。


 この世界で十五年以上生きたから、だいぶ慣れたが。


「さっさとリュクサンダールに行きたかったな。また足止めか……」


 俺は嘆くように言ったが、誰も賛同してくれなかった。

 イレーネ様さえ、俺と目を合わせずにお茶を飲まれている。


「そうお思いになるなら、王宮に問い合わせなどせず、この町を一晩でお発ちになるべきだったのです。のんびりと人探しなどされているから面倒なことになったのですぞ」


 シュルトナーが真面目な顔で言ってきたが、ハルト一世を探すことだけは譲れない。

 俺はここでも貴族の族籍を管理する文官への面会をダニエラに依頼していた。

 それを待ってこの町に滞在していたのだ。



「ハルト様。あなたを叙爵すると王宮から内示がいただけました。おめでとうございます」


 ダニエラがそう言って宿に俺を訪ねてきたのは、エルバネに着いて一週間後のことだった。


「えっ。どうしてそんなことになっているんだ? 文官への面会は?」


 ダニエラは笑みを浮かべ、俺の質問を軽く流した。


「そちらも間もなく。ですが王宮もさすがにハルト様の功績を認めざるを得なかったようです。私も働き掛けた甲斐がありました」


 彼はそんなことを言っていた。

 俺は別にこの国で爵位をもらう気などなかった。

 ただ、少しでも早く聖都へとたどり着きたい一心だったのだ。



「あの広大なキルダ平原をワイバーンの脅威から解放したのです。しかも一兵も損ねずに。あの地が耕地になれば多少の褒賞を与えたとて、すぐに取り返せるはずです。これでハルト様が顕彰されないとなると、いったい誰がそれに値することになるでしょうか」


 クーメルはいつものとおり冷静にそう分析していたが、何となく楽しそうだ。


「これも予想どおりだったってことか?」


「ハルト様とのお付き合いも長くなってきましたから。この町でも同名の方を探されるだろうと思っておりました。ならばその時間を有効に使うべきですから」


 どうやら事が彼の想定していたように動いたことが嬉しかったらしい。

 俺は彼の手のひらの上で踊らされていたようだ。



「余の宮廷に仕えぬか?」


 キルダ王国の主、アンジェリアナ女王は謁見の間で俺を子爵に叙した後、そう誘ってきた。

 まだ若い彼女の声はよく通り、颯爽とした印象を受ける。


「申し訳有りませんが私はがさつ者ゆえ、宮廷でお役に立てるとは思えません。それに今は人を探して諸国を回っております。ここにも長く留まるつもりはありませんから」


 俺がそう答えると、左右に居並ぶ重臣たちの中には気色ばんだ者もいたように見えた。

 だが、女王様は敢えてそうされたのか、ゆっくりとした口調で続けられた。


「そうか。残念だな。そちさえ良ければキルダ平原の一部を領地として与えても良いと思っていたが、それも受けないとなると味気ないが報奨金を渡すくらいしかあるまい。路銀の足しにするがよい」


 彼女が左を向くと、肩まであるダークブロンドの髪が揺れた。

 左に控えていた小姓のようにも見える若い男が大きめの布袋を持って俺の前まで進んで来た。


「ありがとうございます」


 受け取ってみるとずっしりと重い。中にはかなりの金貨が入っているようだ。

 イレーネ様もいるから、路銀は多いに越したことはない。


「想い人が見つからなければ帰って来るがよい。席は空けておくのでな」


 アンジェリアナ女王が笑うように言って退出され、謁見は終わった。



「想い人って。俺が探してるのは男性なんだけどな」


 謁見の間から王宮内を貴族を管理している宮内官のいる建物まで移動しながら、俺は仲間たちに言った。


「似たようなものではありませんか? ずっと探されていますからな。私ならとっくに諦めていますがね」


 アンクレードが苦笑しながら返してくる。

 それに続けて珍しくイレーネ様が口を開かれた。


「女王様はハルト様を気に入られたのではないかと思います。だからあんなことを。私は早くこの国を出たいです」


 何だか真剣な顔でそんなことをおっしゃったが、それはないと思う。

 イレーネ様は俺なんかの婚約者に甘んじてくださっていて、しかも未だに故郷のラマティアを俺が救ったと恩義を感じてくださっているようで、俺に対する評価が甘すぎるのだ。


「そのようなことは。ですが、これが終わればここにいる理由もありませんから、明日にも発ちましょう」


 この町にハルト一世がいるなら別だが、いないのなら留まる理由はない。

 時間も惜しいから、それならさっさと出発することに異論などありようはずもなかった。


「それならこのまますぐに宿に帰ってはどうですかな?」


 シュルトナーは相変わらずつまらなそうな顔で俺に嫌味を言ってきた。


 結果は彼の言ったとおりで俺は落胆したが、皆は何とも思っていないようで、さっさと宿へと引き上げることになった。


 今回はイレーネ様からも慰めの言葉はもらえなかった。



「道中のご無事をお祈りしております」


 翌朝、王都エルバネを発つ俺たちを、ダニエラは南門で見送ってくれた。


「ここまで本当にありがとう。もっと一緒にいたかったよ。ダニエラには迷惑だったかもしれないけどな」


 俺が感謝の気持ちを伝えると、彼も寂しそうな顔をした。


「いいえ。私ももっとご一緒させていただきたかったです。帰りはギルダ平原を横切るだけでラトルの町へもどれるなど夢のようです。ハルト様の起こされる奇跡を、もっと見ていたかった。それが偽らざる私の気持ちです」


 話しているうちに興奮しでもしたのか、彼の声は大きくなっていた。


「奇跡だなんて、そんな大したものじゃないけどな」


 俺は前世でも現代日本でも劣等生、受験失敗者なのだ。

 たまたまこの時代では失われた魔法に関する知識があるだけだ。


 そしてこの世界の歴史に関する知識を使って、勝利者たるハルト一世に仕えようと考えている小物なのだ。


(そうだ。やっぱり彼はハルト一世の七功臣のひとり、近衛騎士団長のダニエラに違いない)


 改めて考えてみると、彼をこのまま置いていくのはやはり惜しい。

 クーメルやアンクレード、シュルトナーと同じように連れて行くべきだろう。


 そう思うと俺はもう我慢できなかった。


「ダニエラ。俺たちと一緒にリュクサンダールへ行かないか? いや。これから俺に仕えないか?」


 俺のいきなりの勧誘に、ダニエラはもとより仲間の皆も驚いていた。


「魅力的なお誘いですが、私はニコノール辺境伯の家臣です。それに今はこの町まで同行させていただいた部隊の指揮官に任じられています。勝手に主を変え、務めを放棄するわけにはいかないのです」


 残念そうな顔でそう返す彼は、やはりその謹厳実直さで名を知られたハルト一世の七功臣のひとりダニエラ・サヴォラーエだと思える。


(ここに平気で務めを放棄した男がいるんだけどな)


 俺がアンクレードを見ながらそう考えていると、彼はそれに気がついたのか。


「立派な心掛けですな。私も同感です」


 俺の顔を見て、何度も頷きながら、そう言っていた。



「まさか、私が口にしたことを実行されるとは。驚きました。それほど魅力的な男でしたかな?」


 馬車の中でシュルトナーが俺にそう問い掛けてきた。


「ああ。稀に見る謹厳実直な指揮官だと思ったんだ」


 俺は覚えていたダニエラ・サヴォラーエの歴史書での評価をそのまま口にした。


「確かにあの方が指揮官で安心できました。ハルト様の人を見る目は確かだと思います」


 イレーネ様はそう言って、俺の言葉を肯定してくれた。

 でも、人を見る目が確かなのは俺ではなく、ハルト一世なのだ。


 俺を除くここにいる皆はハルト一世とともに、世界を統一し、魔法を復興する偉大な事業を行うことになる。


「ハルト様がお忘れにならなければ、彼とはまた会う機会もありましょう。その時にまた、仕官を勧められれば良いのではありませんか?」


 クーメルが予言のような言葉を口にして、俺は身震いする思いだった。

 そして馬車に乗る俺以外の皆に神々しいものを覚えていた。





【魔法帝国地理誌 エルバネ】


 大陸有数の穀倉地帯であるキルダ平原の南に位置するエルバネの町にも、ハルト大帝が諸国漫遊の途中で立ち寄ったという伝説がある。


 エルバネの住人は、その根拠としてハルト大帝が大陸西方諸国の兵を糾合して外敵に当たった時、それに真っ先に応えたのが当時この地にあったキルダ王国の女王、アンジェリアナであったことを挙げるのが常である。


 だが、当時はキルダ平原に魔物が生息し、リュクサンダールへと向かう巡礼たちもこの地を通っていなかったと推定されており、大帝がこの地を訪れた可能性は低い。


 また、功臣のひとり、近衛騎士団長ダニエラ・サヴォラーエがこの地の出身であるとする説もあるが、彼がハルト大帝に仕えたのはシルトの町であると言われており、各地に存在する大帝伝説のひとつと考えられている。


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