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第二十九話 元いた世界

 俺が元々いた世界、もう三十年以上も前になるのだが、そこは現代日本だった。

 十五歳の春。俺は高校受験に失敗した。


(不合格って……どういうことだ? 嘘だろう?)


 タブレットに映し出された自分の合否通知に記された結果を、俺はすぐには理解できなかった。


(落ち着け。何かの間違いだ。合格発表のシステムにトラブルが……)


 だが、何度表示を繰り返してもそこに現れるのは『不合格』の文字。


(そんなことがあるか?……俺が不合格なんて?)


 俺が受験した公立高校の倍率などたかが知れている。

 どう考えても俺が落ちることなんてあり得ない。そう思っていた。


 だから合格していた滑り止め校には入学金を納めなかったのだ。

 どうせ第一志望の公立高校に入るのだからもっと有意義な使い道があると考え、俺は親に自分ですると伝えた手続きをしていなかった。



春斗(はると)。どこへ行くの?」


 慌てて出掛けようとする俺に家族が掛けた声に答えることもせず、家から駆け出したところまでは覚えている。

 受験した高校へ行って本当の合否を確かめたい。そう思ったのだ。

 だが、俺が高校へたどり着くことはなかった。


 夢の中にいるようだった俺は、赤信号に気づかず道路を横断しようとしたらしい。

 いや、それも定かではないのだが、気づいた時には猛烈な勢いで突っ込んできた大型車が目の前にあった。



 そして次に気づいた時、俺は別の世界に転生していた。

 赤ん坊に生まれ変わっていたのだ。


(早く大きくなって、両親や友だちに会いに行きたい!)


 理由はともかく転生したらしいと分かった時、俺はそう切実に願った。

 だが、それは叶わぬ夢であることをすぐに理解した。


(ヨーロッパに転生か?)


 この世界の両親らしき人や周囲の人物が話している言葉は日本語ではなく、その風貌や着ている服も西洋風のものだったから初めはそう考えた。

 だが、それは誤りであることがすぐに分かったからだ。


(魔法があるなんて、異世界転生ってやつか……)


 俺が転生した世界には魔法があり、ほとんどの物が魔法によって動かされていた。

 魔力灯に魔力ドア、曳く馬のいない馬車のような乗り物もあったが、すべて電気やガソリンを使うものではなく魔法によるものだった。



「俺には前世の記憶があるんだ」


 ある程度話すことができるようになった俺が、思い切ってこの世界の両親に告げた言葉は一笑に付された。


「胎内記憶かしら? 稀にそういうことを言う子がいるって聞くけれど……」


「ハルトはおませだな。『俺』だなんて誰から教わったんだ? ああ、俺か」


 そう言って笑う両親に、俺はもう少し大きくならないと理解してもらうのは無理だと考えた。


 生活レベルは現代日本から見たら低いが、それでもそれなりに平和で命の危険などはない世界。

 この世界の両親も俺を愛しんでくれたが、俺の中には常に望郷の念があった。



「ハルトは本当に本が好きだな」


 文字が読めるようになると、俺はまずは自分の家にあった本を読んで、知識を得ようと必死になった。


「図書館に行きたいな」


「いいぞ。でもおとなしくって、ハルトはいつも静かだからな」


 そう言って両親が連れて行ってくれた図書館でも俺は本を貪るように読んだ。

 まずは俺のように転生した者がいないか。

 それらしき本を探したのだ。


(だめか。そんな話はこの世界にはないみたいだ)


 司書らしき人に聞いてみたのだが、


「あら。面白いアイデアね。あなた、大きくなったら小説家になれるかもよ」


 そう言ってにっこりと笑って返されてしまった。

 別の世界へ行ったり、ましてや別の世界から来た人の話なんて、この世界にはないようだった。


(そもそもこの世界ってどんなところなんだ?)


 簡単には現代日本に戻れそうもないと悟った俺は、次にこの世界で生きていくために必要な知識を得ようとした。

 周りは幼児ばかりで大人は相手をしてくれず、本を読むくらいしか楽しみがなかったこともある。



「あら。もうそんなに難しい本を読んでいるの? ハルトはすごいわね」


 そう感心された時、俺が読んでいたのはこの世界を千年前に統一し、古代魔法帝国時代の魔法を復興した偉大なる大帝、ハルト一世の伝記だった。


「あなたの名前もこの方からいただいたのよ。大帝のように皆に愛される人になってほしいと思ってね」


 そう言って両親が付けてくれた名前は俺の現代日本での名前と同じ響きを持つものだった。

 だが、その名前が俺を苦しめる一因となったのだ。



「ハルト君。慌てる必要はないわよ。そのうちできるようになるから」


 幼年魔法学校に通うようになると、児童も時に魔法を使うことを求められた。

 だが、俺にはどうしても魔法が使えなかったのだ。

 大人はそう言って俺を慰めたが……、


「魔法なんて簡単なのに、どうしてハルトは使えないの?」


 子どもは残酷だ。

 俺は出来の悪い劣等生というレッテルを早々に貼られることになった。



「名前負けのハルト」「魔法の使えないハルト」


 幼年学校のクラスには、この世界の歴史上の巨人と言えるハルト一世にちなんだ名前の子どもは幾人もいた。

 その中で俺は陰でそう呼ばれるようになったのだ。


「魔力を流して。はい。ライトを灯しましょう」


 最重要科目の魔法実技では、俺はいつも何もできず、お客さんのような状態になっていた。


(魔力を流すって、どうするんだ? 本にもそう書いてあるけど……)


 俺は必死で魔法の基礎を説いた理論書から高度な魔法について記した魔導書まで読み込んだ。

 だが、魔法が使えない状態をどう克服するかについての記載はどこにもない。


 鳥が空を飛ぶように、人が息をするように、この世界の魔法はそういった努力を必要とするものではないようだった。


 そうして十五歳を迎え、俺は初めて使った魔法を暴走させて生命を失ったのだ。



「俺はずっとダメな奴だった。そんな俺にできることなんてしれている。だから俺がこの冠を授かったなんてあり得ないんだ」


 俺の発言は唐突なものだったと思う。

 でも、俺は心からそう思っていた。


「いきなりどうされたのです?」


 案の定、シュルトナーが驚いて咎めるような声で言った。


「確かに貴重な品だとは思いますが、どうしてそこまでご自分ではないとおっしゃるのです?」


「アンクレードの言うとおりですぞ。普通に考えればハルト様の手にもたらされたと考えるのではありませんか?」


 俺以外はハルト一世がこの後に為す偉大な事績を知らない。

 だから気軽に俺がこの帝冠を授かったなどと言えるのだ。


「さっきも言っただろう。俺は未来を覗き見たんだ。そこでこの冠を手にしていたのは俺なんかではない。俺と同名の、つまらない俺なんかとは比較にならないほど立派な人物なんだ」


 俺は必死の思いで皆にそう説いた。

 現代日本でも、千年後の世界でも受験に失敗した俺なんかが、偉大な業績を残すなんてあり得ない。

 俺にできることなんて、彼のことを知っているというアドバンテージを生かし、彼の配下に加えてもらうくらいだろう。


「私にはハルト様がご覧になった未来がどんなものか分かりません」


 冷静さを失っていた俺に、寄り添うようにしてくれていたイレーネ様が声を掛けてくれる。


「でも、ここまでご一緒させていただいて、ハルト様がつまらない方だなんて思ったことはありません。ハルト様は馬車で拐われそうになった私を助けてくださって、ラマティアの町を襲った軍隊を退けてくださいました」


 彼女はその水色の瞳で一切の迷いはないとでもいうように俺の目をしっかりと見ていた。


「そしてスフィールトの森では怪物を倒してエルフたちの憂いを払われたと伺いました。ラエレースの町では火の手から人々をお守りになられた。この国の鉱山でも暴徒を除かれたではありませんか」


 いつもは控えめな彼女が、今はいつになく雄弁だった。


「そのような方がつまらない方だなどと、思う者はいません。それに少なくとも私はハルト様の婚約者であることを誇らしく思っています。いいえ。ハルト様の婚約者として相応しくありたいと」


 彼女はそこまで言って、感極まったように絶句した。


「ハルト様。今はその黄金の冠がハルト様の手にあることが事実です。それはお認めになられるしかないのではありませんか?」


 クーメルが遠慮がちに口を開き、俺にそう告げた。


「あ、ああ。そうだな。イレーネ様、申し訳ありません。少し冷静さを欠いてしまいました」


 クーメルの言うとおりだ。

 この帝冠を遺跡に戻すことはできなさそうだし、俺が預かっておくしかない。


 ハルト一世に出会ったら、その時、彼に献上すればいいのだ。

 きっと彼は喜ぶだろう。俺はそう思った。


(でも、帝冠はそれでいいとして、彼らのこともそうするのか? イレーネ様も?)


 俺はそこまで考えて、自分の決意が鈍ってくるのを感じていた。





【ハルト一世本紀 第三章の十三】


 大帝が一気に覇を唱えることは一旦、沙汰止みになったものの、それに臣下が納得していないことを大帝は見通しておられた。


「ここまで破竹の勢いで一気に進んできたことが過ちだったのか。ならば一旦、故郷の地へと帰るのも一興であろう」


 大帝のお言葉に大将軍と国公は驚き慌てたが、大宰相は静かに大帝に向かって申し上げた。


「故郷へ帰るなど下策の極み。陛下のご本心ではありますまい」


 だが大帝は頷かれなかった。


「大宰相は賢く、それが下策であることを見抜いた。だがそれは承知の上である。今、君臣の心が一つにならずして進まんとするのは、馬車を南へ向けてノルデンへ至らんとするに等しい。ならば故郷へ戻った方が近いのではなかろうか」


 大帝の憂いを知り、彼らは悄然として立ちすくんだ。


「皆は陛下の偉大さを知っています。どうして心を一つにしないことがありましょう」


 皇妃がとりなして、大将軍も国公も改めて喜んで大帝の意を迎えることを誓った。


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